Title: 血笑記 (Kesshouki) Author: 二葉亭四迷 (Shimei Futabatei) Language: Japanese Character set encoding: UTF-8 Produced by Sachiko Hill and Kaoru Tanaka. (This file was produced from images generously made available by Kindai Digital Library) ------------------------------------------------------- Notes on the signs in the text 《...》 shows ruby (short runs of text alongside the base text to indicate pronunciation). Eg. 其《そ》 | marks the start of a string of ruby-attached characters. Eg. 十三|年目《ねんめ》 ※ represents a Chinese character that is not included in computer fonts. The structure of the character is explained in the following bracket[#...]. Eg. ※[#立+宛] ------------------------------------------------------- 血笑記     アンドレーエフ作     二葉亭譯  (前編、斷篇第一)  …物狂《ものぐる》ほしさと怕《おそ》ろしさとだ。  始《はじめ》て之《これ》を感《かん》じたのは某街道《なにがしかいどう》を引上《ひきあ》げる時《とき》であつた。もう十|時間《じかん》も歩《ある》き續《つゞ》けて、休憇《きうけい》もせず、歩調《ほてう》も緩《ゆる》めず、倒《たふ》れる者《もの》は棄《す》てゝ行《ゆ》く。敵《てき》は密集團《みつしふだん》となつて追擊《つゐげき》して來《く》るのだ。今《いま》附《つ》けた足跡《あしあと》も三四|時間《じかん》の後《のち》には敵《てき》の足跡《あしあと》に踏消《ふみけ》されて了《しま》はう。暑《あつ》かつた。何度《なんど》であつたか、四十|度《ど》、五十|度《ど》、或《あるひ》は其以上《それいじやう》であつたかも知《し》れんが、唯《ただ》もう不斷《のべつ》に蕩々《だら〳〵》と底《そこ》も知《し》れぬ暑《あつ》さで、いつ涼《すゞ》しくなる目的《あて》もない。太陽《たいやう》は大《おほ》きく、火《ひ》の燃《も》ゆるやうに、怕《おそ》ろしげで、或《あるひ》は大地《だいち》に近寄《ちかよ》つて、用捨《ようしや》のない火氣《くわき》に引包《ひツつゝ》み、燒盡《やきつく》さむとするのかと危《あや》ぶまれた。眼《め》を開《あ》いてゐられゝばこそ。小さく、窄《すぼ》んだ、罌粟《けし》粒程《つぶほど》の瞳孔《ひとみ》が閉《と》ぢた眼瞼《まぶた》の下《した》に蔭《かげ》を求《もと》めても、蔭《かげ》はなく、日《ひ》は薄皮《うすかは》を透《とほ》して、血紅色《けつこうしよく》の光線《くわうせん》を疲《つか》れ切《き》つた腦中《なうちう》へ送《おく》る。けれども、流石《さすが》に目《め》を閉《と》ぢてゐれば樂《らく》なので、私《わたし》は長《なが》い間《あひだ》、事《こと》に寄《よ》ると何時間《なんじかん》といふ間《あひだ》、目《め》を閉《と》ぢて、前後左右《ぜんごさいう》を引上《ひきあ》げて行《ゆ》く物音《ものおと》を聽《き》きながら行《い》つた。人馬《じんば》の重《おも》たげな揃《そろ》はぬ足音《あしおと》、鐵《てつ》の車輪《しやりん》の小石《こいし》を引割《ひきわ》る音《おと》、誰《たれ》やらの苦《くる》し氣《げ》な精《せい》の盡《つ》きた溜息《ためいき》、燥《はしや》いだ唇《くちびる》を鳴《な》らす乾《かわ》いた音《おと》などが聞《きこ》える。皆《みな》默《だま》つてゐる。啞者《おし》の軍《ぐん》の行《ゆ》くやうだ。皆《みな》倒《たふ》れゝば默《だま》つて倒《たふ》れる。それに躓《つまづ》いて倒《たふ》れる者《もの》も、默《だま》つて起上《おきあが》つて、顧視《みむき》もせずに行《ゆ》く。宛《まる》で啞者《おし》である上《うへ》に目《め》も耳《みゝ》も聾《し》ひてるやうだ。私《わたし》も幾度《いくたび》か躓《つまづ》いて倒《たふ》れたが、其時《そのとき》は我《われ》にもなく目《め》を開《あ》く――と、目《め》に見《み》える物《もの》は、人間離《にんげんばな》れした虛《うそ》らしい、此世《このよ》が狂《くる》つて苦《くる》し氣《げ》に譫語《うはごと》をいふやうな光景《ありさま》だ。炎《も》ゆるやうな空氣《くうき》が搖《ゆ》れ、蕩《とろ》けさうな石《いし》も默《だま》つて搖《ゆる》ぎ、遙《はる》か向《むか》ふの曲角《まがりかど》を曲《まが》る人《ひと》の群《むれ》も、大砲《たいはう》も、馬《うま》も、大地《だいち》を離《はな》れて、音《おと》もなく、ジェリーのやうに震《ふる》ひながら行《ゆ》く所《ところ》は、生《い》きた物《もの》とは見《み》えないで、體《からだ》は烟《けむ》の幽靈《いうれい》のやうである。大《おほ》きな怕《おそ》ろしげな、ツイ鼻《はな》の先《さき》に見《み》える太陽《たいやう》が、銃身《じうしん》に金具《かなぐ》に光《ひかり》を宿《やど》して、小《ちひ》さな、無數《むすう》の太陽《たいやう》を映出《うつしだ》し、その眩《まば》ゆい光《ひかり》が横合《よこあひ》からも、足元《あしもと》からも、眼《め》に射込《さしこ》み、白《しろ》い㷔《ほのほ》を噴《は》いてピカ〳〵と鋭《するど》いこと、宛然《さながら》白熱《はくねつ》した銃劒《じうけん》の切先《きツさき》を見《み》るやうだ。燒立《やきた》て〳〵物《もの》を枯《か》らさむとする暑熱《しよねつ》は、身《み》に沁《し》み、骨《ほね》に透《とほ》り、髓《ずゐ》に徹《てつ》して、時《とき》としては胴《どう》の上《うへ》にぶらつくものは首《くび》ではなくて、何《なん》とも得體《えたい》の知《し》れぬ、重《おも》こいやうな、輕《かる》いやうな、圓《まる》い不思議《ふしぎ》な物《もの》であつて、どうやら自分《じぶん》の物《もの》ではないやうに思《おも》はれ、薄氣味惡《うすきみわる》くなることもある。  と、其時《そのとき》、偶然《ひよつと》我家《わがや》が眼《め》の前《まへ》に浮《うか》ぶ。部屋《へや》の隅《すみ》で、水色《みづいろ》の壁紙《かべがみ》の片端《かたはし》が見《み》えて、卓《テーブル》の上《うへ》には、水《みづ》の入《はい》つた壜《フラスク》が其儘《そのまゝ》手付《てつか》ずに埃塗《ほこりまぶ》れになつてゐる。これは私《わたし》の卓《テーブル》で、跛《びツこ》なので、短《みじか》い方《はう》の脚《あし》の下《した》には紙《かみ》を丸《まる》めて敷《か》つてある。隣室《りんしつ》には、見《み》えぬけれど妻《さい》も忰《せがれ》も居《ゐ》るらしい。若《も》し聲《こゑ》が出《だ》せたら、大聲《おほごゑ》出《だ》して喚《わめ》いたかも知《し》れぬ――水色《みづいろ》の壁紙《かべがみ》の片端《かたはし》に、埃塗《ほこりまぶ》れの手附《てつ》かずの壜《フラスク》と、見《み》る所《ところ》は尋常《じんじやう》の、際立《きはだ》つた物《もの》ではないけれど、それに其程《それほど》目《め》を駭《おどろ》かされたのである。  今《いま》だに憶《おぼ》えてゐるが、立止《たちど》まつて兩手《りやうて》を擧《あ》げると、トンと誰《だれ》かに背後《うしろ》から衝飛《つきとば》された。ツカ〳〵と前《まへ》へ出《で》る――と、もう其儘《そのまゝ》暑《あつ》いことも草臥《くたび》れたことも忘《わす》れて、愴惶《あわたゞ》しく、人《ひと》を押分《おしわ》けて、何方《いづく》ともなく進《すゝ》んで行《い》つた。際限《さいげん》もない、無言《むごん》の人《ひと》の列《れつ》の間《あひだ》を、右左《みぎひだり》に赤《あか》い炎《も》えそうな頸窩《ぼんのくぼ》を視《み》て、グタリと下《さ》げた熱《あつ》い銃劒《じうけん》と殆《ほとん》ど擦《す》れ〳〵に大分《だいぶ》進《すゝ》んだ時《とき》、何《なに》を私《わたし》は爲《し》てゐるので、何處《どこ》へ此樣《こんな》に急《いそ》いで行《ゆ》くのだらうと、立止《たちど》まつた。で、急《いそ》いで向直《むきなほ》つて、無理無體《むりむたい》に列外《れつぐわい》へ出《で》て、とある窪地《くぼち》を越《こ》え、其處《そこ》の石《いし》の上《うへ》に焦燥《せか〳〵》と腰《こし》を卸《おろ》した所《ところ》は、このざらざらの燒石《やけいし》を目的《めあて》に、これまで藻搔《もが》いて來《き》たやうであつた。  其時《そのとき》始《はじ》めて氣《き》が附《つ》いた。日光《につくわう》の惶《きら》つく中《なか》を、暑《あつ》さに弱《よわ》り、ヘト〳〵に草臥《くたび》れて、無言《むごん》でふら〳〵と行《い》つては倒《たふ》れる者《もの》は、これは皆《みな》狂人《きちがひ》だ。何處《どこ》へ行《ゆ》くのか、何《なん》で日《ひ》に照付《てりつ》けられるのか、誰《だれ》も知《し》らない、誰《だれ》も何《なに》も知《し》つてゐない。胴《どう》の上《うへ》に在《あ》るのは首《くび》ではなくて、變《へん》な気味《きみ》の惡《わる》い物《もの》だ。と見《み》ると一人《ひとり》、矢張《やつぱ》り私《わたし》のやうに、愴惶《あわたゞ》しく列外《れつぐわい》へ脫出《ぬけだ》してバタリと倒《たふ》れる、續《つゞ》いて又《また》一人《ひとり》、又《また》一人《ひとり》ヽヽヽと、群《むら》がる人《ひと》の頭《あたま》の上《うへ》に馬《うま》の首《くび》が見《み》える。血走《ちば》しつた物狂《ものぐる》ほしい目色《めつき》をして、齒齦《はぐき》まで露出《むきだ》した所《ところ》は、不氣味《ぶきみ》な奇怪《きくわい》な叫聲《さけびごゑ》を立《た》てゝゐるやうに見《み》えたけれど、其聲《そのこゑ》が聞《きこ》えるでもなかつた。首《くび》が見《み》えて、バタリと倒《たふ》れると、其處《そこ》に暫《しば》し人《ひと》だかりがする。皆足《みなあし》を駐《とゞ》めて、皺嗄《しやが》れた冴《さ》えぬ聲《こゑ》で何《なに》やら喚《わめ》くとドンと一|發《ぱつ》銃聲《じうせい》が聞《きこ》えて、又皆《またみな》默《だま》つて動出《うごきだ》して、際限《さいげん》もなく續《つゞ》いて行《ゆ》く。私《わたし》はやがて一|時間《じかん》も石《いし》の上《うへ》に腰《こし》を掛《か》けてゐたが、其間《そのあひだ》絕《た》えず人影《ひとかげ》は眼前《がんぜん》を過《す》ぎ行《ゆ》いて、空《そら》はゆすれ、地《ち》は搖《ゆる》ぎ、遠《とほ》く幽靈《いうれい》の如《ごと》くに行《ゆ》く隊伍《たいご》の影《かげ》は戰《をのゝ》くやうに見《み》えた。骨《ほね》を枯《から》さむとする暑《あつ》さは更《さら》に肉《にく》に徹《とほ》つて、瞥《ちら》りと眼《め》に映《うつ》つた物《もの》は、直《す》ぐ忘《わす》れて了《しま》ふ。眼前《がんぜん》を過《す》ぎ行《ゆ》く人影《ひとかげ》は暫《しばら》くも絕《た》えぬが、過《す》ぎ行《ゆ》く人《ひと》の誰《だれ》だかは分《わか》らない。一|時間程前《じかんほどまへ》に此石《このいし》に腰《こし》を掛《か》けてゐたのは私《わたし》一人《ひとり》だつたが、今《いま》は周圍《ぐるり》に灰色《はいゝろ》の人《ひと》が一塊《ひとかたまり》り集《あつ》まつた。或者《あるもの》は地《ち》に伏《ふ》して動《うご》かない。死《し》んでゐるのかと思《おも》はれる。或者《あるもの》は私《わたし》のやうに石《いし》に腰《こし》を掛《か》けて、氣脫《きぬ》けしたやうな面《かほ》をして、通《とほ》る人《ひと》を見《み》てゐる。銃《じう》を持《も》つてゐる者《もの》は兵士《へいし》らしいが、丸裸《まるはだか》に近《ちか》い姿《すがた》で、蘇枋染《すほうぞ》めの、見《み》るも厭《いや》らしい色合《いろあひ》の肌《はだ》をした者《もの》もある。つい其處《そこ》に誰《だれ》だか素肌《すはだ》の背《せ》を上《うへ》に向《む》けて寢《ね》てゐる。稜立《かどだ》つた熱《あつ》い石《いし》に面《かほ》を伏《ふ》せて平氣《へいき》でゐるさへあるに、仰向《あふむ》けにした掌《てのひら》を見《み》れば白《しろ》いから、死人《しにん》のやうであるけれど、背《せ》の色《いろ》は生人《せいじん》のそれの如《ごと》く赤《あか》い。唯《たゞ》燻肉《くすべにく》のやうに聊《いさゝ》か黄味《きみ》を帯《お》びてゐるので、此世《このよ》の人《ひと》でない事《こと》が知《し》れる。私《わたし》は此《この》死骸《しがい》の側《そば》を退《ど》きたかつたが、退《ど》く力《ちから》が無《な》かつたのでふら〳〵しながら、矢張《やつぱり》ふら〳〵と幽靈《いうれい》のやうに行《ゆ》く人《ひと》の際限《さいげん》もなく續《つゞ》く列《れつ》を見《み》てゐた。今《いま》にも日射病《につしやびやう》に罹《かゝ》るのは頭《あたま》の工合《ぐあひ》でも知《し》れてゐたが、平氣《へいき》で其《それ》に罹《かゝ》るのを待《ま》つてゐた。宛《まる》で夢心地《ゆめごゝち》で、死《し》といふものは、不思議《ふしぎ》な綾《あや》に絡《から》むだ夢想《むさう》の街道《かいだう》の立塲《たてば》か何《なん》ぞのやうに思《おも》はれた。  と見《み》ると、連《つれ》を離《はな》れて思切《おもひき》つた體《てい》に此方《こちら》を目蒐《めが》けて來《く》る一人《ひとり》の兵《へい》がある。其姿《そのすがた》がしばし窪《くぼ》みに隱《かく》れて、やがて又《また》其《それ》を這出《はひだ》して來《く》るのを見《み》れば、危《あぶ》ない足取《あしど》りで、手《て》も足《あし》も頽然《ぐたり》となりさうなのを、然《さ》うはさせまいと力《りき》むのが、もう精《せい》一|杯《ぱい》の所《ところ》らしい。正面《まとも》に私《わたし》を目蒐《めが》けて來《く》るので、苦《くる》しい夢《ゆめ》にもやもやと腦《なう》を閉《と》ぢられさうな中《なか》でも、駭然《ぎよツ》として、「何《なん》だ?」  聲《こゑ》を掛《か》けると、兵《へい》はピタリと立止《たちど》まつた。聲《こゑ》の掛《かゝ》るのを待《ま》つてゐたのかと思《おも》はれる。髯《ひげ》むしやの大男《おほをとこ》で、襟《えり》の裂《さ》けた服《ふく》を着《き》て、衝立《つツた》つてゐる。銃《じう》を持《も》つてゐなかつた。ズボンは釦一《ボタンひと》つで支《さゝ》へてゐて、その綻《ほころ》びの切目《きれめ》から白《しろ》い肌《はだ》が透《す》いて見《み》える。手足《てあし》が頽然《ぐたり》とだらけるのを、だらけさすまいと氣《き》を張《は》つてゐるけれど、もう其《それ》も叶《かな》はぬ。一《ひと》つに寄《よ》せた手《て》が直《す》ぐとダラリと左右《さいう》に垂《た》れる。 「貴樣《きさま》如何《どう》したのか? まあ、坐《すわ》れ。」  けれども兵《へい》は衝立《つツた》つたまゝ、締《し》めても〳〵だらけながら、默《だま》つて人《ひと》の面《かほ》を視《み》てゐる。私《わたし》も我知《われし》らず起上《たちあが》つた。よろ〳〵しながら其眼《そのめ》を覗《のぞ》き込《こ》むと限《かぎ》りなき怖《おそれ》と狂《くる》つた氣《き》が浮《う》いて見《み》える。誰《だれ》の瞳《ひとみ》も皆《みな》蹙《しゞ》まつてゐるのに、これのばかりは眼《め》一|杯《ぱい》に擴《ひろ》がつてゐる。かうした大《おほ》きい窓《まど》から覗《のぞ》いたら、外《そと》は嘸《さ》ぞ火《ひ》の海《うみ》のやうに見《み》えやう。偶然《ひよツ》としたら、これの眼色《めざし》に浮《うか》んでゐるのが死《し》の影《かげ》ではあるまいかと思《おも》はれた――いや、さう思《おも》はれたばかりではない、それに相違《さうゐ》なかつたのだ。この眞黑《まつくろ》な、底《そこ》も知《し》れぬ、烏《からす》のそれのやうにオレンジ色《いろ》の細《ほそ》い縁《ふち》を取《と》つた瞳《ひとみ》には、死《し》以上《いじやう》、死《し》の恐怖《きやうふ》以上《いじやう》のものが浮《う》いてゐたのだ。 「彼方《あツち》へ行《い》け、彼方《あツち》へ!」と一足《ひとあし》退《さ》つて、私《わたし》は喚《わめ》いた。  と、かう言《い》ふのを待《ま》つてゐたやうに、其兵《そのへい》がバタリと私《わたし》の上《うへ》へ倒《たふ》れ懸《かゝ》つた。頽然《ぐたり》とした、物《もの》を言《い》わぬ、大《おほき》な奴《やつ》に推倒《おしたふ》されて、私《わたし》も倒《たふ》れた。わなゝきながら、壓付《おしつ》けられた足《あし》を引外《ひツはづ》して、跳起《はねおき》るや――もう方角《はうがく》も何《なに》も有《あ》つたものでない、唯《たゞ》人《ひと》の居《ゐ》ぬ方《はう》へ、唯《たゞ》日光《ひかげ》のちらつく遠方《ゑんぱう》へ逃《に》げやうとする時《とき》、右手《ゆんで》の山《やま》の嶺《いたゞき》でドンと一|發《ぱつ》鳴《な》る。直《す》ぐ其後《そのあと》から木魂《こだま》のやうに續《つゞ》けざまにドン〳〵と二|發《はつ》鳴《な》る。と、何處《どこ》か頭上《づじやう》を破裂彈《はれつだん》が飛《と》んで行《ゆ》く。其音《そのおと》に大勢《おほぜい》が喜《よろこ》び勇《いさ》むで、喚《わめ》き、叫《さけ》び、哮《たけ》るやうな聲《こゑ》が籠《こも》つて聞《きこ》えた。  敵《てき》が迂廻《うくわい》した!  死《し》にさうな暑《あつ》さも、怖《おそ》ろしさも、疲《つか》れも、さらりと忘《わす》れる。氣《き》が判然《はつきり》する。思《おも》ふ所《ところ》が顕《けざや》かに浮上《うきあが》る。息《いき》せき切《き》つて、走《はし》つて立直《たちなほ》つた列《れつ》に就《つ》かうとする時《とき》、晴《はれ》やかな嬉《うれ》しさうな面《かほ》がちら〳〵見《み》え、皺嗄《しやが》れ聲《ごゑ》で喚《わめ》く聲《こゑ》が聞《きこ》え、號令《がうれい》が聞《きこ》え、無駄口《むだぐち》叩《たゝ》く聲《こゑ》も聞《きこ》えた。日《ひ》は邪魔《じやま》にならぬやうに競上《せりあが》りでもしたのか、朦朧《ぼんやり》となつて押鎭《おしゝづ》まる――と、又《また》魔法使《まはふづかひ》がキゝと叫《さけ》ぶやうな音《おと》を立《た》てゝ、空《くう》を截《き》つて破裂彈《はれつだん》が飛《と》ぶ。  私《わたし》は隊《たい》に近《ちか》づいた…   (斷篇第二)  …馬《うま》も兵《へい》も皆《みな》戰死《せんし》した。第《だい》八|砲列《はうれつ》も其通《そのとほ》り。我《わが》第《だい》十二|砲列《はうれつ》で、三日目《みツかめ》の夕刻《ゆふこく》まで無事《ぶじ》であつたのは僅《わづ》か砲《はう》三|門《もん》と、――跡《あと》は皆壞《みなこは》されて了《しま》つたので、――それに砲手《はうしゆ》六|人《にん》に將校《しやうかう》一人《ひとり》といふのが即《すなは》ち私《わたし》だ。もう二十|時間《じかん》も一|睡《すゐ》もせず、何《なに》も食《く》はない。三|晝夜《ちうや》もサタンの磤《はた》めき哮《たけ》る中《なか》に居《ゐ》たので、狂氣《きやうき》の黑雲《くろくも》に引包《ひツつゝ》まれて、地《ち》を離《はな》れ、空《そら》を離《はな》れ、味方《みかた》を離《はな》れて、生《い》きながら狂人《きやうじん》の如《ごと》くに小迷《さまよ》ふ。死人《しにん》は靜《しづ》かに臥《ね》ても居《ゐ》るが、吾々《われ〳〵》はくれ〳〵と立働《たちはた》らいて、勤《つと》める所《ところ》は勤《つと》め、物《もの》を言《い》ひ、笑《わら》ひまでして、――それでゐて宛然《さながら》の狂人《きやうじん》だ。危《あぶ》な氣《げ》なく活溌《くわつぱつ》に働《はたら》いて、命令《めいれい》も明瞭《はツきり》下《くだ》せば、又其《またそれ》を間違《まちが》ひなく仕遂《しと》げても行《ゆ》くが、それでゐて、若《も》し突然《とつぜん》誰《だれ》かを捉《つかま》へて、お前《まへ》は誰《だれ》だと聞《き》いたなら、うやむやの頭《あたま》では、恐《おそ》らく何《なん》と答《こた》へたものか、分《わか》らなかつたらう。夢《ゆめ》を見《み》てゐるやうなもので、誰《だれ》の顏《かほ》も疾《と》うからの馴染《なじみ》らしく見《み》え、何事《なにごと》が起《おこ》つても、矢張《やツぱ》り嘗《かつ》て有《あ》つた、覺《おぼ》えのある、知《し》り拔《ぬ》いてゐる事《こと》のやうに思《おも》はれるが、其癖《そのくせ》誰《だれ》かの顏《かほ》が砲《はう》を凝《じツ》と視《み》てゐると、或《あるひ》は砲聲《はうせい》に耳《みゝ》を傾《かたむ》けてゐると、どれも〴〵皆《みん》な目《め》の覺《さ》める程《ほど》珍《めづ》らしくて、解《と》いても〳〵解《と》き盡《つく》せぬ謎《なぞ》か何《なん》ぞのやうに思《おも》はれる。何時《いつ》の間《ま》にか夜《よ》になる。それと氣《き》が附《つ》いて、何處《どこ》の隅《すみ》から暗《くら》くなつて來《き》たのかと怪《あや》しむ間《ま》さへなく、又《また》頭《あたま》の上《うへ》で赫《くわツ》と日《ひ》が照《て》り出《だ》す。偶々《たま〳〵》餘處《よそ》から來《き》た者《もの》に聞《き》いて、始《はじめ》て戰鬪《せんとう》も最《も》う三日目《みツかめ》と分《わか》るが、それも傍《そば》から直《す》ぐ忘《わす》れて了《しま》ふ。如何《どう》やら暮《く》れも明《あ》けもせぬ延《のべ》たらの一|日《じつ》のやうで、暗《くら》い時《とき》もあれば、明《あか》るい時《とき》もあるが、何《いづ》れにしても滅茶苦茶《めちやくちや》で、薩張《さツぱり》譯《わけ》が分《わか》らない。而《さう》して誰《だれ》も死《し》を畏《おそ》れない。死《し》ぬといふのが如何《どん》な事《こと》だか、それも分《わか》らない。  三日目《みツかめ》だつたか、四日目《よツかめ》だつたか、覺《おぼ》えがないが、一寸《ちよツと》胸壁《きょうへき》の蔭《かげ》で横《よこ》になつて眼《め》を閉《と》ぢると、忽《たちま》ち例《れい》の馴染《なじみ》の、しかし不思議《ふしぎ》な物《もの》が見《み》える。それは靑色《あをいろ》の壁紙《かべがみ》が少《すこ》しばかりと、私《わたし》のと極《き》めた小卓《こテーブル》の上《うへ》の埃塗《ほこりまぶ》れの手着《てつ》かずの壜《びん》で、隣室《りんしつ》には妻《さい》も忰《せがれ》も居《ゐ》るやうだが、姿《すがた》が見《み》えぬ。唯《たゞ》此時《このとき》は卓《テーブル》の上《うへ》に綠色《みどりいろ》の笠《かさ》を被《き》たランプが點《とぼ》つてゐたから、宵《よひ》か夜中《よなか》だつたに違《ちが》ひない。で、かうした所《ところ》が眼前《がんぜん》に留《とま》つて動《うご》かぬから、私《わたし》は永《なが》いこと、心靜《こゝろしづ》かに、ためつすがめつ壜《びん》のグラスにちらつく火影《ほかげ》を視《み》、壁紙《かべがみ》を眺《なが》めて、心《こゝろ》の中《うち》で、もう夜《よる》だ、寢《ね》る時分《じぶん》だのに、何故《なぜ》坊《ばう》は寢《ね》ないのだらうと思《おも》つてゐた。で、又《また》壁紙《かべがみ》を眺《なが》めて見《み》ると、唐草《からくさ》に、銀色《ぎんしよく》の花《はな》に、格子《かうし》のやうな物《もの》に、管《くだ》のやうな物《もの》と――や、我《わが》居間《ゐま》ながら、かうも能《よ》く見識《みし》つてゐやうとは思《おも》ひ掛《が》けなかつた。時々《とき〴〵》目《め》を開《あ》いて、處々《ところ〴〵》美《うつく》しい明《あか》るい縞《しま》の入《はい》つた眞黑《まつくろ》な空《そら》を眺《なが》めては、又《また》目《め》を閉《と》ぢて、更《さら》に壁紙《かべがみ》を視《み》、壜《びん》の光《ひか》るのを視《み》て、もう夜《よる》だ、寢《ね》る時分《じぶん》だのに、何故《なぜ》坊《ばう》は寢《ね》ないのだらうと思《おも》ふ。一|度《ど》近《ちか》くで砲彈《はうだん》が破裂《はれつ》した。其時《そのとき》何《なに》やら兩足《りやうあし》にふわりと觸《ふ》れたと思《おも》ふと、誰《だれ》だか大聲《おほごゑ》で、砲彈《はうだん》の破裂《はれつ》した音《おと》よりも上手《うはて》の聲《こゑ》で、ワッと叫《さけ》んだ。誰《だれ》か射《や》られたなと思《おも》つたが、起上《おきあが》りもせんで、私《わたし》は凝然《ぢツ》とあからめもせず靑色《あをいろ》の壁紙《かべがみ》と壜《びん》を眺《なが》めてゐた。  軈《やが》て起上《おきあが》つて、歩《ある》き廻《まは》り、指揮《しき》をしたり、人《ひと》の顏《かほ》を覗《のぞ》き込《こ》むだり、照準《せうじゆん》を極《き》めたりしたが、心《こゝろ》では矢張《やツぱ》り、何故《なぜ》坊《ばう》は寢《ね》ないのだらう、と思《おも》つてゐた。一|度《ど》傳騎《でんき》に其《その》理由《わけ》を聞《き》いたら、永《なが》いこと何《なん》だか事細《ことこま》かに説明《せつめい》して呉《く》れて、二人《ふたり》で點頭《うなづき》あつた。傳騎《でんき》は笑《わら》つた。其面《そのかほ》を見《み》ると、左《ひだり》の眉《まゆ》を釣上《つりあ》げて、背後《うしろ》の誰《だれ》かに擽《くす》ぐツたい目交《めまぜ》をしてゐたが、背後《うしろ》には誰《だれ》かの足《あし》の裏《うら》が見《み》えたばかりで、外《ほか》には何《なに》も見《み》えなかつた。  此時《このとき》四邊《あたり》は最《も》う明《あか》るくなつて居《ゐ》たが、不意《ふい》にポツリと降《ふ》つて來《き》た。なに、雨《あめ》と云《い》つても矢張《やツぱり》故鄉《くに》で降《ふ》るやうな雨《あめ》で、ほんの詰《つま》らん點滴《しづく》では有《あ》つたけれど、不意《ふい》に、降《ふ》らずもの時《とき》に降《ふ》つて來《き》たので、皆《みな》濡《ぬ》れるのを畏《おそ》れて、狼狽《らうばい》して射擊《しやげき》を中止《ちうし》し、砲《はう》も何《なに》も放散《ほりちら》かして置《お》いて、やたら無性《むしやう》に其處《そこ》らの物蔭《ものかげ》へ逃《に》げ込《こ》むだ。只《たツ》た今《いま》私《わたし》と物《もの》を言《い》つてゐた傳騎《でんき》は、砲車《ほうしや》の下《した》へ潜《もぐ》り込《こ》むで身《み》を縮《ちゞ》めてゐたが、――危《あぶ》ない、今《いま》にも壓潰《おしつぶ》されるかも知《し》れないのに、太《ふと》つた砲手《はうしゆ》は、何《なん》と思《おも》つてか、或《あ》る戰死者《せんししや》の服《ふく》を剝《は》ぎに掛《かゝ》つた。私《わたし》は陣地《ぢんち》を走《はし》り廻《まは》つて、蝙蝠傘《かうもりがさ》だか、外套《ぐわいたう》だかを捜《さが》してゐた。蔽《かぶ》さる雲《くも》の中《なか》から雨《あめ》の降《ふ》り出《だ》したのは隨分《ずゐぶん》廣《ひろ》い塲面《ばめん》だつたが、其《その》塲面《ばめん》全體《ぜんたい》にふツと妙《めう》に寂然《しん》となる。榴霰彈《りうさんだん》が一《ひと》つ後馳《おくればせ》にブンと飛《と》んで來《き》て、パッと破裂《はれつ》して、又《また》寂然《しん》となる。寂然《しん》となつたので、太《ふと》つた砲手《はうしゆ》の荒《あら》い鼻息《はないき》が聞《き》える。石塊《いしころ》や砲身《はうしん》を打《う》つ雨《あめ》の音《おと》も聞《きこ》える。かう寂然《しん》とした中《なか》で、ぱら〳〵といふ閑《しづ》かな秋《あき》めかしい雨《あめ》の音《おと》を聽《き》き、濡土《ぬれつち》の香《か》を嗅《か》ぐと、淺《あさ》ましい血羶《ちなまぐさ》い夢《ゆめ》が瞬《またゝ》く間《ま》覺《さ》めたやうな氣《き》がして、雨《あめ》にきらつく砲身《はうしん》を見《み》れば、幼《おさな》い頃《ころ》の事《こと》でもない、初戀《はつこひ》でもない、しめやかに懷《なつ》かしい何《なに》かゞ、不思議《ふしぎ》にもふと想出《おもひだ》される。此時《このとき》遠方《ゑんぱう》でドンと最初《さいしよ》の一|發《ぱつ》が際立《きはだ》つて音高《おとたか》く鳴《な》ると、一寸《ちよツと》寂然《しん》としたのに魅《み》せられてゐた氣味《きみ》は去《さ》つて、皆《みな》隱《かく》れ塲《ば》から這出《はひだ》す。逃込《にげこ》む時《とき》のやうに、這出《はひだ》す時《とき》も唐突《たうとつ》だつた。太《ふと》つた砲手《はうしゆ》が誰《だれ》かを叱《しか》り飛《と》ばす。砲《はう》が鳴《な》る、又《また》鳴《な》る――と散々《さん〳〵》惱《なや》まされ拔《ぬ》いた腦《なう》が又《また》絳《あか》い霞《かすみ》に直《ひた》と鎖《とざ》される。雨《あめ》は何時《いつ》止《や》んだか、誰《だれ》も氣《き》が附《つ》かなかつたが、砲手《はうしゆ》が戰死《せんし》して其《その》むく〳〵と太《ふと》つた顏《かほ》の肉《にく》が落《お》ちて黄《き》ばむでも、尙《な》ほ點滴《しづく》が垂《た》れてゐたのを今《いま》に覺《おぼ》えてゐるから、何《なん》でも隨分《ずいぶん》長《なが》いこと降《ふ》つてゐたに違《ちが》ひない。  …未《ま》だ生若《なまわか》い志願兵《しぐわんへい》だつたつが、私《わたし》の前《まへ》に直立《ちよくりつ》して擧手《きよしゆ》の禮《れい》をしながら報告《ほうこく》するのを聞《き》くと、司令官《しれいくわん》から、其隊《そのたい》はもう二|時間《じかん》支《さゝ》ふべし、されば援兵《ゑんぺい》を送《おく》るといふ命令《めいれい》ださうだ。私《わたし》は何故《なぜ》坊《ばう》はまだ寢《ね》ないのだらうと心《こゝろ》では思《おも》いながら、口《くち》では何時間《なんじかん》でも支《さゝ》へてお目《め》に掛《か》けると答《こた》へた。さう答《こた》へた時《とき》、何故《なぜ》だか其《その》志願兵《しぐわんへい》の面《かほ》がふと目《め》に留《と》まる。大方《おほかた》非常《ひじやう》に蒼褪《あをざ》めてゐた所爲《せゐ》だつたらう。之程《これほど》蒼白《あをじろ》い面《かほ》を見《み》た事《こと》がない。死人《しにん》の面《かほ》だつて、此髭《このひげ》のない若若《わかわか》しい面《かほ》から見《み》れば、まだ紅味《あかみ》がある。必《かなら》ず途中《とちう》で度膽《どぎも》を拔《ぬ》かれたのが未《ま》だ直《なほ》らなかつたのに違《ちが》ひない。目庇《まびさし》へ手《て》を擧《あ》げてるのは、この慣《な》れた無雜作《むざうさ》な手振《てぶり》で、氣《き》も漫《そゞ》ろになる程《ほど》の怖《おそ》ろしさを紛《まぎ》らさうとしてゐたのだらう。 「怖《おそ》ろしいのか?」といひながら其手《そのて》に觸《ふ》れて見《み》ると、手《て》は棒《ぼう》のやうに硬《こは》ばつてゐたが、當人《たうにん》は幽《かす》かに莞爾《にツこ》としたばかりで、何《なん》とも言《い》はなかつた。いや、寧《むし》ろ口元《くちもと》で微笑《びせふ》の眞似《まね》をしたばかりで、眼《め》には唯《たゞ》初々《うひ〳〵》しさ、怖《おそ》ろしさが光《ひか》るのみ、其外《そのほか》には何《なに》も無《な》かつた。 「怖《おそ》ろしいのか?」と私《わたし》は又《また》優《やさ》しく言《い》つて見《み》た。  志願兵《しぐわんへい》が何《なに》か言《い》はうとして口元《くちもと》を動《うご》かした時《とき》、不思議《ふしぎ》な、奇怪《きくわい》な、何《なん》とも合點《がてん》の行《ゆ》かぬ事《こと》が起《おこ》つた。右《みぎ》の頰《ほう》へふわりと生溫《なまぬる》い風《かぜ》が吹付《ふきつ》けて、私《わたし》はガクッとなつた――唯《たゞ》其丈《それだけ》だつたが、眼前《がんぜん》には今迄《いままで》蒼褪《あをざ》めた面《かほ》の在《あ》つた處《ところ》に、何《なん》だかプツリと丈《たけ》の蹙《つま》つた、眞紅《まつか》な物《もの》が見《み》えて、其處《そこ》から鮮血《せんけつ》が栓《せん》を拔《ぬ》いた壜《びん》の口《くち》からでも出《で》るやうに、ドク〳〵と流《なが》れてゐる所《ところ》は、拙《まづ》い繪看板《ゑかんばん》に能《よ》く有《あ》る圖《づ》だ。で、そのプツリと切《き》れた眞紅《まつか》な物《もの》から血《ち》がドク〳〵と流《なが》れる處《ところ》に、齒《は》の無《な》い顏《かほ》でニタリと笑《わら》つて赤《あか》い笑《わらひ》の名殘《なごり》が見《み》える。  これには見覺《みおぼ》えがある。之《これ》を尋《たづ》ねて漸《やうや》く尋《たづ》ね當《あ》てたのだ。其處《そこ》らの手《て》が捥《も》げ、足《あし》が千切《ちぎ》れ、微塵《みぢん》になつた、奇怪《きくわい》な人體《じんたい》の上《うへ》に浮《う》いて見《み》える物《もの》を何《なに》かと思《おも》つたら、是《これ》だつた、赤《あか》い笑《わらひ》だつた。空《そら》にも其《それ》が見《み》える。太陽《たいやう》にも見《み》える。今《いま》に此《この》赤《あか》い笑《わらひ》が地球全體《ちきうぜんたい》に擴《ひろ》がるだらう。  皆《みな》もう平氣《へいき》で瞭然《はつきり》と狂人《きちがひ》のやうに…  (斷篇第三)  …物狂《ものくる》ほしさと怖《おそ》ろしさとだ。  風聞《ふうぶん》に據《よ》ると、敵《てき》にも味方《みかた》にも精神病《せいしんびやう》の患者《くわんじや》は夥《おびたゞ》しいものだと云《い》ふ。我軍《わがぐん》でも精神病舎《せいしんびやうしや》が四棟《よむね》出來《でき》た。參謀部《さんぼうぶ》へ行《い》つた時《とき》、副官《ふくゝわん》が見《み》せて呉《く》れたが…  (斷篇第四)  …蛇《へび》のやうに絡《から》み付《つ》く。現《げん》に其《その》友人《いうじん》が見《み》て來《き》ての話《はなし》に、鐵條網《てつでうもう》の一|端《たん》がプツリと切《き》れて、ピンと跳返《はねかへ》つて、クル〳〵と兵《へい》三|人《にん》に絡《から》み付《つ》いた。齒《は》が軍服《ぐんぷく》を突拔《つきぬ》いて肉《にく》に喰込《くひこ》むから、兵《へい》は悲鳴《ひめい》を揚《あ》げて、狂氣《きやうき》の如《ごと》く轉《ころ》げ廻《まは》つてゐる中《うち》に、一人《ひとり》は死《し》んで了《しま》つたが、其《その》死骸《しがい》を跡《あと》の二人《ふたり》が引摺《ひきず》つて轉《ころ》げ廻《まは》る。やがて生《い》きてゐるのは一人《ひとり》となる。生殘《いきのこ》つたのが、二人《ふたり》の死骸《しがい》を突離《つきはな》さうとするけれど、死骸《しがい》は附纏《つきまと》つて來《き》て、一|緒《しよ》に轉《ころ》がり、三人|《にん》の體《からだ》が上《うへ》になり下《した》になりしてゐる中《うち》に、ふと一|度《ど》にパタリと動《うご》かなくなつて了《しま》つたさうだ。  友《とも》の話《はなし》だと、此《この》鐵條網《てつでうもう》一《ひと》つで二千からの戰死者《せんししや》を出《だ》したと云《い》ふ。皆《みな》鐵條網《てつでうもう》を截《き》らうとして、蛇《へび》に卷付《まきつ》かれたやうに、進退《しんたい》の自由《じいう》を失《うしな》つてゐる處《ところ》を、大小《だいせう》の彈丸《だんぐわん》を雨《あめ》の如《ごと》く間斷《かんだん》なく浴《あび》せ蒐《か》けられたのだ。怖《おそ》ろしいとも何《なん》とも云樣《いひやう》がない。若《も》し逃《に》げる方角《はうがく》が分《わか》つてゐたら、臆病風《おくびやうかぜ》に吹卷《ふきまく》られて此時《このとき》の攻擊《こうげき》は總崩《そうくづ》れになつたらうが、何《なに》しろ十重二十重《とへはたへ》鐵條網《てつでうもう》を張渡《はりわた》してある。必死《ひつし》になつて其《それ》を破《やぶ》ると、今度《こんど》は底《そこ》に杭《くひ》を打込《うちこ》んだ狼穽《らうせい》が幾《いく》つとなく掘《ほ》つてあつて、是《これ》が又《また》迷宮同樣《めいきうどうやう》とあるから、皆《みな》度《ど》を失《うしな》つて了《しま》つて、逃《に》げる方角《はうがく》が附《つ》かなかつたのだと云《い》ふ。  或者《あるもの》は全《まつた》く盲目《めくら》のやうになつて、漏斗形《じやうごがた》した深《ふか》い坑《あな》に踏《ふ》ん込《ご》み、尖《とが》つた杭《くひ》の先《さき》に芋刺《いもざし》になつて、虚空《こくう》を掴むで藻搔《もが》く。宛然《さながら》玩具《おもちや》の道化人形《どうけにんぎやう》が踊《をど》るやうだ。其上《そのうへ》へ又《また》來《き》ては突刺《つゝさゝ》るから、まだ溫味《ぬくみ》のある、或《あるひ》は冷《ひ》え切《き》つた、血塗《ちみどろ》の體《からだ》がうよ〳〵と盛上《もりあが》つて、直《ぢ》き坑《あな》一|杯《ぱい》になつて了《しま》ふ。其處《そこ》にも此處《こゝ》にも腕《うで》が如龜々々《によき〳〵》と突出《つきで》てゐて、痙攣《けいれん》を起《おこ》してヒク〳〵してゐる指先《ゆびさき》で何《なん》にでもしがみ付《つ》く。一|度《ど》陷《おち》たら、最《も》う出《で》られない。剛《こは》ばつて蟹《かに》の鋏《はさみ》のやうになつた數百《すひやく》の指《ゆび》が、無性《むしやう》に足《あし》を引掴《ひつゝか》み、服《ふく》を引掴《ひつつか》み、己《おの》が上《うへ》へと引倒《ひきたふ》して置《お》いて、眼肉《がんにく》を抉《ゑぐ》り、首《くび》を締《しめ》る。が、大抵《たいてい》は酒《さけ》にでも醉《よ》つてゐるやうに、正面《まとも》に鐵條網《てつでうもう》を目蒐《めが》けて駆出《かけだ》し、引掛《ひつかゝ》つて喚《わめ》き叫《さけ》んでゐる中《うち》に、彈丸《たま》に中《あた》つて往生《わうじやう》して了《しま》ふ。  さうはいふものゝ、醉漢《ゑひどれ》のやうになるのは一|般《ぱん》の事《こと》で、鐵條網《てつでうもう》に手《て》や足《あし》を絡《から》められゝば、誰《だれ》でも大《おほい》に罵《のゝし》つたり、或《あるひ》は笑《わら》つたりする。而《さう》して其儘《そのまゝ》死《し》んで了《しま》ふ。この話《はなし》をした男《をとこ》も、朝《あさ》から飲《の》まず食《く》はずでゐたのださうだが、不思議《ふしぎ》な氣持《きもち》で、怖《おそ》ろしい怖《おそ》ろしいで目《め》が眩《くら》む最中《さなか》に、一寸《ちよつと》の間《ま》無性《むしやう》に愉快《ゆくわい》になる――怖《おそ》ろしいのが愉快《ゆくわい》なのだ。誰《だれ》だか隣《とな》りで歌《うた》を唄《うた》ひ出《だ》したから、一|緒《しよ》になつて唄《うた》つてゐると、頓《やが》て其處《そこ》らの者《もの》が皆仲間《みなゝかま》へ入《はい》つて立派《りつぱ》な合唱《がつしやう》になる。拍子《ひやうし》が中々《なか〳〵》好《よ》く揃《そろ》ふ。何《なに》を唄《うた》つたか、覺《おぼ》えがないが、何《なん》でもかう愉快《ゆくわい》な舞踏歌《ぶたううた》のやうな物《もの》だつたと云《い》ふ。で、唄《うた》つてゐると、其處《そこ》らが血塗《ちみどろ》に眞紅《まつか》になる。空《そら》まで眞紅《まつか》に見《み》えて、天地間《てんちかん》に何《なに》か一|大變異《だいへんい》、奇怪《きくわい》な變化《へんくわ》が起《おこ》つたやうな氣勢《けはひ》で、物《もの》の綾色《あいろ》も分《わか》らなくなる。水色靑《みづいろあを》などゝいふ穩《おだや》かな目《め》に慣《な》れた色《いろ》は消《き》えて了《しま》つて、太陽《たいやう》が眞紅《まつか》にベンガラ色《いろ》に炎《も》える。 「赤《あか》い笑《わらひ》だ」  と私《わたし》は言《い》つたが、相手《あひて》は其意味《そのいみ》が了解《のみこめ》んで、 「さう、笑《わら》ひもした。今話《いまはな》した通《とほ》りだ。宛然《まるで》皆酒《みンなさけ》に醉《よ》つてるやうだつた。いや、舞踏《ぶたう》も行《や》つたらう。何《なん》でも何《なに》か行《や》つた。少《すくな》くも其《その》三|人《にん》の兵《へい》の藻搔《もが》く所《ところ》は、宛然《まるで》舞踏《ぶたう》のやうだつた。」  今《いま》でも判然《はつきり》覺《おぼ》えてゐるさうだが、此男《このをとこ》が胸《むね》に貫通創《くわんつうさう》を受《う》けて倒《たふ》れてからも、失神《しつしん》する迄《まで》は、舞踏《ぶたう》で誰《だれ》かと足拍子《あしびやうし》を揃《そろ》へるやうに、足《あし》をピク〳〵と行《や》つてたさうだ。今《いま》となつて此日《このひ》の攻擊《こうげき》を憶出《おもひだ》すと妙《めう》な氣持《きもち》がして、怖《おそ》ろしい事《こと》は怖《おそ》ろしいが、最《も》う一|遍《ぺん》彼樣《あん》な思《おもひ》をして見《み》たいやうな氣《き》もすると云《い》ふ。 「而《さう》して又《また》胸《むね》へ一|發《ぱつ》喰《く》ひたいのか?」  と私《わたし》がいふと、 「馬鹿《ばか》言《い》へ! 出《で》る度《たび》に彈丸《たま》を喰《く》ふとは極《きま》つとりやせん。そんな事《こと》いふけど、君《きみ》、目覺《めざま》しい働《はたら》きをしてさ、勲章《くんしやう》貰《もら》ふのも惡《わる》くないぞ。」  さういふ其身《そのみ》は鼻《はな》が尖《とが》つて、顴骨《くわんこつ》が出《で》て、眼《め》が凹《くぼ》むで、黄《きい》ろい顏《かほ》をして仰向《あふむ》きに臥《ね》て、てもなく死人《しにん》だのに、まだ勲章《くんしやう》を夢《ゆめ》に見《み》てゐるのだ。もう化膿《くわのう》し出《だ》して、甚《ひど》い熱《ねつ》で、三日《みツか》經《た》てば穴《あな》の中《なか》へ轉《ころ》がし込《こ》まれて、死人《しにん》の仲間《なかま》へ入《はい》らなければなるまいに、臥《ね》ながら目《め》を開《あ》いて夢《ゆめ》を見《み》て、莞爾々々《にこ〳〵》して、勲章《くんしやう》の噂《うはさ》をしてゐるのだ。 「それは然《さ》うと、阿母《おツか》さんの所《とこ》へ電報《でんぽう》打《う》つたか?」 と私《わたし》は聞《き》いて見《み》た。  すると、ハッとした樣子《やうす》で、險《けは》しい眼色《めつき》で忌々《いま〳〵》しさうに私《わたし》の面《かほ》を眺《なが》めたなり、相手《あひて》は默《だま》つて了《しま》つたから、私《わたし》も默《だま》つてゐた。負傷者《ふしやうしや》が呻《うめ》いたり、譫言《うはごと》いつたりするのが耳《みゝ》に附《つ》く。軈《やが》て私《わたし》が起上《たちあが》つて出《で》て行《ゆ》かうとすると、友《とも》は熱《ねつ》は有《あ》つても未《ま》だ力《ちから》の脫《ぬ》けぬ手《て》で、緊《しツか》り私《わたし》の手《て》を握《にぎ》つて、肉《にく》の落《お》ちた炎《も》えるやうな眼《め》で、悲《かな》しさうに凝《ぢツ》と私《わたし》の面《かほ》を視詰《みつ》めて、如何《いか》にも途方《とはう》に暮《く》れたといふ體《てい》で、 「君《きみ》一|體《たい》如何《どう》したつて云《い》ふンだらう? え、君《きみ》?如何《どう》したツて云《い》ふンだらう?」と恟々《おど〳〵》しながら手《て》を引張《ひツぱ》つて、切《しき》りに答《こたへ》を逼《せま》る。 「何《なに》が?」 「何《なに》がつて、一|體《たい》…今度《こんど》の戰爭《せんさう》さ。母《はゝ》は僕《ぼく》の歸《かへ》るのを待《ま》つてるのだ。待《ま》つてたつて、君《きみ》、如何《どう》なるもんか…國家《こくか》の爲《ため》――其樣《そん》な事《こと》は母《はゝ》にや分《わか》りやせずさ。」 「赤《あか》い笑《わらひ》だ。」 「また! 君《きみ》は串戯《じやうだん》ばかり言《い》つてるけれど、僕《ぼく》は眞面目《しんめんもく》だよ。如何《どう》にかして納得《なつとく》させたいけれど、納得《なつとく》させやうがない。まあ、君《きみ》、如何《どん》な事《こと》を言《い》つて寄越《よこ》すと思《おも》ふ? そりや、實《じつ》に氣《き》の毒《どく》だ。手紙《てがみ》の文句迄《もんくまで》白髮《しらが》だ。しかし、君《きみ》も」、と珍《めづ》しさうに人《ひと》の頭《あたま》を眺《なが》めて、指差《ゆびさし》をして、急《きふ》に笑《わら》ひ出《だ》した。 「君《きみ》も禿《は》げ出《だ》したなあ! 知《し》つてるか?」 「鏡《かゞみ》が無《な》いもの。」 「いや、しかし、白髮《しらが》になる奴《やつ》や禿《はげ》になる奴《やつ》が大分《だいぶ》有《あ》るぞ。おい、鏡《かゞみ》を貸《か》して呉《く》れ、鏡《かゞみ》を! あゝ、僕《ぼく》も何《なん》だか白髮《しらが》が生《は》えて來《き》さうでならん。鏡《かゞみ》を貸《か》して呉《く》れ。」  譫語《うはごと》を言出《いひだ》して、泣《な》いたり笑《わら》つたりする。私《わたし》は病舎《びやうしや》を出《で》て了《しま》つた。  其《その》夕方《ゆふがた》園遊會《ゑんいうくわい》が開《ひら》かれた。不思議《ふしぎ》な侘《わび》しい園遊會《ゑんいうくわい》で、來會者《らいくわいしや》の中《うち》には死人《しにん》の影《かげ》も交《まじ》つてゐた。國《くに》でのピクニックの時《とき》のやうに、夕方《ゆふがた》集《あつ》まつて茶《ちや》を喫《の》む筈《はず》だつたので、湯沸《ゆわかし》の工面《くめん》をして、レモンやコップまで用意《ようい》して、矢張《やツぱり》ピクニックの時《とき》のやうに、トある木《き》の下《した》を會塲《くわいぢやう》と極《き》めた。で、一人《ひとり》づゝ、又《また》は二人《ふたり》三|人《にん》連立《つれだ》つて、常談《じやうだん》など言合《いひあ》つて話《はな》しながら、皆《みな》樂《たの》しみにして浮浮《うき〳〵》と賑《にぎや》かに寄《よ》つて來《き》たが、來《く》ると直《ぢ》きに默《だま》つて了《しま》つて、成《な》るべく顏《かほ》を見合《みあ》はせないやうにする。かうして生殘《いきのこ》つた者《もの》ばかり寄《よ》つて見《み》ると、何《なん》となく無氣味《ぶきび》だ。皆《みな》見《み》るも淺《あさ》ましい薄汚《うすきた》ない服装《なり》をして、惡性《あくせい》の疥癬《かいせん》でも病《や》むでゐるやうに、身體中《からだぢう》をぼり〳〵搔《か》く。髮《かみ》も髯《ひげ》も延次第《のびしだい》で、窶《やつ》れ切《き》つて、見慣《みな》れた昔《むかし》の姿《すがた》はないから、湯沸《ゆわかし》を中《なか》に、顏《かほ》を合《あは》せて見《み》ると、初《はじ》めて逢《あ》つたやうな氣持《きもち》がして、愕然《はツ》とする。度《ど》を失《うしな》つてうろ〳〵する此《この》人々《ひと〴〵》の中《うち》に、馴染《なじみ》の面《かほ》はないかと尋《たづ》ねて見《み》たが、一人《ひとり》も無《な》かつた。わく〳〵として落着《おちつき》がなく、起居《たちゐ》も荒《あら》く稜《かど》が有《あ》つて、一寸《ちよツと》した音《おと》にも恟《びく》りとし、絕《た》えず後《うしろ》を見《み》ては何《なに》かに氣《き》を附《つ》け、何處《どこ》かポカンと、不思議《ふしぎ》な穴《あな》が明《あ》く、その穴《あな》を覗《のぞ》いて視《み》るも無氣味《ぶきみ》なので、烈《はげ》しい手眞似《てまね》で之《これ》を塞《ふさ》がうとするなど、如何《どう》しても見《み》も知《し》らぬ餘所《よそ》の人《ひと》で、馴染《なじみ》がない。聲《こゑ》までが異《かは》つてゐる。激《はげ》しく、稜立《かどだ》つて、えいやつと物《もの》を言《い》ふそれが、動《やゝ》もすれば聲高《こはだか》になつたり、埒《らち》もない高笑《たかわらひ》になつて、制《と》めやうにも制《と》められぬ、といつた調子《てうし》。異《かは》つてゐるのは其《それ》ばかりでなく、木《き》にも馴染《なじみ》がなく、入日《いりひ》にも馴染《なじみ》がなく、水《みづ》も異臭異味《いしういみ》を帯《お》びた變《かは》つた水《みづ》で、宛然《さながら》死人《しにん》と一|緒《しよ》に人《ひと》の世《よ》を去《さ》つて、何處《どこ》か別世界《べつせかい》へでも來《き》たやうに、眼《め》に見《み》える物《もの》が皆《みな》神秘《しんぴ》で、怖《おそ》ろし氣《げ》な影《かげ》のやうな物《もの》が朦朧《もうらう》と其處《そこ》らに滿《み》ちてゐる。入日《いりひ》の影《かげ》は黄《き》ばむで冷《つめ》たく、何處《どこ》に明味《あかるみ》もない眞黑《まつくろ》な雨雲《あまぐも》が、凝《こ》つたやうに、重《おも》たさうに、其上《そのうへ》から覆《かぶ》さつて、下《した》には大地《だいち》が黑々《くろ〴〵》と、人《ひと》の面《かほ》も尋常《たゞ》ならぬ光《ひかり》を受《う》けて黄《きい》ろく死人色《しびといろ》に見《み》える。皆《みな》湯沸《ゆわかし》を見《み》てゐたが、湯沸《ゆわかし》の火《ひ》は消《き》えて、腹《はら》には黄《きい》ろく凄《すご》い入日《いりひ》の光《ひかり》を反射《はんしや》し、陰々《いん〳〵》として此世《このよ》の物《もの》ではないらしく、何《なん》だか本體《ほんたい》の分《わか》らぬ、奇怪《きくわい》な湯沸《ゆわかし》であつた。 「此處《こゝ》は何處《どこ》だ?」と誰《だれ》だか言《い》つたが、恟々《おど〳〵》した恐怖《きやうふ》に滿《み》ちた聲《こゑ》だつた。誰《だれ》だか溜息《ためいき》をした。と、わく〳〵して指《ゆび》の骨《ほね》を鳴《な》らす者《もの》がある、笑《わら》ひ出《だ》す者《もの》がある、躍《をど》り上《あが》つてテーブルの周圍《まはり》を急遽《せか〳〵》と廻《まは》り出《だ》す者《もの》もあつたが、此頃《このごろ》は能《よ》く斯《か》うして急遽《せか〳〵》と殆《ほとん》ど駆《か》け出《だ》さぬばかりに歩《ある》き廻《まは》る人《ひと》を見掛《みか》ける。而《さう》して皆《みな》妙《めう》に默《だま》つてゐる、物《もの》を言《い》つても口《くち》の中《うち》で沸々《ぶつ〳〵》言《い》うばかりだ。 「戰地《せんち》さ」、と高笑《たかわらひ》してゐたのが答《こた》へて、更《さら》に又《また》笑《わら》ひ出《だ》したが、冴《さ》えぬ聲《こえ》で、うふ〳〵と秩序《だらし》なく笑《わら》ふ所《ところ》は、何《なに》かゞ咽喉《のど》に塞《つま》つたやうだ。 「何《なに》が可笑《をか》しいンだ?」と、誰《だれ》だつたか、向腹《むかはら》を立《た》てゝ、「こら、止《よ》さんか!」  すると、笑《わら》つてゐたのが又《また》更《さら》に咽喉《のど》に物《もの》が塞《つま》つたやうに、フゝと笑《わら》つて、而《さう》して大人《おとな》しく默《だま》つて了《しま》つた。段々《だん〴〵》に薄暗《うすぐら》くなつて來《き》て、雨雲《あまぐも》は地《ち》を壓《あつ》し、黄《きい》ろく透徹《すきとほ》るやうな互《たがひ》の面《かほ》も辛《やツ》と見分《みわけ》られる程《ほど》になつた。誰《だれ》だつたか、 「トキニ「大長靴《おほながぐつ》」は何處《どこ》へ行《い》つたらう?」 「大長靴《おほながぐつ》」と渾名《あだな》を呼《よ》ばれたのは、小造《こづく》りの癖《くせ》に、大《おほ》きな水浸《みづし》まずの長靴《ながぐつ》を穿《は》いてゐる士官《しくわん》だつた。 「只《たツ》た今《いま》此處《こゝ》に居《ゐ》たツけが…大長靴《おほながぐつ》、何處《どこ》に居《ゐ》る?」  皆《みな》笑《わら》ひ出《だ》した。その笑聲《わらひごゑ》がまだ止《や》まぬ中《うち》に、暗黑《くらやみ》から憤《おこ》つたやうな尖《とが》り聲《ごゑ》で、 「止《よ》せ! 馬鹿《ばか》な! 大長靴《おほながぐつ》は今朝《けさ》偵察《ていさつ》に出《で》て討《や》られたのを知《し》らんか?」 「そんな筈《はず》はない。只《たツ》た今《いま》此處《こゝ》に居《ゐ》たンだもの。」 「そんな氣《き》がしたンだ。おい、湯沸《ゆわかし》の側《そば》の先生《せんせい》、レモンを一《ひと》つ切《き》つて呉《く》れんか。」 「僕《ぼく》にも! 僕《ぼく》にも!」 「レモンは悉《みな》になつた。」 「そりや不都合《ふつがふ》だ」、と忌々《いま〳〵》しさうに、情《なさ》けなさゝうに、殆《ほとん》ど泣《な》かぬばかりに、小聲《こごゑ》に言《い》つて、「レモンを樂《たの》しみにして來《き》たンだのに。」  例《れい》のが又《また》冴《さ》えぬ聲《こゑ》で締《しま》りなく笑《わら》ひ出《だ》したが、もう誰《だれ》も止《と》める者《もの》もなかつた。が、直《ぢ》きに笑《わら》ひ止《や》んで、更《さら》に又《また》フゝと笑《わら》つて――と、默《だま》ると、誰《だれ》だつたか、 「明日《あす》は攻擊《こうげき》か。」  すると、幾人《いくたり》かの聲《こゑ》で、忌々《いま〳〵》しさうに叱《しか》り付《つ》けた、 「止《よ》せ、そんな話《はなし》は! 攻擊《こうげき》も糞《くそ》も有《あ》るもんか!」 「だつて君逹《きみたち》だつて知《し》らん事《こと》はあるまい…」 「止《よ》せツてツたら、止《よ》せ! 他《ほか》に話《はなし》が無《な》いぢや有《あ》るまいし。何《なん》だ、そんな事《こと》!」  入日《いりひ》の影《かげ》は消《き》えた。雨雲《あまぐも》も浮《う》き上《あが》つて、何處《どこ》となく明《あか》るくなり、人《ひと》の面《かほ》も皆《みな》見覺《みおぼ》えのある面《かほ》になつた。今迄《いまゝで》周圍《まはり》をグル〳〵廻《まは》つて居《ゐ》た男《をとこ》も落着《おちつ》いて、其處《そこ》の椅子《いす》へ腰《こし》を卸《おろ》して、 「今《いま》ごろ國《くに》ぢや如何《どん》なだらう?」  誰《だれ》に言《い》ふともなく言《い》つたのだが、其聲《そのこゑ》に何《なに》か面目《めんぼく》なさゝうに微笑《につこり》した響《ひゞき》があつた。  と、又《また》薄氣味惡《うすきみわる》く合點《がてん》の行《ゆ》かぬ光景《くわうけい》になつて、其處《そこ》らの物《もの》が悉《こと〴〵》く變《へん》に見《み》えるから、皆《みな》堪《たま》らなく夢中《むちう》になつて、一|度《ど》にコツプを推除《おしの》け、互《たがひ》の肩《かた》、腕《うで》、膝《ひざ》に觸《さは》り合《あ》つて、饒舌《しやべ》り出《だ》し、喚《わめ》き初《はじ》め、暫《しばら》く紛紛《ごたごた》してゐたが、ふと又《また》口《くち》を噤《つぐ》むで了《しま》つた。變《へん》な光景《やうす》は矢張《やツぱり》變《へん》でならぬ。 「國《くに》ぢやア?」と誰《だれ》だか暗黑《くらやみ》から喚《わめ》いた。國《くに》の噂《うはさ》が始《はじ》まると、ハツトして、忌々《いま〳〵》しくもなるし、胸《むね》もわく〳〵するので、聲《こゑ》までが皺嗄《しやが》れた顫《ふる》へ聲《ごゑ》になる。で、饒舌《しやべ》り出《だ》したが、時々《とき〴〵》言葉《ことば》に差支《さしつか》へる。もう國言葉《くにことば》も忘《わす》れてゐるやうで。「國《くに》ぢやア?國《くに》とは何《なん》だ? 國《くに》が何處《どこ》かに有《あ》るのか? 人《ひと》の物《もの》を言《い》つてる中《うち》に口《くち》を出《だ》すな。出《だ》すと、打發《ぶツぱな》すぞ。僕《ぼく》だつて、國《くに》に居《ゐ》る時分《じぶん》にや、毎日《まいにち》湯《ゆ》を沐《つか》つたもんだ――宜《よろ》しいか、湯槽《ゆぶね》に湯《ゆ》を入《い》れて――湯《ゆ》を一|杯《ぱい》入《い》れて沐《つか》つたもんだ。ところが今《いま》ぢや毎日《まいにち》は身體《からだ》も拭《ふ》かんから、頭《あたま》に雲脂《ふけ》が溜《たま》る。雲脂《ふけ》が溜《たま》つて、結痂《かさぶた》のやうな物《もの》が出來《でき》て、身體中《からだぢう》何《なん》だか這《は》ふやうで、むづ痒《がゆ》くツて〳〵…僕《ぼか》あ垢《あか》で氣狂《きちが》ひになりさうだ。それだのに君《きみ》は國《くに》の噂《うはさ》を始《はじ》めたな? 僕《ぼく》はもう畜生《ちくしやう》だ、自分《じぶん》ながら愛想《あいそ》が盡《つ》きる、自分《じぶん》とは思《おも》へん位《くらゐ》だ。人間《にんげん》も斯《か》うなると、もう死《し》ぬのも其樣《そん》なに惧《おそ》ろしくなくなる。それに君逹《きみたち》が擊出《うちだ》す榴霰弾《りうさんだん》で頭《あたま》が割《わ》れさうになるンだ、――頭《あたま》が。何處《どこ》へ向《む》けて擊《う》つたつて、皆《みんな》僕《ぼく》の頭《あたま》に當《あた》るンだから。それだのに君《きみ》は國《くに》の噂《うはさ》を始《はじ》めたな? 國《くに》とは何《なん》だ? 矢張《やツぱり》町《まち》が有《あ》つたり、家《うち》が有《あ》つたり、人《ひと》が居《ゐ》たりするンだらう? 僕《ぼく》はもう戸外《おもて》へ出《で》るのも御免《ごめん》だ。見《み》つともない! 此處《ここ》に湯沸《ゆわかし》が有《あ》るけど、湯沸《ゆわかし》を見《み》るのも極《きま》りが惡《わる》い、――湯沸《ゆわかし》を見《み》るのも。」  例《れい》のが又《また》笑《わら》ひ出《だ》した。誰《だれ》だか大聲《おほごゑ》に、 「糞《くそ》ツ! 僕《ぼか》あ國《くに》へ歸《かへ》る。」 「國《くに》へ歸《かへ》る?」 「君《きみ》は軍人《ぐんじん》の本分《ほんぶん》を忘《わす》れたな? …」 「國《くに》へ歸《かへ》る? おい〳〵、此處《こゝ》に國《くに》へ歸《かへ》りたい者《もの》が一人《ひとり》出來《でき》たぞ。」  皆《みな》ドット笑《わら》つた。不氣味《ぶきび》な叫聲《さけびごゑ》も聞《きこ》えたが――又《また》皆《みな》口《くち》を噤《つぐ》むで了《しま》つた。矢張《やツぱり》變《へん》でならない。私《わたし》ばかりぢやない、幾人《いくたり》居《ゐ》たか知《し》らないが、其塲《そのば》に居合《ゐあは》した者《もの》が皆《みな》さう感《かん》じた。その變《へん》な氣勢《けはひ》が、薄暗《うすぐら》い奇怪《きくわい》な野《の》から逼《せま》つて來《く》る、岩《いは》の挟間《はざま》に置忘《おきわす》られて、死《し》に瀕《ひん》した者《もの》が有《あ》るかも知《し》れぬ、陰々《いん〳〵》と眞黑《まつくろ》な谷間《たにま》からも立騰《たちのぼ》る、見《み》も及《およ》ばぬ怪《あや》しの空《そら》からも降《お》りる。皆《みな》惧《おそ》ろしさに生《い》きた空《そら》はなく、默《だま》つて火《ひ》の消《き》えた湯沸《ゆわかし》を圍《かこ》むで立《た》つてゐたが、頭《あたま》の上《うへ》には漫々《まん〳〵》と邊際《へんさい》もない黑《くろ》い影《かげ》が此世《このよ》を壓《あツ》して、慘《さん》として音《おと》もせぬ。と、忽《たちま》ち、ツイ間近《まぢか》の、多分《たぶん》は聯隊長《れんたいちやう》の宿舎《しゆくしや》あたりと思《おも》はれる處《ところ》で、軍樂《ぐんがく》の彈奏《だんそう》が始《はじ》まつて、無性《むしやう》に浮《う》いた高調子《たかてうし》の物《もの》の音色《ねいろ》が夜《よる》の寂寞《せきばく》を破《やぶ》つて、火花《ひばな》のやうにパツと起《おこ》る。餘《あま》り高過《たかす》ぎ、餘《あま》り愉快過《ゆくわいす》ぎる程《ほど》の急《きふ》な亂調子《らんてうし》で、無性《むしやう》に競《きそ》ひ立《た》つて浮《う》かれてゐる。大方《おほかた》彈奏者《だんそうしや》にも聽手《きゝて》にも、矢張《やツぱり》吾々《われ〳〵》同樣《どうやう》に、漫々《まん〳〵》と邊際《へんさい》もない黑《くろ》い影《かげ》の此世《このよ》を壓《あつ》するのが見《み》えるのだらう。  そのオーケストラの中《なか》で喇叭《らツぱ》を吹《ふ》いてゐる者《もの》だけは、正《まさ》しく自分《じぶん》に、自分《じぶん》の腦《なう》に、耳《みゝ》に、もうこの邊際《へんさい》もない無言《むごん》の影《かげ》を宿《やど》してゐるやうに思《おも》はれる。險《けは》しい破《やぶ》れたやうな喇叭《らツぱ》の音《おと》が、駆巡《かけめぐ》り、躍上《をどりあが》り、餘《よ》の音《おと》を離《はな》れて何處《いづく》ともなく、惧《おそ》ろしさに戰《おのゝ》き〳〵、伴《ともな》ふ物《もの》もなく獨《ひと》り狂《くる》つて行《ゆ》く。他《ほか》の樂器《がくき》の音色《ねいろ》は此《この》喇叭《らツぱ》の音《おと》を顧《かへり》みて驚《おどろ》いたやうに、蹶《つまづ》きつ、倒《たふ》れつ、起《お》きつ、しどろもどろに見《み》ともなく散《ち》つて行《ゆ》く。それが餘《あま》り高過《たかす》ぎ、餘《あま》り愉快過《ゆくわいす》ぎる程《ほど》の調子《てうし》で、これでは餘《あま》り眞闇黑《まつくらがり》の谷間《たにま》にも接近《せつきん》し過《す》ぎる、――岩《いは》の狭間《はざま》に置忘《おきわす》られて死《し》に瀕《ひん》した者《もの》が有《あ》るかも知《し》れぬのに。  私逹《わたしたち》は久《しば》らく火《ひ》の消《き》えた湯沸《ゆわかし》の周圍《まはり》に立《た》つて、默《だま》つてゐた。  (斷篇第五)  …もう眠《ねむ》つてゐたら、ドクトルが窃《そツ》と突《つゝ》いて覺《おこ》すから、私《わたし》は目《め》を覺《さま》すが否《いな》、呀《あツ》といつて跳起《はねお》きた。誰《だれ》でも覺《おこ》されると、斯《か》う聲《こゑ》を立《た》てたものだつた。で、天幕《テント》の外《そと》へ駈出《かけだ》さうとする私《わたし》の手《て》を、ドクトルは確《しか》と執《と》つて、而《そ》して謝罪《わび》をいふ。 「唐突《だしぬけ》に覺《おこ》して濟《すみ》ませんでした。お睡《ねむ》からうとは思《おも》つたが…」 「何《なに》しても五|晝夜《ちうや》になるンですもの…」と、私《わたし》は言《い》つたが、半分《はんぶん》は夢《ゆめ》で、其儘《そのまゝ》又《また》昏々《うと〳〵》となつた。久《しば》らく眠《ね》てゐたやうだつたが、ドクトルが私《わたし》の橫腹《よこはら》や足《あし》を窃《そつ》と突《つゝ》き〳〵又《また》話《はな》し出《だ》す聲《こゑ》が耳《みゝ》に入《はい》る。 「しかし止《や》むを得《え》んので。貴方《あなた》もお辛《つら》からうが、實際《じつさい》止《や》むを得《え》んので。どうも私《わたし》にや……安閑《あんかん》として居《を》れん。どうも私《わたし》にやまだ負傷者《ふしやうしや》が取殘《とりのこ》してあるやうに思《おも》はれて…」 「負傷者《ふしやうしや》とは? 今日《けふ》一|日《ンち》收容《しうよう》してゐたぢやないですか? 私《わたし》を覺《おこ》さんだツて好《よ》さゝうなものだ。餘《あんま》り酷《ひど》い! 私《わたし》は五|晝夜《ちうや》も眠《ね》なかつたのだ。」 「まあ、然《さ》う憤《おこ》つたものでない」、とドクトルは口《くち》の中《うち》で言《い》つて、無器用《ぶきよう》な手附《てつき》で私《わたし》の頭《あたま》へ帽《ばう》を冠《かぶ》せてから、「皆《みんな》寐《ね》込《こ》んで了《しま》つてゝ、幾《いく》ら覺《おこ》しても、起《お》きんのですもの。機關車《きくわんしや》の車輛《しやりやう》が七|臺《だい》用意《ようい》してあるのだが、乗《の》つて行手《ゆきて》がない。そりや私《わたし》も察《さつ》しる…が、何卒《どうぞ》、まあ、行《い》つて下《くだ》さい。皆《みんな》寐《ね》込《こ》んで了《しま》つてゝ、如何《どう》しても行《い》かうと言《い》はん。私《わたし》だってコクリとなりさうで仕方《しかた》がないのだ。何日《いつ》寢《ね》たつけか、もう覺《おぼ》えがない位《くらゐ》のもので、そろ〳〵幻覺《げんかく》が始《はじ》まりさうな氣《き》がする。まあ、寢臺《ねだい》をお降《お》りなさい、片《かた》一|方《ぱう》の足《あし》から。そう〳〵…」  ドクトルは蒼褪《あをざ》めた顏《かほ》をしてふら〳〵してゐる。一寸《ちよツと》でも下《した》に居《ゐ》たら、其儘《そのまゝ》何《なん》晝夜《ちうや》も打通《ぶツとほ》しに寢《ね》かねない樣子《やうす》だ。私《わたし》も足《あし》に他愛《たあい》がない。と、鼻《はな》の先《さき》に眞黑《まつくろ》な物《もの》が一|列《れつ》見《み》える。それが餘《あま》り突然《とつぜん》で、意外《いぐわい》で、地《ち》から湧《わ》いたやうだつたから、何《なん》でも歩《ある》きながら昏々《うと〳〵》してゐたに違《ちが》ひないが、その眞黑《まつくろ》な物《もの》は汽車《きしや》だつた。暗《くら》くて能《よ》くは見《み》えなかつたが、其《その》側《そば》をノソリ〳〵と默《だま》つて彷徨《うろつ》いてゐる者《もの》がある。機關車《きくわんしや》にも車輛《しやりやう》にも燈火《あかり》が點《つ》いてゐなかつた。唯《たゞ》蓋《ふた》をした火口《ほぐち》から朦朧《ぼんやり》した火影《ほかげ》が薄赤《うすあか》く線路《せんろ》へ落《お》ちてゐたのみで。 「何《なん》ですか、これは?」と私《わたし》は逡巡《しりごみ》をした。 「汽車《きしや》で行《ゆ》くのです、汽車《きしや》で。今《いま》の話《はなし》をもう忘《わす》れましたか?」とドクトルがいふ。  寒《さむ》い晚《ばん》でドクトルは震《ふる》へてゐる。私《わたし》もそれを見《み》ると、身體中《からだぢう》を擽《くすぐ》られるやうな氣持《きもち》で、矢張《やツぱり》ガタガタ震《ふる》へる。 「酷《ひど》いなあ!私《わたし》を見立《みた》つて連《つ》れて行《ゆ》くのは酷《ひど》い」、と私《わたし》は大聲《おほごゑ》にいふと、 「靜《しづ》かに、靜《しづ》かに」、とドクトルは私《わたし》の腕《うで》を抑《おさ》へた。  誰《だれ》だか暗黑《くらやみ》から、 「此《この》鹽梅《あんばい》ぢや有《あり》ツ丈《たけ》の砲《はう》で一|齋《せい》射擊《しやげき》をやつたつて、皆《みんな》ビクともしないな。敵《てき》も矢張《やツぱり》寢込《ねこ》んでゐるだらうて。今《いま》なら側《そば》へ行《い》つて片端《かたツぱし》から引括《ひツくゝ》れる。己《おれ》は今《いま》哨兵《せうへい》の側《そば》を通《とほ》つて來《き》たのだが、先生《せんせい》一寸《ちよツと》人《ひと》の面《かほ》を見《み》たばかりで、何《なん》とも言《い》はん。凝然《ぢツ》としてゐた。屹度《きツと》矢張《やツぱり》眠《ね》てゐたんだらう。能《よ》くつんのめらないで居《ゐ》たものさ。」  と斯《か》う言《い》つて欠《あく》びをした。で、さら〳〵と服《ふく》の擦《す》れる音《おと》のしたのは、大方《おほかた》伸《のび》をしたのだらう。私《わたし》は車輛《しやりやう》へ攀《よ》ぢ登《のぼ》らうとして胸《むね》を其《その》端《はし》に掛《か》けると――忽《たちま》ち夢《ゆめ》に入《い》つて了《しま》つた。誰《だれ》だか後《うしろ》から持上《もちや》げるやうにして載《の》せて吳《く》れたが、私《わたし》は其《その》人《ひと》を蹴飛《けと》ばして、又《また》寐《ね》こけた。と、夢《ゆめ》の中《うち》にこんな話《はなし》が斷續《とぎれ〳〵》に聞《きこ》える。 「六ウエルスト行《い》つてからだ。」 「忘《わす》れたのかランプを?」 「いや、彼奴《あいつ》は行《い》くまい。」 「此處《こゝ》へ寄越《よこ》せ。少《すこ》し後《あと》へ退却《すさ》らせた。さうだ。」  汽車《きしや》が居去《ゐざ》る、何《なに》かガタ〳〵と鳴《な》る。安樂《あんらく》に橫《よこ》になつて斯《か》ういふ音《おと》を聽《き》いてゐると、私《わたし》は次第《しだい》に目《め》が覺《さ》めて來《き》たが、ドクトルは反《かへツ》て寢入《ねい》つてゐる。其《その》手《て》を握《にぎ》つて見《み》ると、死人《しにん》の其《それ》のやうに頽然《ぐたり》として重《おも》たい。汽車《きしや》はもう動《うご》き出《だ》して、心持《こゝろも》ち震動《しんどう》しながら、探足《さぐりあし》で行《ゆ》くやうに、用心《ようじん》しつゝ徐々《そろり〳〵》と進《すゝ》む。看護手《かんごしゆ》の醫學生《いがくせい》がランプに火《ひ》を點《とぼ》すと、其《その》光《ひかり》に車室《しやしつ》の羽目《はめ》や戶《と》の黑《くろ》い孔《あな》が照《てら》し出《だ》された。憤々《ぷん〳〵》怒《おこ》りながら、醫學生《いがくせい》が、 「馬鹿《ばか》々々《〳〵》しい! 今《いま》時分《じぶん》行《い》つたつて仕樣《しやう》がない。貴方《あなた》、先生《せんせい》が寢込《ねこ》まない中《うち》に覺《おこ》して下《くだ》さらんか?寢込《ねこ》ん了《ぢま》つたら、もう駄目《だめ》です。僕《ぼく》も覺《おぼ》えがある。」  二人《ふたり》して搖覺《ゆりおこ》したら、ドクトルは起直《おきなほ》つて不思議《ふしぎ》さうにキヨロ〳〵して又《また》寢倒《ねこ》けやうとするのを、どツこい、然《さ》うはさせなかつた。 「今頃《いまごろ》ウオツトカを一|杯《ぱい》キユウと引懸《ひツか》けるなんぞは惡《わる》くないな」、と醫學生《いがくせい》がいふ。  で、コニヤクを一口《ひとくち》づゝ飮《の》むだら、睡氣《ねむけ》は奇麗《きれい》に去《と》れて了《しま》つた。黑々《くろ〴〵》と大《おほ》きい四|角《かく》な戶《と》が薄赤《うすあか》くなり、終《つひ》に赤々《あか〳〵》と點《てら》し出《だ》されて、小山《こやま》の向《むか》ふの空《そら》一杯《いつぱい》に火影《ほかげ》が深々《しん〳〵》と映《うつ》る。宛然《さながら》眞夜中《まよなか》に日《ひ》が出《で》たやうだ。 「あれは遠方《ゑんぱう》ですな。二十ウエルストも離《はな》れた處《ところ》だ。」 「寒《さむ》い、」といつてドクトルは齒《は》を切《くひしば》つた。  學生《がくせい》は一寸《ちよつと》戶《と》の外《そと》を覗《のぞ》いて私《わたし》を麾《まね》くから、覗《のぞ》いて見《み》たら、地平線《ちへいせん》の處々《ところ〴〵》微《ぼつ》と赤《あか》く音《おと》もさせず鎭《しづ》まり返《かへ》つてゐる兵火《へいくわ》の映《うつ》りが、其《それ》から其《それ》へと連續《れんぞく》して、宛然《さながら》數《す》十の太陽《たいやう》が一|度《ど》に出《で》るやうで、もう左程《さほど》暗《くら》くもない。遠方《ゑんぱう》の山々《やま〳〵》は黑々《くろ〴〵》と浪《なみ》のうねつたやうに起伏《きふく》して劃然《くつきり》浮出《ふきだ》し、近《ちか》くの物《もの》は皆《みな》しんめりとした寂《しづ》かな光《ひかり》を受《う》けて赤々《あか〳〵》と見《み》える。學生《がくせい》の面《かほ》を見《み》ても、矢張《やつぱ》り血《ち》に染《そま》つたやうに赤《あか》く、此世《このよ》の人《ひと》の色《いろ》でない。血《ち》が飛散《ひさん》して空氣《くうき》となり光《ひかり》となつたやうに思《おも》はれる。 「負傷者《ふしやうしや》は餘程《よつぽど》有《あ》りますか?」  と聞《き》くと、學生《がくせい》は手《て》を掉《ふ》つて、 「狂人《きちがひ》が多《おほ》いのです。負傷者《ふしやうしや》より狂人《きちがひ》の方《はう》が多《おほ》いのです。」 「本當《ほんたう》の狂人《きちがひ》が?」 「假《うそ》の狂人《きちがひ》といふのも無《な》いでせう。」  と此方《こちら》を振向《ふりむ》いた學生《がくせい》の目差《めざし》は凝然《ぢつ》と据《すわ》つて、物凄《ものすご》く、冷《つめ》たい恐怖《きやうふ》に充《み》ちて、例《れい》の日射病《につしやびやう》で殪《たふ》れた兵《へい》の目差《めざし》其儘《そのまゝ》であつた。 「好加減《いゝかげん》な事《こと》を…」と面《かほ》を反《そむ》けると、 「其樣《そん》な事《こと》言《い》つて、ドクトルも矢張《やつぱ》り狂《くる》つてますぞ。まあ、一寸《ちよつと》御覽《ごらん》。」  ドクトルには私逹《わたしたち》の話《はなし》が聞《きこ》えないやうだつた。土耳古《トルコ》人《じん》のやうに箕踞《あぐら》をかいて、ふら〳〵しながら、唇《くちびる》と指先《ゆびさき》を音《おと》もさせず顫《ふる》はせてゐる其《その》目差《めざし》は矢張《やツぱ》り凝《ぢツ》と据《すわ》り、茫然《ぼツ》と鈍《にぶ》く腑《ふ》が脫《ぬ》けたやうだつたが、 「寒《さむ》い、」といつて微笑《にツこり》した。 「貴方《あなた》がたは實《じつ》に酷《ひど》い人逹《ひとたち》だ!」と私《わたし》は大聲《おほごゑ》に言《い》つて車室《しやしつ》の隅《すみ》へ行《ゆ》き、「何《なん》だつて私《わたし》を引張《ひツぱ》り出《だ》したんです?」  誰《だれ》も何《なん》とも言《い》はなかつた。空《そら》は深々《しん〳〵》と益々《ます〳〵》赤《あか》くなつて行《ゆ》く、それを學生《がくせい》は眺《なが》めてゐる。頸窩《ぼんのくぼ》の毛《け》の縮《ちゞ》れてゐるのも若々《わか〳〵》しい。之《これ》を觀《み》てゐると、何故《なぜ》か繊細《かぼそ》い女《をんな》の手《て》が此毛《このけ》を弄《せゝ》つてゐるやうに思《おも》はれてならぬ。それが又《また》癪《しやく》に觸《さは》つて、遂《つひ》に學生《がくせい》迄《まで》が小面憎《こづらにく》くなつて來《き》て、面《かほ》を見《み》ると、胸《むね》がむかつく。 「君《きみ》は何歲《いくつ》です?」といつても返答《へんたふ》をしない。振向《ふりむ》きもしない。  ドクトルはふら〳〵しながら、 「寒《さむ》い!」  學生《がくせい》は餘所《よそ》を向《む》いたまゝで、 「僕《ぼく》は何《なん》だ、僕《ぼく》は此世《このよ》の何處《どこ》かに町《まち》や家《いへ》や大學《だいがく》が有《あ》ると思《おも》ふと…」  ぷつりと言葉《ことば》尻《じり》を切《き》つて、これで言《い》ひたい事《こと》を皆《みな》言《い》ひ盡《つく》したやうに默《だま》つて了《しま》ふ。ふと唐突《だしぬけ》に汽車《きしや》が止《とま》つたので、私《わたし》は羽目《はめ》に衝突《ぶツか》つた。がや〳〵と人聲《ひとごゑ》がする。皆《みな》急《いそ》いで外《そと》へ出《で》て見《み》た。  機關車《きくわんしや》の直《す》ぐ前《まへ》の線路《せんろ》の上《うへ》に何《なに》か橫《よこたは》つてゐる。大《たい》して大《おほ》きな物《もの》でもなかつたが、それからヌツと足《あし》が一|本《ぽん》出《で》てゐた。 「負傷者《ふしやうしや》ですか?」 「いや、戰死者《せんしゝや》です。首無《くびな》しだ。しかし、こりや如何《どう》しても前《まへ》の燈火《あかり》を點《つ》けずにや居《ゐ》られん。これぢや轢潰《ひきつぶ》す。」  足《あし》を突張《つツぱ》つた物《もの》を線路《せんろ》外《ぐわい》へ投《な》げ出《だ》したら、虛空《こくう》を踏《ふ》むで駈出《かけだ》しでもするやうに、一寸《ちよツと》宙《ちう》で踏反《ふんぞ》つて、ポンと眞暗《まツくら》な溝《みぞ》の中《なか》へ陷《はま》つて了《しま》つた。燈火《あかり》が點《つ》く――と、もう機關車《きくわんしや》が眞黑《まつくろ》に見《み》える。 「おゝい!」と誰《だれ》だか小聲《こごゑ》で如何《いか》にも氣疎《けうと》さうに呼《よ》ぶ。  今迄《いまゝで》聞《きこ》えなかつたのが不思議《ふしぎ》な位《くらゐ》だが、何處《いづく》ともなく方々《はう〴〵》に呻聲《うめきごゑ》が聞《きこ》える。高低《たかひく》のない、何《なに》かを搔《か》くやうな、幅《はゞ》のある丈《だけ》不思議《ふしぎ》に悠然《ゆツたり》した――のを通《とほ》り越《こ》して、もう如何《どう》なとなれと投《な》げ出《だ》したやうな呻聲《うめきごゑ》だ。今迄《いまゝで》隨分《ずいぶん》喚聲《わめきごゑ》や呻聲《うめきごゑ》を聞《き》いた事《こと》もあるが、此樣《こん》なのを聞《き》いた事《こと》がない。朦朧《ぼんやり》と薄紅《うすあか》い地面《ぢつら》には何《なに》も見《み》えないから、呻《うめ》くのは大地《だいぢ》か、それとも出《で》ぬ日《ひ》の光《かげ》に照《てら》された大空《おほぞら》かと怪《あや》しまれる。 「四ウェルスト來《き》た」、と機關士《きくわんし》がいふ。 「彼《あの》聲《こゑ》は向《むか》ふの方《はう》でするのだ」、とドクトルは行手《ゆくて》を指《さ》す。學生《がくせい》は愕然《ぎよツ》として徐々《そろ〳〵》此方《こちら》を向《む》き、 「何《なん》ですか彼《あの》聲《こゑ》は? いや、どうも、聽《き》いてをられん!」 「ま、行《ゆ》かう。」  で、私逹《わたしたち》は機關車《きくわんしや》の前《まへ》に立《た》つて步《ある》いて行《い》つた。銘々《めい〳〵》の影《かげ》が繫《つな》がつて長《なが》く〳〵線路《せんろ》の上《うへ》を這《は》つたが、影《かげ》は黑《くろ》くはない、薄朦朧《うすぼんやり》と赤《あか》かった。暗黑《まつくろ》な空《そら》の端《はし》に、處々《ところ〴〵》兵火《へいくわ》がしんめりと音《おと》もさせず鎭《しづ》まり返《かへ》つて見《み》える、それが映《うつ》るからだ。行程《ゆくほど》に例《れい》の物凄《ものすご》い、何《なに》が呻《うめ》くとも知《し》れぬ、奇怪《きくわい》な呻聲《うめきごゑ》が愈々《いよ〳〵》烈《はげ》しくなり勝《まさ》つて、血潮《ちしほ》に赤《あか》い空氣《くうき》が呻《うめ》くのか、乃至《ないし》天地《てんち》が呻《うめ》くのかとばかりに、薄氣味《うすきみ》がわるい。浮世《うきよ》には關繫《かけかまひ》なさそうに、奇《あや》しく、間斷《かんだん》なく呻《うめ》く聲《こゑ》を聽《き》けば、時《とき》としては野中《のなか》の螽斯《きり〴〵す》、單調《たんてう》で暑苦《あつくる》しさうに啼《な》く、夏《なつ》の野中《のなか》の螽斯《きり〴〵す》の聲《こゑ》に髣髴《はうふつ》たることもある。で、段々《だん〴〵》死骸《しがい》が澤山《たくさん》になる。ざツと檢《あらた》めては線路《せんろ》外《ぐわい》へ投出《なげだ》したが、皆《みな》もう何事《なにごと》にも頓着《とんぢやく》のない、物《もの》に動《どう》ぜぬ、頽然《ぐたり》とした死骸《しがい》で、その轉《ころ》がつてゐた跡《あと》には、地《ち》に吮込《すひこ》まれて血潮《ちしほ》が黑《くろ》く膩《あぶら》ぎつて汚點《しみ》のやうに見《み》える。初《はじ》めは數《かず》を讀《よ》むでゐたが、其中《そのうち》に間違《まちが》へたから、それなりにして了《しま》つた。死骸《しがい》は隨分《ずゐぶん》有《あ》つた、――夜氣《やき》水《みづ》の如《ごと》く、其處《そこ》ら一|面《めん》押《おし》なべて呻聲《うめきごゑ》だらけの、氣味《きみ》の惡《わる》い夜《よる》にしてから、餘《あま》り有《あ》り過《すぎ》る程《ほど》に有《あ》つた。 「何《なん》だあれは?」とドクトルが叫《さけ》んで、誰《だれ》を嚇《おど》す積《つもり》なのか、拳《こぶし》を固《かた》めて揮《ふ》つて示《み》せて、「一寸《ちよツと》――聽《き》いて御覽《ごらん》…」  もう頓《やが》て五ウェルストになる。呻聲《うめきごゑ》は愈々《いよ〳〵》判然《はつきり》と際立《きはだ》つて來《き》て、もう此聲《このこゑ》を出《だ》す引歪《ひきゆが》めた口元《くちもと》も眼《め》に見《み》えるやうな心地《こゝち》がする。薄紅《うすあか》い靄《もや》は此世《このよ》の物《もの》とも覺《おぼ》えぬ怪《あや》しき底光《そこびかり》を含《ふく》んで眼《め》も綾《あや》に迷《まよ》ふ中《なか》へ、私逹《わたしたち》が恐《おそ》る〳〵看入《みい》つた時《とき》、殆《ほとん》ど足元《あしもと》の線路《せんろ》の下《した》で、救《すくひ》を呼《よぶ》ぶが如《ごと》く、泣《な》くが如《ごと》く、高《たか》く呻《うめ》く聲《こゑ》がする。聲《こゑ》の主《ぬし》の負傷者《ふしやうしや》は直《す》ぐ見付《みつ》かつたが、手提《てさげ》の光《かげ》に照《てら》し出《だ》された其面《そのかほ》を見《み》れば、面中《かほぢう》が眼《め》ばかりかと思《おも》はれる程《ほど》大《おほ》きな眼《め》だつた。呻《うめ》き止《や》んで私逹《わたしたち》の面《かほ》や手提《てさげ》を旋次《せんぐり》に看《み》る其《その》眼《め》の中《うち》には、人影《ひとかげ》火影《ほかげ》を認《みと》めて喜《よろこ》んで狂《きやう》せんとする色《いろ》の外《ほか》に、尙《な》ほそれが直《す》ぐ幻《まぼろし》と消《き》えやうかと、畏《おそ》れて狂《きやう》せんとする色《いろ》も動《うご》いてゐた。或《あるひ》は斯《か》う火《ひ》を翳《かざ》して屈《こゞ》み掛《かゝ》つた人《ひと》の姿《すがた》が、血塗《ちみどろ》の夢《ゆめ》の中《うち》にもや〳〵となつた事《こと》が、既《も》う幾度《いくたび》も有《あ》るのかも知《し》れぬ。  尙《な》ほ進《すゝ》まんとして、忽《たちま》ち又《また》二人《ふたり》負傷者《ふしやうしや》に出遭《であ》つた。一人《ひとり》は線路《せんろ》の上《うへ》に倒《たふ》れてゐて、今《いま》一人《ひとり》は溝《みぞ》の中《なか》で呻《うめ》いてゐた。此等《これら》を收容《しうよう》する時《とき》、ドクトルは怒《いかり》に身《み》を戰《わなゝ》かせて、此方《こちら》を向《む》き、 「如何《どう》です?」  といつて面《かほ》を反《そむ》けた。數步《すうほ》すると、向《むか》ふから輕傷者《けいしやうしや》が、片手《かたて》で片手《かたて》を支《さゝ》へて、一人《ひとり》で步《ある》いて來《き》た。仰向《あふむ》いて來《き》て私逹《わたしたち》に衝當《つきあた》りさうだつたから、道《みち》を開《ひら》いて通《とほ》してやつたが、一|向《かう》氣《き》が附《つ》かぬらしい。恐《おそ》らく私逹《わたしたち》の姿《すがた》が眼《め》へ入《はい》らなかつたのであらう。機關車《きくわんしや》の前《まへ》でト立止《たちどま》つて直《す》ぐと身《み》を轉開《かは》して其《その》橫《よこ》へ出《で》て、今度《こんど》は車輛《しやりやう》に沿《つ》いて行《ゆ》く。 「こら、お前《まへ》その汽車《きしや》に乗《の》れ!」とドクトルが呼《よ》び掛《か》けたが、返答《へんたふ》もしなかつた。  此等《これら》を手始《てはじ》めとして、淺《あさ》ましい姿《すがた》が頓《やが》て線路《せんろ》の上《うへ》にも側《そば》にも頻《しきり》に出遭《であ》つて、深々《しん〳〵》と赤《あか》く兵火《へいくわ》の照反《てりかへ》した野《の》は、魂《たましひ》でも入《はい》つたやうに、一|面《めん》にざわつき出《だ》し、大叫喚《だいきうくわん》、號泣《がうきふ》、呪咀《じゆそ》、呻吟《しんぎん》の聲《こゑ》がクワツと起《おこ》る。隆然《むつくり》と高《たか》くなつた黑《くろ》い物《もの》の影《かげ》が蠢《うご》めきのた打廻《うちまは》る所《ところ》を見《み》れば、まだ夢《ゆめ》ながら籠《かご》を出《だ》された蟹《かに》のやうに、手足《てあし》を張《は》つて、可怪《をかし》げな形《かたち》をして、どたりとして動《うご》き得《え》ぬのもあれば、しどろに覺束《おぼつか》なく藻搔《もが》くのもあつて、どれも〳〵人らしくない。或《あるひ》は默《だま》つて言《い》ひなり次第《しだい》になるのもある、或《あるひ》は呻《うめ》き、泣《な》き、惡體《あくたい》吐《つ》いて、この夜《よ》の血羶《ちなまぐさ》く人間《にんげん》の生死《しやうし》に與《あづか》らぬらしい光景《やうす》も、かうした深傷《ふかで》を負《お》うたのも、死駭《しがい》の中《なか》に獨《ひと》り取殘《とりのこ》されてゐるのも、皆《みな》我我《ひと》の所爲《せゐ》でも有《あ》るやうに、救《すく》はうとする我々《われ〳〵》を嫉視《しつし》するのもある。車室《しやしつ》にはもう負傷者《ふしやうしや》の容《い》れ塲《ば》がなく、私逹《わたしたち》の着《き》てゐる服《ふく》までグッチョリ血《ち》に濕《ぬ》れて、宛然《さながら》血雨《けつう》の中《うち》に立盡《たちつく》してゐたやうになつたのに、まだ負傷者《ふしやうしや》を運《はこ》んで來《き》て、蘇《よみがへ》つたやうに見《み》える野《の》は何時《いつ》までも物凄《ものすご》く蠢《うご》めき渡《わた》る。  或者《あるもの》は自分《じぶん》も這《は》ひ寄《よ》り、或者《あるもの》はふら〳〵として倒《こ》けては起上《おきあが》り〳〵來《く》る。中《なか》にも一人《ひとり》殆《ほとん》ど走《はし》つて來《き》たのがあつた。と、見《み》ると、面《かほ》はひしやげて、一《ひと》つ殘《のこ》つた眼《め》ばかりが物凄《ものすご》いすさまじい光《ひかり》を湛《たゞ》へ湯上《ゆあが》りの人《ひと》のやうに、殆《ほとん》ど一|糸《し》をも着《つ》けてゐない。私《わたし》を衝退《つきの》けて、一《ひと》つ眼《め》でドクトルを探《さが》し出《だ》し、呀《あツ》といふ間《ま》に無手《むず》と左手《ゆんで》に胸倉《むなぐら》を取《と》つて、 「うぬ…者面《しやツつら》打曲《はりま》げるぞ!」  と、かう一《ひと》つ喚《わめ》いて置《お》いて、それから小突《こづ》きながら、悠々《ゆツたり》と、其《その》癖《くせ》口汚《くちぎた》なく毒《どく》づく。 「貴樣《きさま》の面《つら》をグワンとやるのだ。このド畜生《ちくしやう》め!」  ドクトルは振放《ふりはな》して、ヤツと立向《たちむか》ひ、息《いき》を塞《つま》らせ〳〵罵《のゝし》つた。 「野郞《やらう》、軍法《ぐんぱふ》會議《くわいぎ》に掛《か》けるぞ! 監倉《かんさう》だぞ! 人《ひと》の職務《しよくむ》の邪魔《じやま》しやがつて… この野郞《やらう》! この畜生《ちくしやう》!」  中《なか》へ入《はい》つて引分《ひきわ》けたが、引分《ひきわ》けられても兵《へい》は尙《な》ほ罵《のゝし》り止《や》まず、久《しば》らくは唯《たゞ》、 「こン畜生《ちくしやう》! 者面《しやツつら》打曲《はりま》げるぞ!」  とばかり。  私《わたし》はもう耐《た》へられなくなつたから、一|服《ぷく》して休《やす》まうと、片脇《かたわき》へ退《の》いた。手首《てくび》の血《のり》はパサ〳〵に乾《かは》いて、黑《くろ》手袋《てぶくろ》を穿《は》めたやうに、指《ゆび》もぎこちなく、マッチやシガレットをつい取落《とりおと》す。斯《やうや》く喫《の》み出《だ》すと、烟草《たばこ》の烟《けむり》も平常《いつも》のやうにもなく變《へん》に見《み》えて、其《その》味《あぢ》も全《まつた》く異《かは》つてゐる。こんな烟草《たばこ》は後《あと》にも前《さき》にも喫《の》んだ事《こと》がない。其《その》時《とき》學生《がくせい》の看護手《かんごしゆ》が側《そば》へ來《き》た。一|緒《しよ》に汽車《きしや》に乗《の》つて來《き》た彼《あの》男《をとこ》だのに、何《なん》だか數年《すねん》前《ぜん》に逢《あ》つた人《ひと》のやうに思《おも》はれて、さて何處《どこ》で逢《あ》つたかゞ憶《おも》ひ出《だ》せない。學生《がくせい》は直《ひた》と踵《かゞと》を地《ち》に着《つ》けて行進《マーチ》の步調《ほてう》で步《ある》いて來《き》たが、私《わたし》の身體《からだ》越《ご》しに何處《どこ》ともなく遠《とほ》くの空《そら》を眺《なが》めて、 「これだのに皆《みんな》寢《ね》てゐるのだ。」  と何《なん》だか落着《おちつき》拂《はら》つてゐる。私《わたし》は自分《じぶん》の事《こと》のやうに憤然《やつき》となつて、 「だつて、君《きみ》、十日《とをか》も獅子《しゝ》のやうに奮鬪《ふんとう》したのだもの、其《その》筈《はず》ぢやないか?」 「これだのに皆《みんな》寢《ね》てゐるのだ。」  と學生《がくせい》は私《わたし》の身體《からだ》越《ご》しに空《そら》を眺《なが》めながら、反覆《くりかへ》していつて、さて私《わたし》の面《かほ》を覗《のぞ》き込《こ》むやうにして、人差指《ひとさしゆび》を鼻《はな》の先《さき》で揮《ふ》り〳〵、矢張《やツぱり》膠《にべ》もなく落着《おちつき》拂《はら》つた調子《てうし》で、 「能《よ》く聽《き》いて置《お》きなさい、能《よ》く。」 「何《なに》を?」  學生《がくせい》は愈々《いよ〳〵》面《かほ》を覗《のぞ》き込《こ》むで、理由《わけ》ありさうに人差指《ひとさしゆび》を揮《ふ》り〳〵、辻褄《つじつま》の合《あ》つた話《はなし》の積《つもり》らしく、矢張《やツぱ》り一《ひと》つ事《こと》をいふ。 「能《よ》く聽《き》いて置《お》きなさい、能《よ》く。皆《みんな》にも然《さ》う言《い》つて貰《もら》ひたいのだ。」  佶《きツ》と私《わたし》を見据《みす》ゑたまゝ、も一|度《ど》人差指《ひとさしゆび》を揮《ふ》つて見《み》せて、ピストルを取出《とりだ》すや、ドンと一|發《ぱつ》我《われ》と我《わが》顳顬《こめかみ》へ擊込《うちこ》んだ。けれども私《わたし》は少《すこ》しも驚《おどろ》かず、平氣《へいき》でシガレットを左《ひだり》の手《て》に持易《もちか》へて、指《ゆび》で其《その》創口《きずぐち》を觸《さは》つて見《み》て、汽車《きしや》の在《あ》る方《はう》へ行つた。 「あの學生《がくせい》はピストルで自殺《やり》ましたぞ。尤《もつと》もまだ息《いき》はあるやうだが…」  と私《わたし》がドクトルにいふと、ドクトルは私《われ》と我《わが》頭《あたま》に武者振《むしやぶ》り附《つ》いて、唸《うな》るやうに、 「馬鹿《ばか》め!… もう汽車《きしや》は一|杯《ぱい》だ。彼處《あすこ》にも今《いま》に自殺《やり》さうなのが一人《ひとり》居《ゐ》るのだ。私《わたし》だつて然《さ》うだ」、と忌々《いま〳〵》しさうに叱《しか》るやうに言《い》つて、「自殺《やり》かねない。全《まつた》く! だから、貴方《あなた》は――步《ある》いて行《い》つて貰《もら》ひませう。もう載《の》せる餘裕《せき》がない。其《それ》が不服《ふゝく》なら、吿發《こくはつ》なさい。」  と喚《わめ》き〳〵餘所《よそ》を向《む》いて了《しま》つた。今《いま》に自殺《やり》さうだといふ男《をとこ》の側《そば》へ行《い》つて見《み》たら、それは看護手《かんごしゆ》で矢張《やツぱり》學生《がくせい》出《で》らしかつた。立《た》ちながら車輛《しやりやう》の羽目《はめ》へ額《ひたへ》を押當《おしあ》てゝ、肩《かた》で浪《なみ》を打《う》たせて泣《な》いてゐる。 「泣《な》くな〳〵」、と私《わたし》は其《その》浪《なみ》を打《う》つ肩《かた》へ手《て》を遣《や》つた。  が、振向《ふりむ》きもせず、返答《へんたふ》もせず、泣《な》いてゐる。看《み》ると、頸窩《ぼんのくぼ》が自殺《じさつ》した學生《がくせい》のそれのやうに若々《わか〳〵》しく、矢張《やツぱ》り無氣味《ぶきび》だ。酔漢《よひどれ》が汚《むさ》い物《もの》でも吐《は》いてるやうに、意久地《いくぢ》なく兩足《りやうあし》を踏擴《ふみはだ》けてゐたが、首筋《くびすぢ》の血《ち》に塗《まみ》れてゐたのは大方《おほかた》手《て》で抑《おさ》へたからだらう。 「泣《な》くなと言《い》へば!」と私《わたし》は癇癪聲《かんしやくごゑ》を振立《ふりた》てた。  と、其《その》看護手《かんごしゆ》は蹌踉《よろ〳〵》と車輛《しやりやう》を離《はな》れて、投首《なげくび》して、老人《らうじん》のやうに背《せ》を圓《まる》くし、私逹《わたしたち》を棄《す》てゝ置《お》いて、何處《どこ》ともなく闇黑《くらやみ》の中《うち》へ行《ゆ》く。何故《なぜ》だか、私《わたし》も其《その》跟《あと》に隨《つ》いて、汽車《きしや》を後《あと》にして、何處《どこ》を目的《めあて》ともなく、久《しば》らく二人《ふたり》で步《ある》いて行《い》つた。看護手《かんごしゆ》は泣《な》いてゐるらしかつたが、私《わたし》も何《なん》だか佗《わび》しくなつて、泣出《なきだ》し度《たい》やうな氣持《きもち》がする。 「一寸《ちよツと》待《ま》て!」と大聲《おほごゑ》に言《い》つて私《わたし》は立止《たちど》まつた。  が、看護手《かんごしゆ》は背《せ》を圓《まる》くして、重《おも》たさうな足取《あしどり》で行《ゆ》く。肩《かた》を窄《すぼ》めて足《あし》を引摺《ひきず》り〳〵行《ゆ》く姿《すがた》は、宛然《さながら》の老人《らうじん》だ。軈《やが》て明《あかる》く見《み》えても照《て》りもせぬ薄紅《うすあか》い靄《もや》の中《うち》に其《その》姿《すがた》は消《き》えて、私《わたし》一人《ひとり》になつて了《しま》つた。  左手《ゆんで》に遠《とほ》く朦朧《もうろう》として一|連《れん》の火影《ほかげ》が流《なが》れるやうに過《す》ぎて行《ゆ》く。汽車《きしや》が戾《もど》つて行《ゆ》くのだ。私《わたし》は死《し》んだ者《もの》死《しに》かゝつた者《もの》の中《なか》に一人《ひとり》取殘《とりのこ》されたのだが、死《し》んだ者《もの》死《しに》かゝつた者《もの》で收容《しうよう》漏《もれ》になつた者《もの》はまだ何位《どのくらゐ》あつたか知《し》れぬ。近《ちか》くは寂然《しん》としてゴソリともいはぬけれど、離《はな》れては野《の》に魂《たましひ》の有《あ》るやうにザワ〳〵と蠢《うご》めく――と、さ、一人《ひとり》だから思《おも》はれたのかも知《し》れぬ。兎《と》も角《かく》も呻吟《しんぎん》の聲《こゑ》は絕《た》えぬ。子供《こども》の泣《な》くやうな、夥多《あまた》の子犬《こいぬ》が棄《す》てられて凍《こゞ》え死《し》なむとして啼《な》くやうな、繊細《かぼそ》い、便《たよ》りない聲《こゑ》で地上《ちじやう》一|面《めん》に擴《ひろ》がつて、之《これ》を聽《き》いて居《ゐ》ると、銳《するど》い〳〵際限《はてし》もない氷《こほり》の針《はり》を惱《なう》に突徹《つきとほ》されて、そろり〳〵と拔差《ぬきさし》されるやうな氣持《きもち》がして…。  (斷篇第六)  …それは味方《みかた》であつた。最後《さいご》の一ケ|月《げつ》は命令《めいれい》も計畫《けいくわく》も齟齬《くひちが》ひ、敵《てき》も味方《みかた》も行動《かうどう》が紛《もつ》れ〳〵て妙《めう》な工合《ぐあひ》であつたが、然《さ》ういふ中《なか》でも敵襲《てきしふ》のある事《こと》は豫期《よき》してゐた。敵《てき》といふのは即《すなは》ち第《だい》四|軍團《ぐんだん》である。で、味方《みかた》は既《すで》に攻擊《こうげき》準備《じゆんび》を終《をは》つた時《とき》、誰《たれ》だか雙眼鏡《さうがんきやう》で見《み》ると、味方《みかた》の制服《せいふく》を着《つ》けてゐるのが判然《はつきり》見《み》えると云《い》ひ出《だ》して、十|分後《ぷんご》には其《その》疑《うたが》ひが霽《は》れ、愈愈《いよ〳〵》味方《みかた》に違《ちが》ひないとなると、皆《みな》ホツとして嬉《うれ》しく思《おも》つた。先方《さき》もそれと心附《こゝろづ》いた體《てい》で、悠々《いう〳〵》と近《ちか》づいて來《く》る。その落着《おちつ》いた處《ところ》に、相手《あひて》も矢張《やツぱ》り思掛《おもひが》けぬ邂逅《であひ》を喜《よろこ》んで微笑《びせう》してゐる俤《おもかげ》が浮《う》いて見《み》える。  で、敵《てき》が發砲《はつぱう》した時《とき》には、何《なん》の事《こと》だか暫《しばら》くは合點《がてん》が行《ゆ》かずに、榴霰彈《りうさんだん》や銃丸《じうぐわん》が霰《あられ》の如《ごと》く降《ふ》り注《そゝ》ぎ瞬《またゝ》く間《ま》に死傷者《ししやうしや》の山《やま》を築《きづ》く中《なか》で、私逹《わたしたち》は矢張《やツぱり》莞爾莞爾《にこ〳〵》してゐた。誰《だれ》だか敵《てき》だと叫《さけ》ぶ。敵《てき》と聞《き》くと、――私《わたし》は能《よ》く覺《おぼ》えてゐるが、――成程《なるほど》相手《あひて》は敵《てき》で制服《せいふく》も敵《てき》の制服《せいふく》、味方《みかた》のとは違《ちが》ふと、皆《みな》氣《き》が附《つ》いた。で、直《す》ぐさま應戰《おうせん》する。この變《へん》な戰鬪《せんとう》が始《はじ》まつてから、十|分《ぷん》も經《た》つた頃《ころ》であらう、私《わたし》は兩足《りやうあし》を捥《もが》れて、氣《き》が附《つ》いた時《とき》には、もう病舎《びやうしや》に居《ゐ》て、手術《しゆじゆつ》も濟《す》むだ後《のち》であつた。  戰鬪《せんとう》の結果《けつくわ》を人《ひと》に聽《き》いて見《み》ると、皆《みな》取留《とりと》めぬ氣休《きやす》めばかり言《い》つてゐるが、察《さつ》する所《ところ》敗北《はいぼく》したに違《ちが》ひない。それにしても、斯《か》うなれば私《わたし》はもう後送《こうそう》される、兎《と》も角《かく》も命《いのち》を繫《つな》ぎ留《と》めた、壽命《じゆみやう》の有《あ》らむ限《かぎ》り長生《ながいき》が出來《でき》る、と思《おも》ふと、足《あし》無《な》しの身《み》にも嬉《うれ》しかつた。が、一|週後《しうご》に漸《やうや》く詳《くは》しい事《こと》が分《わか》ると、又《また》胡亂《うろん》になつて、曾《かつ》て覺《おぼ》えぬ奇異《きい》な恐怖《きようふ》を更《さら》に心《こゝろ》に懷《いだ》くやうになつた。  矢張《やツぱ》り味方《みかた》であつたらしい。味方《みかた》が味方《みかた》の砲《はう》で擊出《うちだ》した味方《みかた》の破裂彈《はれつだん》で私《わたし》は足《あし》を捥《もが》れたのだ。如何《どう》して此樣《こん》な間違《まちがひ》をしたのか、誰《だれ》にも分《わか》らぬ。何《なん》だか妙《めう》な事《こと》になつて如何《どう》してか目《め》が眩《くら》むで、同《おな》じ軍《ぐん》に屬《ぞく》する二|個《こ》の聯隊《れんたい》が一ウエルストを隔《へだ》てゝ相對《あひたい》して、相手《あひて》は敵《てき》と十|分《ぶん》に思込《おもひこ》みながら、丸《まる》一|時間《じかん》も同志打《どしうち》してゐたのだ。皆《みな》成《な》るたけ其《その》噂《うはさ》をするのを避《さ》けて、すれば曖昧《あいまい》の事《こと》ばかり言《い》ふ。何《なに》よりも不思議《ふしぎ》なのは、その噂《うはさ》をしても、大抵《たいてい》は今《いま》だに同志打《どしうち》とは思《おも》つてゐない。いや、寧《むし》ろ同志打《どしうち》は認《みと》める、唯《たゞ》最初《さいしよ》から同志打《どしうち》したのでない、最初《さいしよ》は實際《じつさい》敵《てき》を相手《あひて》にしてゐたのだが、全戰線《ぜんせん〳〵》の紛糾《こぐらか》つた紛《まぎ》れに、其《その》敵《てき》は何處《どこ》へか消《き》えて、我々《われ〳〵》は遂《つひ》に味方《みかた》の彈丸《たま》を被《かぶ》つたのだ、と思《おも》つてゐる。中《なか》には隱《かく》さず然《さ》うと明言《めいげん》して、事實《じゞつ》だと思《おも》ひ、事實《じゞつ》らしいと思《おも》ふ程《ほど》の事《こと》を列《なら》べて、具《つぶ》さに其《その》次第《しだい》を語《かた》る者《もの》もある。私《わたし》も如何《どう》して此樣《こん》な間違《まちがひ》が起《おこ》つたのか、今《いま》になつてもまだ確乎《しか》とした事《こと》が言《い》へぬ。最初《さいしよ》見《み》た時《とき》には我軍《わがぐん》の赤線《あかすぢ》入《い》りの軍服《ぐんぷく》に紛《まぎ》れなかつたのが、其後《そのゝち》見《み》たら確《たしか》に黃筋《きすぢ》の敵《てき》の軍服《ぐんぷく》になつてゐたのだ。唯《たゞ》如何《どう》してか間《ま》もなく皆《みな》此《この》間違《まちがひ》を忘《わす》れて、眞《しん》に敵《てき》と鬪《たゝか》つたやうに思込《おもひこ》んで了《しま》つたから、僞《いつは》る氣《き》もなく其《その》通《とほ》りを通信《つうしん》に書《か》いて送《おく》った者《もの》が多《おほ》い。それは歸國後《きこくご》に私《わたし》も讀《よ》んで知《し》つてゐる。で、最初《さいしよ》は此《この》時《とき》負傷《ふしやう》した我々《われ〳〵》に向《むか》ふと、世間《せけん》の人《ひと》の樣子《やうす》が少《すこ》し妙《めう》で、何《なん》となく他《た》の負傷者《ふしやうしや》程《ほど》に同情《どうじやう》を寄《よ》せて吳《く》れぬらしかつたが、其《その》區別《わけへだて》も直《ぢ》き消《き》えて了《しま》つた。唯《たゞ》之《これ》に類《るゐ》した事《こと》が其後《そのご》も有《あ》つたし、又《また》實際《じつさい》敵方《てきがた》にも某隊《ぼうたい》と某隊《ぼうたい》とが夜中《やちう》同志打《どしうち》をして殆《ほとん》ど全滅《ぜんめつ》したといふ事實《じゞつ》も有《あ》つて見《み》れば、我々《われ〳〵》も矢張《やツぱり》間違《まちが》つて同志打《どしうち》したといふに不思議《ふしぎ》はないと思《おも》ふ。  私《わたし》の手術《しゆじゆつ》を受《う》けたドクトルはヨードホルムや烟草《たばこ》の烟《けむり》や石炭酸《せきたんさん》の香《にほひ》のする、いつ見《み》ても黃味《きみ》を帶《お》びた白《しろ》い斑髭《まだらひげ》の中《なか》で莞爾莞爾《にこ〳〵》してゐる、乾枯《ひから》びたやうな骨張《ほねば》つた老人《らうじん》であつたが、眼《め》を細《ほそ》くして云《い》ふには、 「貴方《あなた》は其中《そのうち》後送《こうそう》されやうが、仕合《しあは》せな事《こと》だ。どうも何《なん》だか變《へん》な鹽梅《あんばい》ですからな。」 「如何《どう》してゞす?」 「如何《どう》してといふ事《こと》もないが、どうも變《へん》な鹽梅《あんばい》ですわい。私逹《わたしたち》の行《や》つた時分《じぶん》には此樣《こんな》に拗《こじ》れた事《こと》はなかつた。」  二十|餘年《よねん》前《ぜん》最後《さいご》の歐洲《おうしう》戰役《せんえき》に從軍《じうぐん》した人《ひと》で、能《よ》く其頃《そのころ》の噂《うはさ》をしては得意《とくい》になる。が、今度《こんど》の戰爭《せんさう》は理由《わけ》が分《わか》らぬとか云《い》つて、始終《しじゆう》懸念《けねん》さうな樣子《やうす》でゐるのだ。 「どうも變《へん》ですわい、」と溜息《ためいき》をして、顏《かほ》を顰《しか》めて烟草《たばこ》の烟《けむり》の中《なか》に雲隱《くもがく》れをしたが、「成《な》らう事《こと》なら、私《わたし》も歸《かへ》りたい。」  と、人《ひと》の面《かほ》を覗《のぞ》き込《こ》むやうにして、黃《きい》ろい烟脂《やに》だらけの髭越《ひげご》しに、 「ま、見《み》てゐて御覽《ごらん》、今《いま》に大變《たいへん》な事《こと》になつて、一人《ひとり》だつて生《い》きちや環《かへ》れなくなるから。私《わたし》始《はじ》め皆《みな》討《やら》れる。」  と老眼《らうがん》を私《わたし》の面《かほ》近《ちか》くに据《す》ゑて、此人《このひと》も矢張《やツぱ》りキョトンとする。之《これ》を觀《み》ると、百千の建物《たてもの》が一|時《じ》に崩《くづ》れ懸《かゝ》つた程《ほど》、私《わたし》は堪《たま》らなく恐《おそ》ろしくなつて、慄然《ぞツ》として、小聲《こゞゑ》で、 「赤《あか》い笑《わらひ》だ。」  此《この》意味《いみ》の分《わか》つたのは此人《このひと》が始《はじ》めてゞあつた。急《きふ》に首肯《うなづ》いて、 「全《まつた》くだ。赤《あか》い笑《わらひ》だ。」  で、直《ひた》と私《わたし》に寄添《よりそ》つて、きよろ〳〵しながら年寄《としより》の癖《くせ》として諒々《くど〴〵》と囁《さゝや》くのだが、囁《さゝや》く度《たび》に先窄《さきすぼ》まりの半白《ごましほ》の頰髯《ほゝひげ》が搖《うご》く。 「貴方《あなた》は直《ぢ》き後送《こうそう》されるのだから、お話《はなし》するが、何《なん》ですか、貴方《あなた》は瘋癲《ふうてん》病院《びやうゐん》で狂人《きちがひ》が喧嘩《けんくわ》をするのを見《み》た事《こと》が有《あ》りますか? 無《な》い? 私《わたし》は有《あ》る。喧嘩《けんくわ》をする所《ところ》は矢張《やツぱり》無病《むびやう》の人《ひと》のやうだ。ね、無病《むびやう》の人《ひと》のやうだ。」  と幾度《いくたび》か理由《わけ》ありさうに此《この》文句《もんく》を反覆《くりかへ》す。 「で、如何《どう》したといふのです?」  と私《わたし》も矢張《やつぱり》恟々《きよと〳〵》しながら聲《こゑ》を竊《ひそ》めて聞《き》くと、 「如何《どう》したといふのでもないが、矢張《やつぱり》無病《むびやう》の人《ひと》のやうだ。」 「赤《あか》い笑《わらひ》だ。」 「水《みづ》を打掛《ぶつか》けて引分《ひきわけ》るのです。」  雨《あめ》に度肝《どぎも》を拔《ぬ》かれた事《こと》を憶出《おもひだ》して、私《わたし》は癪《しやく》に觸《さは》つたから、 「貴方《あなた》は氣《き》が狂《くる》つたンだ!」 「が、貴方《あなた》以上《いじやう》ぢやない。要《えう》するに、以上《いじやう》ぢやない。」  と、尖《とが》つた老《おい》の膝《ひざ》を抱《だ》いて、ヒゝと笑《わら》つた。この厭《いや》な意外《いぐわい》な笑聲《わらひごゑ》の名殘《なごり》を、ばさ〳〵に乾《かは》いた唇《くちびる》にまだ留《とゞ》めたまゝ、肩越《かたごし》に人《ひと》の面《かほ》を尻眼《しりめ》に掛《か》けて、幾度《いくたび》か擽《くす》ぐつたい目交《めまぜ》をする。何《なに》か恐《おそ》ろしく可笑《をか》しな事《こと》があるが、それを知《し》つてゐる者《もの》は二人《ふたり》切《ぎり》で外《ほか》には誰《たれ》も知《し》り手《て》が無《な》いと云《い》つた調子《てうし》だ。それから魔術師《まじゆつし》が手品《てじな》を使《つか》ふやうに、大業《おほげふ》に高々《たか〴〵》と手《て》を擧《あ》げて、スウと輕《かろ》く其《それ》を卸《おろ》して、窃《そツ》と二|本《ほん》指《ゆび》で夜着《よぎ》の、切斷《せつだん》しなかつたら私《わたし》の足《あし》の在《あ》るべき所《ところ》を抑《おさ》へて、 「この意味《いみ》が分《わか》りますか?」  とひそ〳〵と聞《き》く。更《さら》に又《また》大業《おほげふ》に理由《わけ》有《あ》りさうに負傷者《ふしやうしや》が幾側《いくかは》かに分《わか》れて寢臺《ねだい》に臥《ね》てゐるのを指《さ》して、また、 「この意味《いみ》が說明《せつめい》出來《でき》ますか?」 「負傷者《ふしやうしや》でさ。」 「負傷者《ふしやうしや》」、と反響《はんきやう》のやうに反覆《くりかへ》して、「足《あし》もない、腕《うで》もない、腹《はら》には風穴《かざあな》を明《あ》けられて、胸《むね》を微塵《みじん》に碎《くだ》かれて、眼球《がんきう》を抉《ゑぐ》り取《と》られてゐる――この意味《いみ》が分《わか》つてゐるのですな? 宜《よろ》しい。ぢや、この意味《いみ》も分《わか》るでせう?」  と手《て》を突《つ》いて、年齡《とし》に似合《にあ》はず飜然《ひらり》と身輕《みがる》に逆立《さかだち》をして、足《あし》で釣合《つりあひ》を取《と》つてゐる。白《しろ》の治療服《ちれうふく》は捲《まく》れて、面《かほ》は眞紅《まつか》に充血《じうけつ》したが、逆《さか》になつた變《へん》な目色《めつき》で、喰入《くひい》るやうに凝《ぢつ》と私《わたし》の面《かほ》を視《み》ながら、辛《やつ》と、途切《とぎ》れ〳〵に、 「この意味《いみ》も…矢張《やつぱ》り…分《わか》りますか?」 「もう好加減《いゝかげん》になさい。止《よ》さんと、僕《ぼく》は聲《こゑ》を立《た》てるから。」  と私《わたし》は怯《おび》えた小聲《こゞゑ》で云《い》つた。  ドクトルは飜然《ひらり》と足《あし》を卸《おろ》して、自然《しぜん》の位置《ゐち》に復《ふく》し、更《さら》に私《わたし》の寢臺《ねだい》の側《そば》に坐《すわ》つて、フウと息《いき》をしながら、我《われ》一人《ひとり》心得顏《こゝろえがほ》に、 「誰《だれ》にも此《この》意味《いみ》が分《わか》らない。」 「昨日《きのふ》又《また》砲戰《はうせん》が有《あ》つたさうですな?」 「有《あ》りました。一昨日《をとゝひ》も有《あ》つた、」とドクトルは其通《そのとほ》りといふ意《こゝろ》を頷《うなづ》いて示《み》せる。  私《わたし》は欝々《くさ〳〵》して、 「あゝ、歸《かへ》りたい! ね、ドクトル、私《わたし》はもう歸《かへ》りたい。到底《とて》も此樣《こん》な處《とこ》にや居《ゐ》られん。もう私《わたし》にや樂《たの》しい家庭《かてい》が有《あ》るとも思《おも》へなくなりさうだ。」  ドクトルは何《なに》か考《かんが》へて居《ゐ》て返答《へんたふ》をしなかつた。で、私《わたし》は泣出《なきだ》した。 「あゝ、私《わたし》には足《あし》が無《な》い。彼樣《あんな》に自轉車《じてんしや》に乗《の》つたり、步《ある》いたり、駈《か》けたりするのが好《す》きだつたが、もう足《あし》が無《な》い。右《みぎ》の膝《ひざ》へ坊《ばう》を載《の》つけて搖《ゆす》ぶると、坊《ばう》は能《よ》く笑《わら》つたツけが、もう此樣《こん》なに成《な》つちや…あゝ實《じつ》に酷《ひど》い奴等《やつら》だ! これぢや歸《かへ》つたつて、仕方《しかた》がない。まだ僅《たつ》た三十だのに… 實《じつ》に酷《ひど》い奴等《やつら》だ!」  と懷《なつ》かしい足《あし》、早《はや》い逹者《たつしや》な足《あし》を偲《しの》んで、私《わたし》は直泣《ひたな》きに泣《な》いた。誰《だれ》が人《ひと》の足《あし》を持《も》つて行《い》つた、如何《いか》なる權利《けんり》が有《あ》つて持《も》つて行《い》つた!ドクトルは餘所《よそ》を見《み》ながら、 「斯《か》ういふ事《こと》がある。昨日《きのふ》見《み》てゐたら、氣違《きちが》ひの兵《へい》が此方《こつち》の陣地《ぢんち》へ紛《まぎ》れ込《こ》んで來《き》た。敵《てき》の兵《へい》なんです。殆《ほとん》ど丸裸《まるはだか》で、散々《さん〴〵》打《ぶち》のめされて來《き》た樣子《やうす》で、引搔傷《ひツかききず》だらけだ。宿無《やどな》し犬《いぬ》か何《なん》ぞのやうにガツ〳〵してゐる。頭髮《かみ》や髯《ひげ》が蓬々《ぼう〳〵》と生《は》えて、尤《もつと》もこれはお互《たがひ》の事《こと》だが、野蠻人《やばんじん》か、此世《このよ》開《ひら》けたての人間《にんげん》か、乃至《ないし》猿《さる》かといつたやうな奴《やつ》だ。手《て》を揮《ふ》るやら、身《み》を揉《も》むやら、歌《うた》を唱《うた》つたり、大聲《おほごゑ》に喚《わめ》いたりして、兎角《とかく》喧嘩《けんくわ》を賣《う》りたがる。で、物《もの》を喰《く》はしてから、元《もと》の野原《のはら》へ逐返《おひかへ》して了《しま》つたが、こんな連中《れんちう》は然《さ》うでもする外《ほか》仕方《しかた》がないですからな。あゝいふ連中《れんちう》だ、每日《まいにち》每晚《まいばん》ぼろ〳〵した薄氣味《うすきみ》の惡《わる》い幽靈《いうれい》のやうな風《ふう》をして、山《やま》の中《なか》を彷徨《うろつ》き廻《まは》るのは。雨風《あめかぜ》に曝《さら》され放題《はうだい》曝《さら》されて、道《みち》も無《な》い處《ところ》を宛《あて》もなく往《い》つたり來《き》たりして、手《て》を揮《ふ》る、笑《わら》ふ、喚《わめ》く、歌《うた》う。こんなのが二人《ふたり》出遭《であ》へば喧嘩《けんくわ》をする――それとも出遭《であ》つても氣《き》が附《つ》かずに行違《いきちが》つて了《しま》ふかも知《し》れんが。一|體《たい》何《なに》を喰《く》つて生《い》きてるのか分《わか》らん。恐《おそ》らく何《なに》も喰《く》はずに居《ゐ》るのぢやないかと思《おも》はれるが、若《も》し何《なに》か喰《く》つてゐるなら、死骸《しがい》だ、――每晚《まいばん》夜《よ》ツぴて山《やま》で咬合《かみあ》つて唁々《きやん〳〵》吠立《ほえた》てる、あの喰《くら》ひ太《ふと》つた野良犬《のらいぬ》と一|緖《しょ》になつて、死骸《しがい》を喰《く》つてるのだ。每晚《まいばん》、嵐《あらし》に目《め》を覺《さま》した鳥《とり》か、醜《みつとも》ない恰好《かつかう》をした蛾《が》のやうに、火《ひ》に集《たか》つて來《く》る。寒《さむ》さ凌《しの》ぎに篝《かゞり》でも焚《た》けば、三十|分《ぷん》と經《た》たぬ中《うち》に、ぼろ〳〵した風《ふう》の、凄《すご》い、凍《かじ》け猿《ざる》のやうな奴《やつ》がガヤ〳〵と寄《よ》つて來《く》る。敵《てき》かと思《おも》つて其《それ》に發砲《はつぱう》することもあるが、時《とき》としては其奴等《そいつら》が譯《わけ》も分《わか》らん事《こと》をワイ〳〵いふその聲《こゑ》に脅《おびや》かされるので、肝癪《かんしやく》を起《おこ》して故意《わざ》と遣付《やつつ》ける事《こと》もある…」 「あゝ、歸《かへ》りたい!」と私《わたし》は大聲《おほごゑ》に言《い》つて耳《みゝ》を塞《ふさ》いだが、凄《すご》い話《はなし》が綿《わた》を隔《へだ》てゝ聞《き》くやうに、物《もの》に籠《こも》つて隱々《いん〳〵》と、散々《さん〴〵》惱《なや》まされた惱髓《なうずゐ》に更《さら》に響《ひゞ》いて來《く》る。 「かういふ連中《れんちう》は大分《だいぶ》居《ゐ》る。或《あるひ》は谷底《たにぞこ》に落《お》ちたり、或《あるひ》は正氣《しやうき》の健全《けんぜん》な人《ひと》の爲《ため》に設《まう》けた狼穽《らうせい》に陷《おちい》つたり、或《あるひ》は戰塲《せんぢやう》に取殘《とりのこ》された鐵條網《てつでうまう》の齒《は》や杭《くひ》の先《さき》に引掛《ひつかゝ》つたりして、一|度《ど》に何百《なんびやく》となく死《し》ぬ。進退《しんたい》に方《はう》のある正氣《しやうき》の戰鬪《せんとう》に紛《まぎ》れ込《こ》むで、いつも先頭《せんとう》に立《た》つて奮鬪《ふんとう》する所《ところ》は、如何《いか》にも勇士《ゆうし》のやうだが、其代《そのかは》り味方《みかた》に刄向《はむか》ふことも珍《めづ》らしくない。私《わたし》は此《この》連中《れんちう》が氣《い》に入《い》つた。私《わたし》も今《いま》は唯《たゞ》氣《き》が違《ちが》ひかゝつてゐるばかりだから、斯《か》うして坐《すわ》つて貴方《あなた》と話《はなし》をしてゐるのだが、これで全然《すつかり》狂《くる》つたとなると、私《わたし》は野《の》へ出《で》ますな。野《の》へ出《で》て大《おほい》に叫《さけ》ぶ。大《おほい》に叫《さけ》んで其《この》勇敢《ゆうかん》な可怕《おそろ》しいといふことを知《し》らぬ武士逹《ぶしたち》を集《あつ》めて、而《さう》して全世界《ぜんせかい》に向《むか》つて宣戰《せん〳〵》する。樂隊《がくたい》を先《さき》に立《た》てて、軍歌《ぐんか》を唱《うた》つて、欣〻《きん〳〵》として町《まち》や村《むら》へ乗込《のりこ》む。我々《われ〳〵》の足跡《そくせき》到《いた》る處《ところ》盡《こと〴〵》く眞紅《まつか》になる、總《すべ》ての物《もの》が火輪《くわりん》の如《ごと》く輪《わ》を舞《ま》つて踊《をどり》ををどる。生殘《いきのこ》つた者《もの》が馳加《はせくはゝ》つて、我《わが》精銳《せいえい》は雪崩《なだれ》のやうに進《すゝ》めば進《すゝ》む程《ほど》人數《にんずう》が增《ま》して、而《さう》して遂《つひ》に此《この》世界《せかい》を一|掃《さう》するのだ。何《なん》だと? 人《ひと》を殺《ころ》してはならん? 民家《みんか》を焚《や》くな?掠奪《りやくだつ》するな? 誰《だれ》が其樣《そん》な事《こと》をいふ?」  と狂《くる》つたドクトルはもう絕叫《ぜつきう》するのであつた。胸部《けうぶ》腹部《ふくぶ》を擊碎《うちくだ》かれた者《もの》、眼球《がんきう》を抉《ゑぐ》り出《だ》された者《もの》、乃至《ないし》足《あし》を切斷《せつだん》された者《もの》の、今迄《いまゝで》眠《ねむ》つてゐたやうな創《きず》の傷《いた》みが、此《この》絕叫《ぜつきう》の聲《こゑ》に呼覺《よびさま》されて疼《うづ》き出《だ》す。幅《はゞ》のある、鍋底《なべぞこ》でも搔《か》くやうな、泣《な》くやうな唸聲《うなりごゑ》が病舎内《びやうしやない》に充《み》ち渡《わた》つて、靑《あを》い、黃《きい》ろい、疲《つか》れ切《き》つた、或《あるひ》は眼《め》の無《な》い、或《あるひ》は地獄《ぢごく》戾《もど》りかと思《おも》はれる程《ほど》痛《したゝ》か形《かたち》を損《そん》じた人《ひと》の面《かほ》が八|方《ぱう》から此方《こちら》を向《む》く。此等《これら》が呻《うめ》きつゝ耳《みゝ》を傾《かたむ》ける外《ほか》には、開放《あけツぱな》しの戶口《とぐち》から漠々《ばく〳〵》と此世《このよ》を掩《おほ》ふ眞黑《まつくろ》な暗黑《やみ》が窃《そつ》と内《うち》を覗《のぞ》き込《こ》む。氣《き》の狂《くる》つた老人《らうじん》は兩手《りやうて》を伸《の》べて更《さら》に絕叫《ぜつきう》した、 「誰《だれ》が其樣《そん》な事《こと》を言《い》ふ? 何《なん》の、我々《われ〳〵》は敢《あへ》て殺《ころ》す、敢《あへ》て焚《や》く、掠奪《りやくだつ》する。我々《われ〳〵》は屈托《くつたく》の無《な》い愉快《ゆくわい》な勇士《ゆうし》の群《むれ》だ。敵《てき》の建物《たてもの》でも、大學《だいがく》でも、博物館《はくつぶくわん》でも、手當《てあた》り次第《しだい》に破壞《はくわい》する。而《さう》して其《その》破壞《はくわい》の跡《あと》で、火《ひ》の笑《わらひ》に充《み》ちた浮《う》かれ軍士《ぐんし》の我々《われ〳〵》が踊《をどり》ををどるのだ。瘋癲《ふうてん》病院《びやうゐん》を我々《われ〳〵》の本國《ほんごく》と稱《しよう》してからに、まだ氣《き》の狂《くる》はぬ奴等《やつら》を我敵《わがてき》と認《みと》め、あべこべに之《これ》を狂人《きやうじん》と呼《よ》ぶのだ。而《さう》して百|戰《せん》百|勝《しよう》の、いつも悅喜滿面《えつきまんめん》の英雄《えいゆう》の此方《このはう》が一|天《てん》萬乗《ばんじよう》の君《きみ》として此《この》世界《せかい》に臨《のぞ》む時《とき》、如何《いか》にも心《こゝろ》ゆくばかりの笑聲《わらひごゑ》が天地《てんち》の間《あひだ》に轟《とゞろ》き渡《わた》るのだ!」 「それが赤《あか》い笑《わらひ》だ!」と私《わたし》は大聲《おほごゑ》出《だ》してドクトルの話《はなし》を奪《と》つて、「助《たす》けて吳《く》れェ! また赤《あか》い笑聲《わらひごゑ》が聞《きこ》える!」 「諸君《しよくん》!」とドクトルは不具《かたは》の幽靈《いうれい》が呻聲《うなりごゑ》を揚《あ》げてゐるやうな人逹《ひとたち》に向《むか》つて、「諸君《しよくん》! 頓《やが》て我々《われ〳〵》の世《よ》となれば、月《つき》も赤《あか》くなる、日《ひ》も赤《あか》くなる、毛物《けもの》の毛《け》も赤《あか》い愉快《ゆくわい》な毛《け》となる。餘《あま》り白《しろ》いと、餘《あま》り白《しろ》いとな、それ、その皮《かは》を引剝《ひンむ》いでやらうといふものだ… 諸君《しよくん》は血《ち》を飮《の》むだことが有《あ》るか? 血《ち》は少《すこ》し黏々《ねば〳〵》する物《もの》だ、少《すこ》し生溫《なまあたゝ》かな物《もの》だ、其代《そのかは》り眞紅《まつか》な物《もの》だ。而《さう》して血《ち》が笑《わら》ふと、眞紅《まつか》な愉快《ゆくわい》な笑聲《わらひごゑ》が聞《きこえ》る!…  (斷篇第七)  ひどい! 亂暴《らんばう》な事《こと》をする。赤十字《せきじふじ》は神聖《しんせい》で、世界《せかい》何《いづ》れの國民《こくみん》も之《これ》に對《むか》つて敬意《けいい》を拂《はら》はん者《もの》はない。何《なに》も兵《へい》を載《の》せては居《ゐ》まいし、何《なん》の手出《てだ》しも出來《でき》ぬ負傷者《ふしやうしや》の乗《の》つた列車《れつしや》という事《こと》は敵《てき》も承知《しようち》なら、地雷《ぢらい》を伏《ふ》せてある事《こと》は警告《けいこく》すべき筈《はず》でないか? 可哀《かわい》さうに旣《も》う皆《みな》故鄉《こきやう》の夢《ゆめ》を見《み》てゐたらうに…  (斷篇第八)  …中央《ちうあう》に湯沸《ゆわか》し、正銘《しやうめい》紛《まぎ》れのない湯沸《ゆわか》し、それが湯氣《ゆげ》を噴《ふ》く所《ところ》は機關車《きくわんしや》のやうだ。ひどい湯氣《ゆげ》でランプのホヤまで少《すこ》し曇《くも》つた位《くらゐ》で、茶碗《ちやわん》も矢張《やはり》昔《むか》しながらの、外《そと》は藍色《あゐいろ》の、中《なか》は白《しろ》い、中々《なか〳〵》見事《みごと》な茶碗《ちやわん》で、結婚《けつこん》の時《とき》の貰《もら》ひ物《もの》だ。贈《おく》り主《ぬし》は妻《さい》の姉妹《きやうだい》だが、氣立《きだて》の好《い》い立派《りつぱ》な婦人《ふじん》だ。 「皆《みな》まだ滿足《まんぞく》でゐるかい?」と奇麗《きれい》な銀製《ぎんせい》の匙《さぢ》で茶碗《ちやわん》の砂糖《さとう》を搔廻《かきまは》しながら、私《わたし》が心元《こゝろもと》なさゝうに聞《き》くと、 「あの、一《ひと》つ壞《こは》れましたの」、と妻《さい》は何氣《なにげ》なく答《こた》へた。妻《さい》は此時《このとき》湯沸《ゆわかし》の龍頭《りうづ》を捻《ねぢ》つてゐたが、湯《ゆ》が見事《みごと》にスウと迸《ほとばし》る。  私《わたし》は高笑《たかわらひ》をした。  弟《をとうと》が、 「何《なに》が可笑《をか》しいのです?」 「なに、何《なん》でもない。それよりか、最《も》う一|度《ど》書齋《しよさい》へ連《つ》れてツて吳《く》れ。何《なに》も勇士《ゆうし》の爲《ため》だ、面倒《めんだう》見《み》て吳《く》れ! 留守中《るすちう》樂《らく》をしてゐたらうが、もう駄目《だめ》だぞ。これからは己《おれ》がウンと使《つか》つてやる。」で、無論《むろん》常談《じやうだん》に、友《とも》よ、急《いそ》がむ、戰《たゝかひ》に、勇《いさ》みて敵《てき》に急《いそ》がむ…と歌《うた》ひ出《だ》した。  皆《みな》私《わたし》の意《こゝろ》を悟《さと》つて微笑《びせう》したが、妻《さい》だけは俯向《うつむ》いて繍《ぬひとり》の有《あ》る奇麗《きれい》な布巾《ふきん》で茶碗《ちやわん》を拭《ふ》いてゐた。書齋《しよさい》へ行《ゆ》くと、水色《みづいろ》の壁紙《かべがみ》や、靑《あを》い笠《かさ》を被《かぶ》つたランプや、水差《みづさし》の乗《の》つた小《ちひ》さなテーブルが又《また》目《め》に付《つ》く。水差《みづさし》は少《すこ》し塵《ちり》に汚《よご》れてゐた。  私《わたし》は浮立《うきた》つて、 「あの水差《みづさし》の水《みづ》を少《すこ》し…」 「今《いま》飮《の》むだばかりぢや有《あ》りませんか。」 「まあ、好《い》い、注《つ》いで吳《く》れ。それから、お前《まへ》な」、と妻《さい》に向《むか》つて、「坊《ばう》を連《つ》れて少《すこ》し次《つぎ》の間《ま》へ行《い》つてゝ吳《く》れんか。賴《たの》む。」  で、私《わたし》はグビリ〳〵と、樂《たの》しみながら、水《みづ》を飮《の》むだ。次《つぎ》の間《ま》には妻《さい》と坊《ばう》が居《ゐ》るのだが、姿《すがた》は見《み》えない。 「もう宜《よろ》しい。さあ、此方《こツち》へお出《い》で。だが、もう晚《おそ》いのに何故《なぜ》坊《ばう》は寢《ね》ないのだ?」 「お歸《かへ》ンなすつたのが嬉《うれ》しいのですよ。坊《ばう》や、お父《とう》さんの側《そば》へお出《い》で。」  しかし坊《ばう》は泣出《なきだ》して母《はゝ》の裾《すそ》に隱《かく》れた。 「何故《なぜ》坊《ばう》は泣《な》くのだらう?」と私《わたし》はうろ〳〵と視廻《みまは》して、「一體《いつたい》お前逹《まへたち》は何故《なぜ》其樣《そん》な蒼《あを》い面《かほ》をして默《だま》つてるのだ? 影法師《かげぼふし》のやうに、始終《しゞう》人《ひと》の跟《あと》にばかり隨《つ》いて來《く》る…」  弟《おとうと》は高笑《たかわらひ》をして、 「默《だま》つてやしません。」  妹《いもうと》も合槌《あひづち》を打《う》つて、 「お饒舌《しやべり》の仕通《しどほ》しよ。」 「どれ、私《わたし》はお夜食《やしよく》の仕度《したく》に掛《かゝ》らう」、と母《はゝ》は倉皇《そゝくさ》と出《で》て行《い》つた。 「いや、默《だま》つてゐる」、と私《わたし》はふツと其《それ》に相違《さうゐ》ないと思込《おもひこ》むで、「朝《あさ》から一言《ひとこと》だつてお前逹《まへたち》の物《もの》を言《い》ふのを聞《き》いた事《こと》がない。己《おれ》ばかり饒舌《しやべ》つたり、笑《わら》つたりして喜《よろこ》んでるのだ。己《おれ》が歸《かへ》つて來《き》ても喜《よろこ》んで吳《く》れんのか? 何故《なぜ》皆《みな》成《な》る丈《たけ》己《おれ》の顏《かほ》を見《み》ぬやうにするのだ? 己《おれ》は其樣《そんな》に變《かは》つたか? そりや變《かは》りもしたらうが…鏡《かゞみ》が一《ひと》つも見《み》えんぢやないか? 皆《みな》片付《かたづ》けて了《しま》つたのか? 鏡《かゞみ》を持《も》つて來《き》て吳《く》れ。」 「は、今《いま》直《す》ぐ持《も》つて參《まゐ》りますよ」、と妻《さい》はいつて、出《で》て行《い》つたぎり中々《なか〳〵》戾《もど》らんで、鏡《かゞみ》は小間使《こまづかひ》が持《も》つて來《き》た。面《かほ》を映《うつ》して見《み》ると、汽車《きしや》に乗《の》つてゐた時《とき》停車塲《ていしやぢやう》に居《ゐ》た時《とき》の矢張《やは》りあの面《かほ》で、少《すこ》し老《ふ》けたやうだが、格別《かくべつ》變《かは》つた事《こと》もない。 「些《ちつ》とも變《かは》つてやせんぢやないか?」  と澄《すま》していふと、傍《そば》の者《もの》は大層《たいそう》喜《よろこ》んだ。何故《なぜ》だか皆《みな》私《わたし》が大聲《おほごゑ》を立《た》てゝ氣絕《きぜつ》でもしさうに思《おも》つてゐたらしい。  妹《いもうと》の笑聲《わらひごゑ》は段々《だん〳〵》高《たか》くなつて、狼狽《あわ》てゝ出《で》て行《い》つて了《しま》つたが、弟《おとうと》は狼狽《らうばい》した樣子《やうす》もなく、落着拂《おちつきはら》つて、 「さう、そんなに變《かは》つちやゐません。たゞ少《すこ》し禿《は》げたばかりで。」 「首《くび》が滿足《まんぞく》に附《つ》いてるのが見付《みつ》け物《もの》だと思《おも》はなきやならん」、と私《わたし》は平氣《へいき》で答《こた》へて、「それはさうと、皆《みな》何處《どこ》へ行《い》つたのだらう――一人《ひとり》起《た》ち二人《ふたり》起《た》ちして。お前《まへ》もう少《すこ》し家《うち》の中《うち》を引張《ひツぱ》り廻《まは》して吳《く》れんか。實《じつ》に此《この》椅子《ゐす》は便利《べんり》だ。全《まる》で音《おと》がせん。幾《いく》ら出《だ》した?己《おれ》も旣《も》う斯《か》うなりや仕方《しかた》がない、金《かね》に糸目《いとめ》を附《つ》けんで此樣《こん》な義足《ぎそく》を買《か》はう、もツと好《い》いのを…や、自轉車《じてんしや》が!…」  壁《かべ》に掛《かゝ》つてゐる。空氣《くうき》が拔《ぬ》いてあるから、護謨輪《ごむわ》は萎《しな》びてゐたが、まだ眞新《まツたら》しだ。後輪《あとわ》の護謨《ごむ》に少《すこ》し泥《どろ》が干乾《ひから》びて附《つ》いてるのは一番《いちばん》最後《しまひ》に乗《の》つた時《とき》の泥《どろ》だ。弟《おとうと》は默《だま》つて椅子《ゐす》を推《お》すのを止《や》めてゐた。私《わたし》には其《その》默《だま》つてゐる意《こゝろ》も立止《たちどま》つてゐる意《こゝろ》も讀《よ》めたから、不機嫌《ふきげん》な面《かほ》をして、 「己《おれ》の方《はう》の聯隊《れんたい》で生殘《いきのこ》つた將校《しやうかう》は四人《よにん》外《ほか》ない。己《おれ》は非常《ひじやう》に幸運《かううん》だ…自轉車《じてんしや》はお前《まへ》に與《や》らう。明日《あす》になつたら、お前《まへ》の部屋《へや》へ持《も》つてつとくが好《い》い。」 「さうですか。ぢや、貰《もら》つときませう」、と弟《おとうと》は素直《すなほ》に言《い》ふ事《こと》を聽《き》いて、「さうですとも、兄《にい》さんは幸運《かううん》だ。市内《しない》でも人口《じんこう》の半分《はんぶん》は忌中《きちう》の人《ひと》だそうですからな。そりや足《あし》は何《なん》だけれど…」 「さうとも。己《おれ》は郵便配逹《いうびんはいたつ》ぢやなしな。」  弟《おとうと》はふと立止《たちど》まつて、 「如何《どう》したんです? 首《くび》が大層《たいそう》震《ふる》へるぢや有《あ》りませんか?」 「なに、何《なん》でもない。直《ぢ》き癒《なほ》つ了《ちま》ふ、醫者《いしや》も然《さ》う言《い》つてゐた。」 「手《て》も震《ふる》へますな?」 「う、手《て》も震《ふる》へる。なに、直《ぢ》き癒《なほ》つ了《ちま》ふ。まあ、推《お》して吳《く》れ。一《ひと》ツ處《ところ》に居《を》ると饜《あ》きて不好《いかん》。」  家内《かない》の者《もの》が皆《みな》佛頂面《ぶつちやうづら》をしてゐるので、私《わたし》も不愉快《ふゆくわい》でならなかつたが、でも床《とこ》を敷《と》る段《だん》になると、又《また》嬉《うれ》しくなつて來《き》た。結構《けつこう》な寢臺《ねだい》だ。四年前《よねんぜん》結婚《けつこん》間際《まぎは》に買《か》つた寢臺《ねだい》の上《うへ》に本式《ほんしき》の床《とこ》を敷《と》つて吳《く》れる。淸《きよ》いシーツを敷《し》いて、それから枕《まくら》を据《す》ゑて、夜着《よぎ》を被《か》ける――その事々《こと〴〵》しい爲體《ていたらく》を見《み》てゐると、可笑《をか》しくて泪《なみだ》が零《こぼ》れる。  妻《さい》に對《むか》つて、 「さ、着物《きもの》を脫《ぬ》がせて吳《く》れ。それから臥《ね》かすのだ。あゝ、好《い》い心持《こゝろもち》だ!」 「は、只今《たゞいま》。」 「早《はや》く!」 「は、只今《たゞいま》。」 「如何《どう》したンだ?」 「は、只今《たゞいま》。」  妻《さい》は私《わたし》の背後《うしろ》の化粧臺《けしやうだい》の側《そば》に立《た》つてゐた。其方《そのはう》を振向《ふりむ》いて見《み》やうとしたけれど、叶《かな》はない。と、不意《ふい》に妻《さい》が大《おほ》きな聲《こゑ》で叫《さけ》んだ。此樣《こんな》な聲《こゑ》は戰塲《せんぢやう》でなければ出《で》ないといふ程《ほど》の大《おほ》きな聲《こゑ》で叫《さけ》んだ、 「情《なさ》けないぢや有《あ》りませんか!」  而《さう》して私《わたし》に飛付《とびつ》いたまゝ、其處《そこ》へ倒《たふ》れて、有《あり》もせぬ私《わたし》の膝《ひざ》へ面《かほ》を埋《うづ》めやうとして、慄然《ぞツ》としたやうに身《み》を引《ひ》いて、又《また》縋《すが》り付《つ》いて、少《すこ》しばかり殘《のこ》つた腿《もゝ》に接吻《せつぷん》しながら、泣《な》きながら、 「あんな滿足《まんぞく》な身體《からだ》だつたのに!…まだ三十ぢや有《あ》りませんか。若《わか》い立派《りツぱ》な方《かた》だつたのに、此樣《こん》なになつて了《しま》つて、情《なさ》けないぢや有《あ》りませんか! 本當《ほんたう》に殘酷《ざんこく》な人逹《ひとたち》だ。貴方《あなた》を此樣《こん》なにすれば、何處《どこ》が好《い》いのでせう? 何《なん》の必要《ひつえう》が有《あ》つたのでせう? 優《やさ》しい貴郞《あなた》を此樣《こん》な姿《すがた》にして了《しま》つて…私《わたし》ももうもう情《なさ》けなくツて…」  此《この》泣聲《なきごゑ》を聞付《きゝつ》けて皆《みな》駈《か》けて來《き》た。母《はゝ》も、妹《いもうと》も、乳母《うば》も皆《みな》駈付《かけつ》けて來《き》て、皆《みな》泣《な》いた、何《なん》だか言《い》つて、私《わたし》の足《あし》の處《ところ》に轉《ころ》がつて、皆《みな》大泣《おほな》きに泣《な》いた。弟《おとうと》は部屋《へや》の入口《いりぐち》に蒼白《あをじろ》い面《かほ》をして立《た》つてゐたが、是《これ》も頤《あご》をわな〳〵顫《ふる》はせて、金切《かなき》り聲《ごゑ》を振絞《ふりしぼ》つて、 「其樣《そん》なに泣《な》かれると、私《わたし》も氣違《きちが》ひになりさうだ――氣違《きちが》ひに!」  母《はゝ》は母《はゝ》で私《わたし》の椅子《ゐす》の側《そば》にひれ伏《ふ》してゐたが、もう大《おほ》きな聲《こゑ》も出《で》ないと見《み》えて、纔《わづ》かに皺嗄《しやが》れ聲《ごゑ》を立《た》てゝ、頭《あたま》を車輪《しやりん》に打當《うちあ》て〳〵泣《な》いてゐた。で、其處《そこ》に枕《まくら》を据《す》ゑて夜着《よぎ》を掛《か》けた淸潔《きれい》な寢臺《ねだい》が見《み》える。四年前《よねんぜん》結婚《けつこん》間際《まぎは》に買《か》つた寢臺《ねだい》だ…  (斷篇第九)  …私《わたし》は湯槽《ゆぶね》に涵《つか》つてゐた。弟《おとうと》は起《た》つたり、居《ゐ》たり。タオルや石鹼《しやぼん》を取上《とりあ》げて、近々《ちか〴〵》と近視眼《ちかめ》の側《そば》へ持《も》つて行《い》つたり、又《また》舊《もと》へ戾《もど》したりして、狹《せま》い部屋《へや》の中《なか》でまご〳〵してゐたが、頓《やが》て壁《かべ》に對《むか》つて、指先《ゆびさき》で壁土《かべつち》を弄《せゝ》りながら、 「ま、考《かんが》へて御覽《ごらん》なさい。數《すう》十|年《ねん》數《すう》百|年《ねん》の間《あひだ》、慈悲《じひ》だの、分別《ぶんべつ》だの、論理《ろんり》だのといふ事《こと》を敎《をし》へ込《こ》んで、人《ひと》に意識《いしき》を與《あた》へた以上《いじやう》は、――何《なに》はさて措《お》いて、意識《いしき》を與《あた》へた以上《いじやう》はですな、其丈《それだけ》の應報《おうはう》が屹度《きつと》無《な》けりやならん。そりや殘忍《ざんにん》になれんではない。無感覺《むかんかく》になつて、血《ち》を見《み》ても、淚《なみだ》を見《み》ても、人《ひと》の苦《くる》しむのを見《み》ても、平氣《へいき》でゐるやうに、爲《な》らうとすればなれる。例《たと》えば、牛《うし》や豚《ぶた》の屠殺者《とさつしや》、或種《あるしゆ》の醫者《いしや》、或《あるひ》は軍人《ぐんじん》なぞが其《それ》でさ。が、しかし、一|旦《たん》眞理《しんり》を認識《にんしき》した者《もの》が眞理《しんり》を棄《す》てゝ了《しま》ふ事《こと》が出來《でき》るでせうか? 私《わたし》は出來《でき》んと思《おも》ふ。子供《こども》の時《とき》から動物《どうぶつ》を苦《くるし》めるな、情《なさけ》を知《し》れ、と敎《をし》へられてゐるのです。讀《よ》んだ書物《しよもつ》といふ書物《しよもつ》には皆《みな》然《さ》う書《か》いてあるのです。だから今度《こんど》の戰爭《せんさう》に惱《なや》まされる人《ひと》を見《み》ると、私《わたし》は氣《き》の毒《どく》で〳〵耐《たま》らない。私《わたし》は戰爭《せんさう》を呪咀《じゆそ》する。が、段々《だん〳〵》日數《ひかず》の經《た》つに隨《つ》れ、人《ひと》の死《し》ぬのや、苦《くる》しむだり血《ち》を流《なが》したりするのが珍《めづ》らしくなくなつて來《く》ると、不斷《ふだん》は感覺《かんかく》が鈍《にぶ》つたやうな、道義心《だうぎしん》が麻痺《まひ》したやうな鹽梅《あんばい》で、餘程《よほど》何《なに》か强《つよ》い刺戟《しげき》でも受《う》けなきや、胸《むね》に應《こた》へない。が、それでも、戰爭《せんさう》其物《そのもの》とは如何《どう》しても折合《をりあ》ふ事《こと》が出來《でき》ん。元來《ぐわんらい》が沒常識《ぼつじやうしき》の事《こと》を理解《りかい》する――そんな事《こと》は私《わたし》の頭《あたま》では出來《でき》ない。百|萬《まん》の人《ひと》が一所《ひとところ》に集《あつま》つて、一々|法《はふ》に依《よ》つて進退《しんたい》して命《いのち》を取合《とりあ》ふ、而《さう》して皆《みな》同《おな》じやうに苦《くる》しい思《おもひ》をして、同《おな》じやうに不幸《ふかう》な身《み》の上《うへ》になる、――それに何《なん》の意味《いみ》が有《あ》ります? 全《まる》で狂人《きちがひ》の所爲《しよゐ》ぢや有《あ》りませんか?」  と弟《おとうと》は此方《こちら》を振向《ふりむ》いて、近視《きんし》の、少《すこ》し愛度氣《あどけ》ない眼《め》で、返答《へんたふ》でも催促《さいそく》するやうに、凝《ぢツ》と私《わたし》の面《かほ》を視《み》た。 「赤《あか》い笑《わらひ》さ」、と私《わたし》は快活《くわいくわつ》に言《い》つて、ボシャリ〳〵とやつてゐた。 「實《じつ》はね」、と弟《おとうと》は親《した》しらしく冷《つめ》たい手《て》を私《わたし》の肩《かた》へ載《の》せると、素肌《すはだ》で濡《ぬ》れてゐたので、吃驚《びつくり》したやうに、手《て》を引込《ひつこ》めて、「實《じつ》はね、私《わたし》はどうも氣違《きちが》ひになりさうで、心配《しんぱい》でならんのです。私《わたし》には一|體《たい》如何《どう》した事《こと》だか、事由《わけ》が分《わか》らん。分《わか》らんで、怖《おそ》ろしい。誰《だれ》か事由《わけ》を言《い》つて聽《き》かせて吳《く》れると好《い》いのだが、誰《だれ》一人《ひとり》其《それ》の出來《でき》る者《もの》がない。兄《にい》さんは戰爭《せんさう》へ出《で》て實地《じつち》を目擊《もくげき》して來《き》なすつたんだ。事由《わけ》を話《はな》して下《くだ》さい。」 「そんな事《こと》己《おれ》は知《し》らん!」  と戯言《じやうだん》らしく言《い》つてボシャリ〳〵やつてゐると、弟《おとうと》は悲《かな》しさうに、 「矢張《やツぱり》分《わか》らん? ぢや、私《わたし》はもう誰《だれ》の力《ちから》も借《か》りられないのだ。酷《ひど》いなア! 私《わたし》にやもう仕《し》て好《い》い事《こと》と惡《わる》い事《こと》の見界《みさかひ》も附《つ》かない、――何《なに》が分別《ふんべつ》だやら、無分別《むふんべつ》だやら、私《わたし》が今《いま》甘《あま》へる風《ふう》で、徐《そツ》と兄《にい》さんの咽喉《のど》に手《て》を掛《か》けて、グツと締上《しめあ》げたら、如何《どう》だらう?」 「馬鹿《ばか》を言《い》つてる! 誰《だれ》が其樣《そん》な眞似《まね》をする奴《やつ》が有《あ》るもんか!」  弟《おとうと》は冷《つめ》たい手《て》を揉《も》むで、微《かす》かに笑《わら》つて、 「兄《にい》さんが彼地《あツち》に居《ゐ》る頃《ころ》、私《わたし》は夜《よる》寢《ね》ない事《こと》が能《よ》く有《あ》つた、――眼《め》が合《あ》はないで。すると、變《へん》な氣《き》になつて、斧《おの》でもつて阿母《おつか》さんも、妹《いもうと》も、下女《げぢよ》も、犬《いぬ》も、皆《みな》叩殺《たゝきころ》して了《しま》はうかと思《おも》ふ。無論《むろん》然《さ》う思《おも》ふばかりで、其樣《そん》な事《こと》は行《や》る氣遣《きづか》ひはないが…」 「行《や》られちや耐《たま》らん」、と私《わたし》は莞爾《につこり》して、ボシャリボシャリとやつてゐると、 「それから又《また》ナイフだ。總《すべ》て銳利《えいり》な晃々《ぴか〳〵》する物《もの》があると、危險《けんのん》でならん。若《も》し私《わたし》がナイフを持《も》つたら、屹度《きつと》人《ひと》を斬《き》りさうな氣《き》がする。だつて、若《も》し銳利《えいり》なナイフだつたら、斬《き》りたくなるに不思議《ふしぎ》はないでせう?」 「尤《もつとも》な次第《しだい》だ。お前《まへ》も餘程《よほど》變物《へんぶつ》だな。もう少《すこ》し湯《ゆ》を注《さ》して吳《く》れ。」  弟《おとうと》は龍頭《りうづ》を捻《ひね》つて、湯《ゆ》を注《さ》してから、また、 「それから又《また》群衆《ぐんじゆ》だ。人《ひと》が大勢《おほぜい》集《あつま》つてると、私《わたし》は心配《しんぱい》でならん。晚《ばん》に外《そと》で大《おほ》きな聲《こゑ》でもして騷々《さう〴〵》しいと、私は愕然《ぎよツ》として、始《はじ》まつたのぢやないかと思《おも》ふ、斬合《きりあひ》が。人《ひと》が二三|人《にん》立話《たちばなし》をしてゐる。話《はなし》の筋《すぢ》が分《わか》らないと、今《いま》にも其《その》人逹《ひとたち》が大聲《おほごゑ》立《た》てゝ飛蒐《とびかゝ》つて斬合《きりあひ》が始《はじ》まりさうに思《おも》はれてならん。それに貴兄《あなた》も御存《ごぞん》じだらうが」、と仔細《しさい》ありげに私《わたし》の耳《みゝ》の側《そば》へ顏《かほ》を持《も》つて來《き》て、「新聞《しんぶん》を見《み》ると、人殺《ひとごろ》しの記事《きじ》だらけでせう? それが皆《みな》變《へん》な人殺《ひとごろ》しばかりだ。十|人《にん》十種《といろ》といふけれど、虛《うそ》です。人《ひと》の良智《りやうち》といふものは一《ひと》つで、その良智《りやうち》が段々《だん〴〵》曇《くも》り出《だ》したのです。まあ、私《わたし》の頭《あたま》を觸《さは》つて御覽《ごらん》、非常《ひじやう》に熱《あつ》いから。全《まる》で火《ひ》のやうだ。けれども此奴《こいつ》が時《とき》とすると冷《つめ》たくなつて、頭《あたま》の中《なか》が總《すべ》て凍《こほ》つたやうな、かじけたやうな、怖《おそ》ろしい、コチ〳〵の、氷《こほり》のやうな物《もの》になつて了《しま》ふ事《こと》も有《あ》るのです。私《わたし》は如何《どう》しても氣違《きちが》ひになりさうだ。笑《わら》ひ事《ごと》ぢやない、本當《ほんたう》に氣違《きちが》ひになりさうだ。もう十五|分《ふん》になりますよ。好加減《いゝかげん》にお出《で》なさらんと…」 「もう少《すこ》し。もう一|分《ぷん》ばかり。」  昔《むかし》のやうに湯槽《ゆぶね》に涵《つか》つて、弟《おとうと》の言《い》ふ事《こと》には心《こゝろ》を留《と》めずに、耳《みゝ》に慣《な》れた其聲《そのこゑ》を聽《き》きながら、少《すこ》し綠靑《ろくしやう》を吹《ふ》いた銅《どう》の龍頭《りうづ》だの、見慣《みな》れた壁《かべ》の模樣《もやう》だの、棚《たな》に順《じゆん》好《よ》く列《なら》べた寫眞《しやしん》機械《きかい》だのと、古《ふる》い馴染《なじみ》のある、有觸《ありふ》れた、平凡《へいぼん》の物《もの》ばかりだけれど、之《これ》を見《み》てゐると、何《なん》とも言《い》へず心持《こゝろもち》が好《い》い。又《また》寫眞《しやしん》硏究《けんきう》を始《はじ》めて、平凡《へいぼん》な隱《おだや》かな景《けい》を寫《うつ》したり、坊《ばう》の步《ある》く所《ところ》や笑《わら》ふ所《ところ》や、惡戯《いたづら》する所《ところ》を撮《と》つたりする。足無《あしな》しでも是《これ》なら出來《でき》る。文壇《ぶんだん》の名著《めいちよ》や、思想界《しさうかい》の新《あたら》しい功程《こうてい》や、美《び》や、平和《へいわ》を題目《だいもく》にして文《ぶん》を作《つく》るのだ。 「ほツ、ほツ、ほ!」といつて、私《わたし》はボシャリボシャリと行《や》つた。 「如何《どう》したんです?」  と弟《おとうと》が吃驚《びつくり》して顏色《かほいろ》を變《か》へたから、 「なに、たゞ… 家《うち》に斯《か》うしてゐるのが愉快《ゆくわい》だもんだからね。」  弟《おとうと》は微笑《びせう》した。その樣子《やうす》が如何《いか》にも私《わたし》を赤兒《あかご》か年下《としゝた》の者《もの》のやうに思《おも》つてゐるらしかつたが、其癖《そのくせ》私《わたし》より三《みツ》つ下《した》なのだ。而《さう》して自分《じぶん》は大人《おとな》ぶつて凝《ぢツ》と考込《かんがへこ》んだ所《ところ》は、何《なに》か年來《ねんらい》思惱《おもひなや》む一|大事《だいじ》でも有《あ》りさうな樣子《やうす》だつた。  やがて首《くび》を竦《すく》めて、 「迯《に》げやうにも、迯路《にげみち》がない。每日《まいにち》殆《ほとん》ど同《おなじ》時刻《じこく》に新聞《しんぶん》が人《ひと》の血《ち》の通《かよ》ひを止《と》めて、人間《にんげん》が皆《みな》愕然《ぎよツ》とする。其時《そのとき》皆《みな》一|度《ど》に種々《いろ〳〵》な氣持《きもち》になつて、考《かんが》へたり、泣《な》いたり、苦《くる》しむだり、怖《おそ》れたりするから、私《わたし》は縋《すが》り處《どころ》がない。全《まる》で浪《なみ》に揉《も》まれる木片《こツぱ》か、旋風《つむぢかぜ》に捲《ま》かれた塵《ごみ》といふ身《み》の上《うへ》になる。尋常《じんじやう》一|樣《やう》の凡境《ぼんけう》を離《はな》れたくはないが、無理《むり》に引離《ひきはな》されて、每朝《まいあさ》一|度《ど》は屹度《きつと》宙《ちう》に振下《ぶらさが》つて足《あし》の下《した》に眞暗《まつくら》な怖《おそ》ろしい狂氣《きやうき》の淵《ふち》が洞開《ほげ》る時《とき》がある。私《わたし》は其中《そのうち》に此淵《このふち》の中《なか》へ落《おち》る、落《お》ちなきやならん理由《わけ》がある。兄《にい》さんはまだ能《よ》く事情《じゞやう》を知《し》んなさらないのだ。新聞《しんぶん》は讀《よ》みなさらんし、種々《いろ〳〵》匿《かく》して置《お》く事《こと》もあるし、――兄《にい》さんはまだ能《よ》く事情《じゞやう》を知《し》んなさらないのだ。」  弟《おとうと》の言《い》つた事《こと》は私《わたし》は戯言《じやうだん》にして了《しま》つた。戯言《じやうだん》にしても、可厭《いや》な戯言《じやうだん》だが、誰《だれ》でも氣《き》が狂《ちが》ふと、戰爭《せんさう》のやうな氣違沙汰《きちがひざた》と緣《えん》を引《ひ》く所《ところ》が出來《でき》て來《き》て、能《よ》く此樣《こん》な不吉《ふきつ》な事《こと》を言《い》ひたがるものだから、私《わたし》は戯言《じやうだん》にして了《しま》つた。湯《ゆ》に涵《つか》つてボシャリ〳〵行《や》つてゐる此時《このとき》には、戰塲《せんぢやう》で目擊《もくげき》した事《こと》は總《すべ》て忘《わす》れたやうになつてゐたのだ。 「いや、匿《かく》すなら、匿《かく》して置《お》くが好《い》いが、――しかしもう出《で》やう」、と何心《なにごゝろ》なく私《わたし》が言《い》つたので、弟《おとうと》は微笑《びせう》して、下男《げなん》を召《よ》んで、二人《ふたり》して私《わたし》を湯《ゆ》から出《だ》して着物《きもの》を被《き》せて吳《く》れた。で、香氣《かをり》の高《たか》い茶《ちや》を私《わたし》のと極《き》めて線入《すぢい》りのコツプで飮《の》むで、なんの、足《あし》がなくても、生《い》きてゐられる、と思《おも》つた。茶《ちや》が濟《す》むでから、書齋《しよさい》へ連《つ》れて行《い》つて貰《もら》つて、机《つくゑ》に向《むか》つて、仕事《しごと》に掛《かゝ》る用意《ようい》をした。  戰爭前《せんさうまへ》迄《まで》は或《ある》雜誌《ざつし》で外國文學《ぐわいこくぶんがく》の評論《ひやうろん》を受持《うけも》つてゐたから、今《いま》も手近《てぢか》に黃《き》、靑《あを》、鳶色《とびいろ》、種々《いろ〳〵》の表紙《へうし》の附《つ》いた、懷《なつ》かしい、淸潔《きれい》な書物《しよもつ》が山《やま》と積《つ》むである。嬉《うれ》しさも嬉《うれ》しい、何《なん》とも言《い》へず樂《たの》しみで、直《す》ぐに讀《よ》む氣《き》になれなかつたから、書物《しよもつ》を繙《ひろ》げては、徐《そツ》と撫《な》でゝゐた。其時《そのとき》私《わたし》の面《かほ》には微笑《びせう》が漾《たゞよ》つた。屹度《きつと》馬鹿氣《ばかげ》た微笑《びせう》だつたらうが、引込《ひツこ》める事《こと》が出來《でき》ないで、活字《くわつじ》や、唐草《からくさ》や、簡素《あツさり》した、少《すこ》しも俗氣《ぞくき》のない、見事《みごと》な挿繪《さしゑ》なぞを眺《なが》めてゐた。皆《みな》非常《ひじやう》に工夫《くふう》を凝《こら》したもので趣味《しゆみ》がある。例《たと》へば、この文字《もじ》など、簡單《かんたん》で、恰好《かつかう》が好《よ》くて、巧《たく》みに出來《でき》てゐる。線《せん》と線《せん》とが絡《から》み合《あ》つた處《ところ》に調和《てうわ》があつて、看《み》る者《もの》の心《こゝろ》に語《かた》る所《ところ》が多《おほ》い。之《これ》を案《あん》じ出《だ》すには、幾干《いくら》の人《ひと》が刻苦《こくゝ》して、硏究《けんきう》して、何程《どれほど》才能《さいのう》、趣味《しゆみ》を籠《こ》めてあるか、分《わか》らん。 「さあ、仕事《しごと》しなきや」、と私《わたし》は眞面目《まじめ》になつて言《い》つた。我《わが》仕事《しごと》ながら疎《おろそ》かには思《おも》へぬ。  で、ペンを取上《とりあ》げて題《だい》を書《か》かうとすると、手《て》が糸《いと》で括《くゝ》つた蛙《かへる》のやうに、紙《かみ》の上《うへ》を跳《は》ね廻《まは》る。ペンが紙《かみ》に突掛《つツかゝ》つて、バリ〳〵といつて、跳反《はねかへ》つて、止度《とめど》なく橫《よこ》へ逸《そ》れて、毟散《むしりちら》したやうな、曲《まが》りくねつた、えたいの分《わか》らぬ、醜《まづ》い線《せん》が出來《でき》て了《しま》ふ。私《わたし》は聲《こゑ》も立《た》てず、動《うご》きもせず、一|大事《だいじ》の直《ひた》と身《み》に逼《せま》るを覺《おぼ》えて、冷《ひや》りとして息《いき》を塞《つ》めてゐると、手《て》は晃々《きら〳〵》と明《あか》るい紙《かみ》の上《うへ》を躍《をど》つて、指《ゆび》が一|本《ぽん》々々《〳〵》わなわなと顫《ふる》へる。その顫《ふる》へる處《ところ》に、便《たよ》りない、物狂《ものぐる》ほしい恐怖心《きようふしん》が活《い》きて躍《をど》つてゐる。どうやら指《ゆび》だけがまだ戰塲《せんぢやう》に居殘《ゐのこ》つて、空《そら》に映《うつ》る火影《ほかげ》や血糊《のり》を見《み》て、言語《ごんご》に絕《た》えた疼《いた》みを呻《うめ》き叫《さけ》ぶその聲《こゑ》を聽《き》いてゐるやうだ。指《ゆび》は私《わたし》の體《からだ》を離《はな》れて、魂《たましひ》が籠《こも》り、耳《みゝ》となり、眼《め》となつたのだ。聲《こゑ》をも揚《あ》げ得《え》ず、動《うご》くこともせず、私《わたし》は冷《つめ》たくなつて、晃々《きら〳〵》と潔《きよ》い白紙《はくし》の上《うへ》を指《ゆび》が躍廻《をどりまは》るのを眺《なが》めてゐた。  寂然《しん》としてゐる。家内《かない》の者《もの》は私《わたし》が仕事《しごと》をしてゐると思《おも》ふから、物音《ものをと》させては邪魔《じやま》にならうと、戶《と》は皆《みな》閉切《しめき》つてある。動《うご》くことも叶《かな》はぬ私《わたし》は獨《ひと》り室内《しつない》に居《ゐ》て、大人《おとな》しく手《て》の顫《ふる》へるのを眺《なが》めてゐた。 「なに、何《なん》でもない」、私《わたし》は大聲《おほごゑ》に言《い》つた。書齋《しよさい》の掛離《かけはな》れて寂然《しん》とした中《なか》で、聲《こゑ》は皺嗄《しやが》れて厭《いや》に響渡《ひゞきわた》る。狂人《きちがひ》の聲《こゑ》のやうだ。「なに、何《なん》でもない。文句《もんく》を口授《くじゆ》すりや好《い》い。ミルトンも復樂園《パラダイス、リゲーンド》を書《か》いた時《とき》にや、盲人《めくら》だつたと云《い》ふ。己《おれ》はまだ物《もの》を考《かんが》へる事《こと》は出來《でき》る。これが何《なに》よりだ。これさへ叶《かな》へば、文句《もんく》はない。」  で、盲目《まうもく》のミルトンの事《こと》を意味《いみ》の深《ふか》い長《なが》い文句《もんく》に仕立《した》てゝ見《み》やうとしたが、言葉《ことば》が紛糾《こぐらか》つて、締《し》めの利《き》かぬ活字《くわつじ》のやうに、ほろ〳〵と零《こぼ》れ落《お》ちて、漸《やうや》く文句《もんく》の末《すゑ》になつたと思《おも》ふ頃《ころ》には、もう始《はじめ》の方《はう》を忘《わす》れてゐる。其時《そのとき》如何《どう》して此樣《こん》な事《こと》になつたのか、何故《なぜ》ミルトンとかいふ人《ひと》の事《こと》を變《へん》な無意味《むいみ》な文句《もんく》に仕立《した》てやうとしてゐるのか、懷出《おもひだ》さうとして見《み》たが、憶出《おもひだ》せなかつた。 「復樂園々々々《パラダイス、リゲーンド〳〵》」、と反覆《くりかへ》して見《み》たが、何《なん》の事《こと》だか、分《わか》らない。  そこで考《かんが》へて見《み》ると、私《わたし》は一|體《たい》能《よ》く物忘《ものわす》れをするやうになつた。妙《めう》に放心《はうしん》してゐて、見識《みし》つた人《ひと》の面《かほ》をも見違《みちが》へる。尋常《じんじやう》の話《はなし》をしてゐてさへ言葉《ことば》が見付《みつ》からんで、時《とき》とすると言葉《ことば》は覺《おぼ》えてゐても、どうしても意味《いみ》の分《わか》らん事《こと》もある。頓《やが》て今日《けふ》一|日《にち》の事《こと》が瞭然《はつきり》胸《むね》に浮《うか》んで來《き》たが、何《なん》だか妙《めう》な、短《みじ》かい、ぶつりと切《き》れた、私《わたし》の足《あし》のやうな一|日《にち》で、加之《しか》も處々《ところ〴〵》ポカンと穴《あな》の開《あ》いた變《へん》な處《ところ》がある。これは長《なが》いこと意識《いしき》の消《き》えてゐた、或《あるひ》は無感覺《むかんかく》であつた間《あひだ》だから、其時《そのとき》の事《こと》を憶出《おもひだ》さうとしても、何一《なにひと》つ憶出《おもひだ》せない。  妻《さい》を呼《よ》ばうと思《おも》へば、名《な》を忘《わす》れてゐる。それを又《また》不思議《ふしぎ》とも何《なん》とも思《おも》はない。窃《そつ》と小聲《こごゑ》で言《い》つて見《み》た、 「細君《さいくん》!」  落着《おちつき》の惡《わる》い、此樣《こん》な塲合《ばあひ》に用《もち》ひた事《こと》のない此《この》言葉《ことば》が低《ひく》く響《ひゞ》いて、返答《へんたふ》をも待《ま》たんで、消《き》えて了《しま》ふ。寂然《しん》としてゐる。家内《かない》の者《もの》は心《こゝろ》なく物音《ものおと》をさせて私《わたし》の仕事《しごと》の邪魔《じやま》をすまいとしてゐるのだ。寂然《しん》としてゐる。如何《いか》にも學者《がくしや》の書齋《しよさい》らしい。靜《しづ》かで、居心《ゐごゝろ》が好《よ》くて、觀念《くわんねん》をも誘《いざな》へば、作意《さくい》を催《もよほ》す便《たよ》りともなる。あゝ、皆《みな》己《おれ》の事《こと》を思《おも》つてゝ吳《く》れると、私《わたし》は染々《しみ〴〵》嬉《うれ》しく思《おも》つた。  …で、感興《かんきよう》、神來《しんらい》の感興《かんきよう》が湧《わ》いて來《き》た。頭《あたま》の中《なか》で燦《ぱツ》と日《ひ》が照出《てりだ》して、創造《さうざう》の力《ちから》を載《の》せた熱《あつ》い光《ひかり》を世界《せかい》の上《うへ》に落《おと》す時《とき》、花《はな》が散《ち》り、歌《うた》が散《ち》る。花《はな》に歌《うた》だ。私《わたし》は徹夜《よツぴて》ペンを措《お》かなかつたが、疲《つか》れを覺《おぼ》えなかつた。雄大《ゆうだい》な神來《しんらい》の感興《かんきよう》の翮《つばさ》を皷《こ》して、縱橫《じゆうわう》無碍《むげ》に翔廻《かけめぐ》つて、文《ぶん》を作《つく》つた。天地間《てんちかん》の一|大《だい》文章《ぶんしやう》だ、千|歲《ざい》不磨《ふま》の文章《ぶんしやう》だ。花《はな》が散《ち》り、歌《うた》が散《ち》る。花《はな》に歌《うた》だ…。  (後篇、斷篇第十)  …兄《あに》は幸《さいは》ひ前週《ぜんしう》金曜日《きんえうび》に世《よ》を去《さ》つた。反覆《くりかへ》していふが、これは兄《あに》の爲《ため》には大《おほい》なる幸福《かうふく》である。總身《そうみ》のわな〳〵と震《ふる》へる、亂心《らんしん》した、足無《あしな》しの不具者《かたはもの》が製作《せいさく》の熱《なつ》に浮《うか》されてゐる處《ところ》は無氣味《ぶきみ》も無氣味《ぶきみ》だつたが、慘澹《みじめ》でもあつた。其夜《そのよ》から丸《まる》二《ふ》タ月《つき》、絕食《ぜつしよく》で椅子《ゐす》に掛《か》けたまゝ書通《かきとほ》してゐた。少《すこ》しでも机《つくゑ》から引離《ひきはな》せば、泣《な》いて罵《のゝ》しる。乾《かは》いたペンで紙《かみ》の上《うへ》を搔廻《かきまは》しては、一|枚《まい》々々《〳〵》撥退《はねの》けるその迅《はや》さは眼《め》を驚《おどろ》かすばかりで、書《か》いて〳〵書《か》き捲《ま》くる。一|睡《すゐ》もしない。催眠劑《さいみんざい》を多量《たりやう》に服《の》ませて、やつと二|度《ど》幾時間《いくじかん》か床《とこ》に就《つ》かせた事《こと》があるばかりで、それからはもう藥《くすり》もその製作《せいさく》の狂熱《きやうねつ》を抑《おさ》へる力《ちから》を失《うしな》つた。當人《たうにん》の望《のぞみ》に任《まか》せて、終日《しうじつ》窓《まど》の帷《カーテン》を引《ひ》いたまゝ、ランプは點《とぼ》しばなしで、夜《よ》らしく見《み》せかけた中《なか》で、兄《あに》はシガレットを燻《くゆ》らしくゆらし、書《か》いてゐた。傍《はた》から見《み》ては、頗《すこぶ》る自得《じとく》の體《てい》であつた。健康《けんかう》の人《ひと》にも此程《これほど》の興《きよう》の乗《の》つた面《かほ》を私《わたし》はまだ見《み》た事《こと》がない。豫言者《よげんしや》か大詩人《だいしじん》といふ面相《かほつき》であつた。甚《ひど》く窶《やつ》れて、死人《しにん》か行者《ぎようじや》のやうに、蠟色《らふいろ》の透徹《すきとほ》つた肌《はだ》になり、頭《かみ》も全《まつた》く白《しろ》くなつて、この物狂《ものぐる》ほしい仕事《しごと》を始《はじ》めた時《とき》は、まだ〳〵若《わか》かつたが、之《これ》を終《をは》る頃《ころ》には、既《すで》に老翁《らうをう》になつてゐた。時《とき》としては例《いつ》になく急《いそ》いで書《か》く時《とき》がある。すると、ペンが紙《かみ》に突掛《つツかゝ》つて折《を》れるけれど、氣《き》が附《つ》かない。かういふ時《とき》には、手《て》も着《つ》けられんので、若《も》し誤《あやま》つて一寸《ちよつと》でも觸《さは》れば、發作《ほつさ》が起《おこ》つて、泣《な》くやら、笑《わら》ふやらする。滅多《めつた》にはないが、時《とき》には暫《しば》らく心《こゝろ》に掛《かゝ》る雲《くも》もないやうに、快《こゝろよ》げに打寛《うつくつろ》ろいで、機嫌《きげん》よく私《わたし》と話《はなし》をする事《こと》もある。いつも其時《そのとき》は屹度《きつと》、お前《まへ》は誰《だれ》だ、名《な》を何《なん》といふ、文學《ぶんがく》を始《はじ》めてからもう餘程《よほど》になるか、と聞《き》く。  それが濟《す》むと、今度《こんど》は、自分《じぶん》は記憶力《きおくりよく》を失《うしな》つて、もう仕事《しごと》が出來《でき》ぬかと思《おも》つて、滑稽《こつけい》にも吃驚《びツくり》したが、さう思《おも》ふ下《した》から直《す》ぐに花《はな》や歌《うた》を題《だい》に、千古《せんこ》の大作《たいさく》に掛《かゝ》つて、この馬鹿《ばか》らしい取越苦勞《とりこしくらう》を立派《りツぱ》に根底《こんてい》から覆《くつが》へしたといふ話《はなし》になつて、いつも極《きま》り切《き》つた文句《もんく》で、體《たい》を下《くだ》して其事《そのこと》を話《はな》して聞《き》かせる。 「無論《むろん》私《わたし》は今《いま》の人《ひと》に認《みと》められやうとは思《おも》はん」、と何《なに》も書《か》いてない白紙《はくし》の山《やま》に震《ふる》へる手《て》を載《の》せて昂然《かうぜん》とはするが、さりとて敢《あへ》て激《げき》した樣子《やうす》はなく、「が、未來《みらい》だ、――未來《みらい》では私《わたし》の理想《りさう》が認《みと》められる時《とき》もあらう。」  戰爭《せんさう》の事《こと》は一|度《ど》も言出《いひだ》した事《こと》がない。妻《つま》や子供《こども》の事《こと》も其通《そのとほ》り。果《はて》しのない、幻《まぼろし》のやうな仕事《しごと》に全《まつた》く魂《たましひ》を打込《うちこ》んで了《しま》つて、此《これ》より外《ほか》には眼中《がんちう》に何《なに》もないやうに思《おも》はれた。側《そば》で步《ある》いても、話《はなし》をしても、一|向《かう》氣《き》が附《つ》かぬらしく、いつも感興《かんきよう》に乗《の》つて一|心《しん》不亂《ふらん》になつた面《かほ》をして、些《ちつ》との間《ま》も其《その》面相《かほつき》を改《あらた》めない。皆《みな》眠入《ねい》つてゐる夜《よる》の寂然《しん》とした中《なか》で、兄《あに》一人《ひとり》果《はて》しのない狂亂《きやうらん》の糸《いと》を撚《よ》つて倦《う》むことを知《し》らぬその樣子《やうす》は慄然《ぞつ》とする程《ほど》で、私《わたし》と母《はゝ》との外《ほか》には、側《そば》へ行《ゆ》き得《え》る者《もの》もなかつた。或時《あるとき》私《わたし》は偶然《ひよツと》本當《ほんたう》に何《なに》か書《か》くかと思《おも》つて、乾《かは》いたペンの代《ぺん》りに鉛筆《えんぴつ》を宛《あて》がつて見《み》た事《こと》があつたが、紙《かみ》に殘《のこ》つた筆《ふで》の跡《あと》を見れば、矢張《やはり》只《たゞ》のむしつたやうな、曲《まが》りくねつた、えたいの分《わか》らぬ、醜《みにく》い線《せん》であつた。  息《いき》の絕《た》えたのは夜《よる》で、矢張《やはり》執筆中《しつぴつちう》であつた。私《わたし》は兄《あに》の心持《こゝろもち》を能《よ》く知《し》つてゐたから、氣《き》が狂《ふ》れたのに格別《かくべつ》驚《おどろ》きもしなかつた。甚《ひど》く文筆《ぶんぴつ》を戀《こひ》しがつてゐたのは、まだ戰地《せんち》からの手紙《てがみ》にも微見《ほのみ》えてゐた事《こと》で、歸《かへ》つてからも其《それ》が即《すなは》ち命《いのち》であつたが、この願《ねがひ》と、苦《くるし》み拔《ぬ》いた、疲《つか》れ果《は》てた、甲斐《かひ》ない腦《なう》と撞着《どうちやく》しては、破滅《はめつ》を來《きた》すべき運命《うんめい》であつた。私《わたし》は兄《あに》が此晚《このばん》に運盡《うんつ》きて死《し》ぬまでの心持《こゝろもち》を次第《しだい》を逐《お》うて可《か》なり精確《せいかく》に記《しる》し得《え》たと思《おも》ふ。兎《と》も角《かく》も爰《こゝ》に私《わたし》が戰爭《せんさう》について記《しる》した所《ところ》は、死《し》んだ兄《あに》の話《はなし》に材《ざい》を取《と》つたので、話《はなし》は大抵《たいてい》辻褄《つぢつま》が合《あ》はないで紛《まぎ》らはしかつたけれど、唯《たゞ》或時《あるとき》或折《あるをり》の光景《くわうけい》は深《ふか》く腦《なう》に染《し》みて消《き》えなかつたと見《み》えて、殆《ほとん》ど話《はなし》の儘《まゝ》を書取《かきと》れば、それで事足《ことた》つた。  私《わたし》は兄《あに》を愛《あい》してゐた。兄《あに》の死《し》は石《いし》の如《ごと》く私《わたし》の心頭《しんたう》に橫《よこた》はつて、その死《し》の無意味《むいみ》な事《こと》が腦《なう》を壓《あつ》して苦《くる》しい。かねて蜘蛛《くも》の巢《す》のやうに頭《あたま》を包《つゝ》む不思議《ふしぎ》な物《もの》のある上《うへ》に、更《さら》に輪《わ》を掛《か》けて締付《しめつ》けられるやうだ。家族《かぞく》は皆《みな》田舎《ゐなか》の親戚《しんせき》の處《ところ》へ行《い》つて了《しま》つて私《わたし》一人《ひとり》家《いへ》に殘《のこ》つてゐたが、此家《このいへ》は小《ちひ》さな一|軒建《けんだて》で、大層《たいそう》兄《あに》の氣《き》に入《い》つてゐた。召使共《めしつかひども》には皆《みな》暇《ひま》を遣《や》つて了《しま》つたから、每朝《まいあさ》隣家《となり》の門番《もんばん》が煖爐《だんろ》を焚付《たきつ》けに來《く》るばかりで、跡《あと》は私《わたし》一人《ひとり》きりだ。宛然《まるで》二|重窓《ぢうまど》の隙間《すきま》へ締込《しめこ》められた蠅《はひ》のやうに、狂廻《くるひまは》つては隔《へだ》ての變《へん》な物《もの》で鼻《はな》を衝《つ》く。透徹《すきとほ》つて見《み》えるけれど、これが中々《なか〳〵》破《やぶ》れない。如何《どう》しても此家《このいへ》を迯出《にげだ》されぬやうな氣《き》がする、然《さ》う思《おも》はれる。かう一人《ひとり》になつてみると、戰爭《せんさう》の事《こと》が氣《き》になつて、片時《へんじ》も忘《わす》れられん。解《と》けぬ謎《なぞ》か、肉《にく》で包《つゝ》めぬ靈《れい》というやうに、それが目前《もくぜん》に控《ひか》へてゐる。これに種々《しゆ〴〵》の形《かたち》を賦《つ》けて見《み》る。或《あるひ》は馬《うま》に跨《またが》つた目《め》の無《な》い骸骨《がいこつ》と見《み》、或《あるひ》は雨雲《あまぐも》の中《なか》から湧《わ》いて出《で》て、窃《そつ》と大地《だいぢ》を包《つゝ》むおぼろげな影《かげ》と見《み》るが、どう見《み》ても私《わたし》の掛《か》けた問《とひ》の答《こたへ》にはならないで、絕《た》えず胸《むね》を鎖《とざ》す冷《つめ》たい鈍《のろ》い恐怖《きようふ》の念《ねん》は汲《く》むでも〳〵汲《く》み盡《つく》されぬ。  私《わたし》は戰爭《せんさう》といふものゝ意味《いみ》がわからぬ。これでは矢張《やはり》兄《あに》のやうに、乃至《ないし》戰地《せんち》から後送《こうさう》せられて來《く》る多《おほ》くの人《ひと》のやうに、氣違《きちがひ》にならねばなるまいが、それはさう怖《おそ》ろしいとも思《おも》はぬ。私《わたし》が本心《ほんしん》を失《うしな》ふのは、番兵《ばんぺい》が勤務《きんむ》に殪《たふ》れるやうなもので、名譽《めいよ》の事《こと》だと思《おも》ふ。たゞ、しかし、じり〳〵と弛《たる》みなく狂氣《きやうき》になつて行《ゆ》くのが辛《つら》い。何《なに》か大《おほ》きな物《もの》が深《ふか》い淵《ふち》に陷《おちい》るやうな刹那《せつな》の氣持《きもち》が辛《つら》い、膓《はらはた》を毟《むし》る想念《おもひ》の耐《た》へぬ痛《いた》みを抱《いだ》くのが辛《つ》らい…私《わたし》の心《こゝろ》は默《もく》して了《しま》つた、絕入《たえい》つて、もう新《あたら》しい生命《いのち》を得《え》る事《こと》も出來《でき》ぬ。しかし想念《おもひ》はまだ生《い》きてゐる、まだ※[#立+宛]《もが》いてゐる、曾《かつ》てはサムソンの如《ごと》く强《つよ》かつたのが、今《いま》は小兒《せうに》のやうに繊弱《かよわ》くて便《たよ》りない。私《わたし》は私《わたし》の哀《あは》れな想念《おもひ》が傷《いた》ましい。時々《とき〴〵》鐵輪《てつわ》の腦《なう》を締付《しめつ》ける苦痛《くつう》に堪《た》えぬ時《とき》には、町《まち》の、廣小路《ひろこうぢ》の、人通《ひとどほ》りの多《おほ》い處《ところ》へ驀然《まつしぐら》に駈出《かけだ》して行《い》つて、大聲《おほごゑ》に呼《よば》はつてみたくなる、 「只《たツ》た今《いま》戰爭《せんさう》を止《や》めろ! 止《や》めんと…」  止《や》めんと、如何《どう》する? 世《よ》に人間《にんげん》の惑《まどひ》を解《と》くべき言葉《ことば》が有《あ》るか? かういへば、あゝと、同《おな》じ樣《やう》に壯語《さうご》して、癖言《くせごと》も言《い》へば言《い》へる。或《あるひ》は人間《にんげん》の前《まへ》に跪《ひざまつ》いて泣《な》いたら? 數《すう》十|萬《まん》の人《ひと》の泣聲《なきごゑ》が世《よ》を撼《ゆす》つても、何《なん》の効《かひ》もないでないか? 或《あるひ》は人間《にんげん》の前《まへ》で自殺《じさつ》して見《み》せたら? 自殺《じさつ》。每日《まいにち》數《すう》千といふ人《ひと》が命《いのち》を殞《おと》しても、何《なん》の効《かひ》もないでないか?  かうして自分《じぶん》の力《ちから》では奈何《いかん》ともすることが出來《でき》ぬと思《おも》ふと、私《わたし》は氣《き》が坐《そゞ》ろになる、――呪《のろ》ふ所《ところ》の戰爭《せんさう》に感《かぶ》れて、其《その》狂味《きやうみ》を帶《お》びて來《く》る。兄《あに》の話《はなし》のドクトルのやうに、妻子《さいし》珍寶《ちんぱう》諸共《もろとも》に人間《にんげん》の栖家《すみか》を焚《や》きたくなる、その飮《の》む所《ところ》の水《みづ》に毒《どく》を投《とう》じたくなる、所有《あらゆる》死人《しにん》を棺《くわん》から引出《ひきだ》して亡骸《なきがら》を汚《けが》れた人《ひと》の寢臺《ねだい》の上《うへ》に抛付《なげつ》けたくなる。汝等《なんぢら》人間《にんげん》、妻《つま》を抱《いだ》き情婦《じやうふ》を抱《いだ》いて眠《ねむ》る如《ごと》くに、死骸《しがい》を抱《いだ》いて睡《ねむ》り去《さ》れ!  あゝ惡魔《あくま》になりたい! 地獄《ぢごく》の慘《さん》たる有樣《ありさま》を此世《このよ》に寫《うつ》して、人間《にんげん》に見《み》せ付《つ》けて遣《や》りたい。人間《にんげん》の夢《ゆめ》を司《つかさど》つて、人《ひと》の親《おや》が笑顏《ゑがほ》をして眠《ねむ》らむとしては、其子《そのこ》に十|字《じ》を切掛《きりか》ける時《とき》、眞黑《まつくろ》な姿《すがた》をして其《その》面前《めんぜん》にヌツクと立《た》つてやりたい…  私《わたし》はどうしても氣《き》が狂《くる》ふ。たゞ、狂《くる》ふなら、早《はや》く狂《くる》へ、――一|刻《こく》も早《はや》く狂《くる》へ…  (斷篇第十一)  …俘虜《ふりよ》で、恟々《おど〳〵》した、震《ふる》へてゐる一|團《だん》の人《ひと》だ。之《これ》を車室《しやしつ》から引出《ひきだ》した時《とき》、見物《けんぶつ》は唸《うな》つた、――短《みじ》かい脆弱《やにこ》い鎖《くさり》で繫《つな》いだ、大《おほ》きな、意地《いぢ》の惡《わる》い犬《いぬ》の如《ごと》く唸《うな》つた。唸《うな》つてから、默《だま》つて肩《かた》で息《いき》をしてゐると、俘虜逹《ふりよたち》は手《て》を衣囊《かくし》へ入《い》れ、白《しろ》い齒《は》を見《み》せて媚《こ》びるやうに微笑《びせう》しながら、犇《ひし》と目白押《めじろおし》に押塊《おしかた》まつて行《ゆ》く。それを見《み》ると、今《いま》にも背後《うしろ》から長《なが》い棒《ぼう》で臑《すね》の處《ところ》をビシヤリと打《や》られるといふ人《ひと》の足取《あしどり》だ。が、中《なか》で一人《ひとり》落着《おちつ》いて、微笑《にツこり》ともせず、險相《けんさう》な面《かほ》をして行《ゆ》く者《もの》がある。私《わたし》と目《め》を視合《みあは》せた時《とき》、其《その》黑《くろ》い目《め》の中《うち》に公然《あからさま》の衣着《きぬき》せぬ媢嫉《にくしみ》が讀《よ》めた。此男《このをとこ》は私《わたし》を卑《いや》しんでゐて、此奴《こいつ》何《なに》を爲《す》るか知《し》れたものでない、と思《おも》つてゐたに違《ちが》ひない。若《も》し私《わたし》が獲物《えもの》も持《も》たぬ此《この》男《をとこ》を斬《き》らうとしたら、必《かなら》ず聲《こゑ》をも立《た》てず、手向《てむか》ひも辯解《いひわけ》もしなかつたらう。私《わたし》は何《なに》をするか知《し》れた物《もの》でない、と思《おも》つてゐたに違《ちが》ひない。  も一|度《ど》此男《このをとこ》と眼《め》を視合《みあは》せたくなつて、見物《けんぶつ》と共《とも》に駈出《かけだ》して行《い》つた。俘虜逹《ふりよたち》が收容所《しうようじよ》へ入《はい》る時《とき》、願《ねがひ》が叶《かな》つて、其男《そのをとこ》が先《ま》あ身《み》を開《ひら》いて戰友《せんいう》を皆《みな》通《とほ》してから、自分《じぶん》も内《うち》へ入《はい》らうとして、と又《また》私《わたし》の面《かほ》を視《み》た。黑《くろ》い、大《おほ》きな、瞳《ひとみ》の散《ち》つた眼《め》に、無限《むげん》の恐怖《きようふ》と狂氣《きやうき》とを浮《うか》べて、如何《いか》にも苦《くる》しさうで、之《これ》を見《み》ては世《よ》に是程《これほど》の不幸《あじき》ない心持《こゝろもち》になつてゐる人《ひと》は有《あ》るまいと思《おも》はれた。 「あれは何者《なにもの》です、あの變《へん》な眼付《めつき》をしてゐる男《をとこ》は?」  と護送《ごさう》の兵士《へいし》に尋《たづ》ねて見《み》ると、 「士官《しくわん》です。狂人《きちがひ》なんで。あゝいふのは澤山《たくさん》有《あ》ります。」 「名前《なまへ》は?」 「默《だま》つてゝ名前《なまへ》を言《い》はんのです。外《ほか》の俘虜《ふりよ》も知《し》らんといふから、大方《おほかた》餘所《よそ》のが紛《まぎ》れ込《こ》んで來《き》たんでせう。もう一|度《ど》首《くび》を縊《くゝ》らうとしたのを助《たす》けた事《こと》があるんで、や、どうも手《て》が附《つ》けられない!…」  と兵士《へいし》はその手《て》の附《つ》けられないといふ事《こと》を手眞似《てまね》でして見《み》せて、戶《と》の内《うち》へ隱《かく》れて了《しま》つた。  で、かう晚《ばん》になつてから、此《この》俘虜《ふりよ》の事《こと》を考《かんが》へてみると、あゝして獨《ひと》り敵中《てきちう》に居《ゐ》る。如何《どん》な目《め》に遭《あは》はされるかも知《し》れない、と思《おも》つてゐる。味方《みかた》は居《ゐ》ても、知《し》つた面《かほ》は一人《ひとり》もない。默《だま》つて、浮世《うきよ》の隙《ひま》の明《あ》くのを辛抱强《しんばうづよ》く待《ま》つてゐるのだが、それにしても如何《どう》も狂人《きちがひ》とは思《おも》へぬ。臆病《おくびやう》でもなさゝうだ。皆《みな》魂《たましひ》が身《み》に添《そ》はずぶる〳〵物《もの》でゐる中《なか》で、獨《ひと》り昂然《かうぜん》としてゐる。恐《おそ》らく其《その》仲間《なかま》をも仲間《なかま》と思《おも》つてゐまい。如何《どん》な心持《こゝろもち》でゐるだらう? 死《し》に臨《のぞ》むで名《な》を言ふまいといふ、その絕望《ぜつばう》の深《ふか》さは測《はか》り知《し》られぬ。名《な》を言《い》つたとて何《なん》の益《えき》がある? 今《いま》は是迄《これまで》の命《いのち》と覺悟《かくご》して、人間《にんげん》の眞價《しんか》を覺《さと》つた身《み》には、周圍《まはり》で如何《どん》なに騷《さわ》いだとて、喚《わめ》いたとて、又《また》威嚇《ゐかく》したとて、眼中《がんちう》にもう人間《にんげん》はない、敵《てき》もなければ、味方《みかた》もない、――といつた氣《き》になつてゐるのだらう。此男《このをとこ》の身《み》の上《うへ》を聞糺《きゝたゞ》してみたら、一|度《ど》に數萬《すまん》の戰死者《せんししや》を出《だ》した此頃《このごろ》の怖《おそ》ろしい戰鬪《せんとう》の時《とき》、捕虜《ほりよ》になつたので、捕虜《ほりよ》になる時《とき》、抵抗《ていかう》しなかつたと云《い》ふ。何故《なぜ》か武器《ぶき》を持《も》つてゐなかつたのを、それとは氣《き》が附《つ》かずに一|兵卒《ぺいそつ》が劍《けん》を揮《ふる》つて斬付《きりつ》けると、起上《おきあが》りもせず、手《て》を戟《ほこ》にして攔《さへぎ》りもしなかつたが、創《きず》は淺《あさ》かつた。創《きず》の淺《あさ》かつたのは、此男《このをとこ》の身《み》にしたら生憎《あいにく》な事《こと》だつた。  しかし全《まつた》く狂人《きちがひ》でないとも云《い》へぬ。護送《ごさう》の兵士《へいし》もさういつたが、かういふのは澤山《たくさん》有《あ》るさうな…  (斷篇第十二)  …そろ〳〵始《はじ》まつた。昨夜《さくや》兄《あに》の書齋《しよさい》へ入《はい》ると、兄《あに》が安樂椅子《あんらくゐす》に恁《もた》れて、書物《しよもつ》に埋《うづま》つた机《つくゑ》に對《むか》つてゐる。手燭《てしよく》に火《ひ》を點《つ》けると、幻《まぼろし》は直《す》ぐ消《き》えて了《しま》つたが、久《しば》らくは其《その》安樂椅子《あんらくゐす》には凭《かゝ》る氣《き》になれなかつた。初《はじめ》の中《うち》は恐《おそ》ろしかつた、――ガランとした室内《しつない》に、何《なに》か絕《た》えずさら〳〵といふ音《おと》や、ぱち〳〵と物《もの》の爆《はね》る音《おと》がして薄氣味《うすきみ》惡《わる》かつたが、而《しか》し兄《あに》なら他人《たにん》には勝《まし》だと思《おも》ふと、寧《むし》ろ居心《ゐごゝろ》が好《よ》くなつた。が、それでも此晚《このばん》は徹宵《よツぴて》椅子《ゐす》を離《はな》れなかつた。離《はな》れたら、直《す》ぐ兄《あに》が掛《か》けさうに思《おも》はれて。室《へや》を出《で》る時《とき》は、背後《うしろ》を向《む》かずに、急《いそ》いで出《で》た。家中《うちゞう》に燈火《あかり》を點《つ》けたものか――いや、それにも及《およ》ぶまいか? 燈火《あかり》で何《なに》かゞ見《み》えたら、尙《な》ほ無氣味《ぶきみ》だらう。此儘《このまゝ》だと、まだ多少《たせう》の疑《うたがひ》を存《そん》して置《お》く事《こと》も出來《でき》る。  今日《けふ》手燭《てしよく》を持《も》つて部屋《へや》へ入《はい》つたら、椅子《ゐす》には誰《だれ》も掛《か》けて居《ゐ》なかつた。してみると、昨夜《ゆうべ》は唯《たゞ》影《かげ》がちらりとしたばかりで有《あ》つたのだ。又《また》停車塲《ていしやば》へ行《い》つてみると、――もう此頃《このごろ》では每朝《まいあさ》行《ゆ》く事《こと》にしてゐるのだが、行《い》つてみると、味方《みかた》の瘋癲《ふうてん》患者《くわんじや》ばかりを載《の》せた車輛《しやりやう》がある。戶《と》も開《あ》けずに別《べつ》の線路《せんろ》へ移《うつ》して了《しま》つたが、それでも窓《まど》から幾人《いくにん》かの面《かほ》が見《み》えた。皆《みな》怖《おそ》ろしい面《かほ》であつた。殊《こと》に一人《ひとり》の患者《くわんじや》の面《かほ》は法外《はふぐわい》に間《ま》が延《の》びて、レモンのやうに黃《きい》ろく、明放《あけツぱな》しの眞黑《まつくろ》な口《くち》に据《すわ》つた眼《め》と、どう見《み》ても「無殘《むざん》」を面《おもて》に刻《きざ》むだやうな面《かほ》で、私《わたし》は之《これ》に眼《め》を奪《うば》はれて了《しま》つた程《ほど》だつたが、直《ひた》と私《わたし》と眞向《まむか》ひに向《む》き合《あ》つて、凝《ぢつ》と首《くび》を据《す》ゑて、其儘《そのまゝ》眉《まゆ》一《ひと》つ動《うご》かさず、目《ま》じろぎもせずに、動《うご》き出《だ》す汽車《きしや》と共《とも》に行過《ゆきす》ぎて了《しま》つた。これが停車塲《ていしやば》で仕合《しあはせ》、若《も》し家《うち》のあの暗《くら》い戶口《とぐち》で此面《このかほ》が見《み》えたら、私《わたし》は到底《とて》も堪《た》へ切《き》れなかつたらうと思《おも》ふ。聞《き》いて見《み》たら、後送《こうさう》された瘋癲《ふうてん》患者《くわんじや》は廿二|名《めい》だつたと云《い》ふ。愈々《いよ〳〵》流行《りうかう》するものと見《み》える。新聞《しんぶん》では一|向噂《かうゝはさ》もせぬが、市内《しない》でも徐々《そろ〳〵》其萠《そのきざし》が見《み》えるやうだ。礑《はた》と戶《と》を締切《しめき》つた眞黑《まツくろ》な馬車《ばしや》を折々《をり〳〵》見《み》かける。今日《けふ》一|日《にち》に彼方此方《あちこち》で六|臺《だい》も見掛《みか》けたが、大方《おほかた》私《わたし》も今《いま》に彼《あれ》に乗《の》る事《こと》であらう。  新聞紙《しんぶんし》は每日《まいにち》軍隊《ぐんたい》輸送《ゆさう》の必要《ひつえう》を說《と》く。更《さら》に血《ち》を流《なが》す必要《ひつえう》があると云《い》ふ。如何《どう》いふ譯《わけ》だか、私《わたし》は愈愈《いよいよ》分《わか》らない。昨日《きのふ》奇怪《きくわい》千|萬《ばん》な論文《ろんぶん》を讀《よ》むだ。その說《せつ》に、國民中《こくみんちう》にも軍事探偵《ぐんじたんてい》、賣國奴《ばいこくど》、謀叛人《むほんにん》が澤山《たくさん》有《あ》るから、銘々《めい〳〵》戒心《かいしん》して十|分《ぶん》に注意《ちうい》しなければならんが、國民《こくみん》の公憤《こうふん》に照《てら》されては、此《この》極惡人等《ごくあくにんら》も遂《つひ》に其跡《そのあと》を晦《くら》ますことは出來《でき》まいとあつた。此《この》極惡人等《ごくあくにんら》とは如何《どん》な人逹《ひとたち》の事《こと》で、如何《どん》な惡事《あくじ》を働《はたら》いたのだらう? 停車塲《ていしやば》を出《で》て電車《でんしや》に乗《の》つたら、車中《しやちう》で變《へん》な話《はなし》を聞《き》いた。大方《おほかた》其《その》極惡人逹《ごくあくにんたち》の噂《うはさ》をしてゐたのだらう。 「さういふ奴等《やつら》は裁判《さいばん》も何《なに》も有《あ》つたものぢやない、卒然《いきなり》絞罪《かうざい》に處《しよ》しツ了《ちま》ふが好《い》いのです、」と一人《ひとり》が言《い》つて、胡亂《うろん》さうに皆《みな》を視廻《みまは》した序《つひで》に、私《わたし》の面《かほ》をも瞥《ちら》りと視《み》て、「謀叛人《むほんにん》は絞殺《やツつけ》るに限《かぎ》る。」 「用捨《ようしや》なくな」、と今《いま》一人《ひとり》が合槌《あひづち》を打《う》つて、「もう散散《さんざん》用捨《ようしや》して遣《や》つてますからな。」  私《わたし》は電車《でんしや》を飛降《とびお》りて了《しま》つた。皆《みな》戰爭《せんさう》には泣《な》かされてゐる、彼《あの》人逹《ひとたち》も矢張《やはり》然《さ》うだらうに、――これは又《また》如何《どう》した事《こと》だ? 如何《どう》やら絳《あか》い霧《きり》が大地《だいぢ》を包《つゝ》むで人《ひと》の目《め》を遮《さへぎ》り、實《まこと》に世界《せかい》の破滅《はめつ》が近《ちか》づいたやうに段々《だん〴〵》思《おも》はれて來《く》る。兄《あに》が見《み》たといふ赤《あか》い笑《わらひ》が是《こ》れだ。かなたの血《ち》みどろの赤黑《あかぐろ》くなつた野《の》から、狂亂《きやうらん》の風《かぜ》が吹《ふ》いて來《き》て、大氣《たいき》の中《なか》にその冷《つめ》たい氣息《いぶき》の傳《つた》はるを覺《おぼ》える。私《わたし》は屈强《くつきやう》な男《をとこ》だ、病《やまひ》で身體《からだ》を壞《こは》した爲《ため》に腦髓《なうずゐ》が溶《とろ》けて來《き》たのではないが、病毒《びやうどく》が傳染《でんせん》して私《わたし》の心《こゝろ》の半《なかば》はもう私《わたし》の自由《じいう》にならぬ。これはペストより惡《わる》い、ペストより怖《おそ》ろしい。ペストなら、まだ何處《どこ》へか躱《かく》れる法《はふ》もある、何《なに》かしら豫防法《よばうはふ》を施《ほどこ》す事《こと》も出來《でき》るが、遠近《えんきん》もなく、障隔《へだて》もなく、何處《どこ》へでも徹《とほ》る思想《しさう》には躱《かく》れる道《みち》がないではないか?  晝《ひる》はまだ凌《しの》げるが、夜《よる》になると、私《わたし》も人並《ひとなみ》に夢《ゆめ》の奴《やつこ》になつて了《しま》ふ、――その夢《ゆめ》が又《また》怖《おそ》ろしい狂氣染《きちがひぢ》みた夢《ゆめ》で…  (斷篇第十三)  到《いた》る處《ところ》私鬪《しとう》が行《おこな》はれて、無意味《むいみ》に夥《おびたゞ》しく血《ち》を流《なが》す。聊《いさゝ》かの衝動《しようどう》にも直《す》ぐ無法《むはふ》な腕力《わんりよく》沙汰《ざた》になつて、ナイフや石塊《いしころ》や棍棒《こんぼう》が閃《ひらめ》き、相手《あひて》構《かま》はず手當《てあた》り次第《しだい》に打殺《ぶちころ》す。鮮血《せんけつ》が兎角《とかく》迸《ほとばし》りたがつて、何《なん》の苦《く》もなく滾々《こん〳〵》と流《なが》れる。  その百姓《ひやくしやう》は六|人《にん》で、丸込《たまご》めした銃《ぢう》を擔《かた》げた兵《へい》が三|人《にん》で護送《ごさう》して行《ゆ》く。皆《みな》如何《いか》にも百姓《ひやくしやう》じみた、粗末《そまつ》な、野蠻人《やばんじん》に髣髴《はうふつ》たる、原始的《げんしてき》の服裝《ふくさう》で、宛然《まるで》粘土《ねばつち》で捏《でツ》ちたやうな別種《べつしゆ》の面《かほ》をして、髮《かみ》の毛《け》も髯《ひげ》もくしや〳〵と塊《かた》まつて寧《むし》ろ毛物《けもの》の毛《け》のやうで、それが富《と》み榮《さか》ゆる市街《しがい》を、紀律《きりつ》の正《たゞ》しい兵士《へいし》に護送《ごさう》せられて行《ゆ》く所《ところ》は、古《むかし》の奴隸《どれい》を面《まのあた》りに見《み》るやうだ。皆《みな》戰地《せんち》へ召集《せうしふ》せられて行《ゆ》くので、銃劍《ぢうけん》には敵《てき》し得《え》ず、屠所《としよ》へ引《ひ》かれる牛《うし》のやうに、罪《つみ》の無《な》い面《かほ》をしてキョトンとして行《ゆ》く。最先《まつさき》に行《ゆ》くのは頰髭《ほゝひげ》も生《は》えぬ、脊《せ》の高《たか》い若者《わかもの》で、鵞鳥《がてう》のやうなひよろ長《なが》い頸《くび》へ、小《ちひ》さな頭《あたま》を据《す》ゑてゐる。枯枝《かれえだ》のやうな身體《からだ》を前屈《まへこゞ》みにして、凝然《ぢつ》と足元《あしもと》を睇視《みつ》めた目色《めつき》は地中《ちちう》へ喰入《くひい》りさうだ。殿《しんがり》に行《ゆ》くのは脊《せ》の低《ひく》い、髯《ひげ》だらけの、年配《ねんぱい》の男《をとこ》だつたが、もう反抗《はんかう》する氣力《きりよく》もないらしく、思慮《しりよ》のない目色《めつき》をして、地《ち》が足《あし》に汲付《すひつ》くのか、喰付《くひつ》くのか、兎角《とかく》離《はな》れかねて、烈風《れつぷう》に向《むか》つたやうに、身《み》を反《そら》して行《ゆ》く。一|步《ぽ》を移《うつ》すにも、兵士《へいし》に背後《うしろ》から銃《ぢう》の臺尻《だいじり》で小突《こづ》かれて、辛《やツ》と片足《かたあし》を引離《ひきはな》し、わな〳〵しながら踏出《ふみだ》すけれど、片足《かたあし》は地《ち》に附着《くツつ》いてゐて中々《なか〳〵》離《はな》れない。兵士《へいし》も厭《いや》な面《かほ》をして不機嫌《ふきげん》さうだ。もう長《なが》いこと斯《か》うして行《ゆ》くらしく、銃《ぢう》を擔《かた》げた振《ふり》にも、田舎漢《ゐなかもの》らしく内輪《うちわ》に思《おも》ひ〳〵に步《ある》く足取《あしど》りにも、困憊《がツかり》して萬事《ばんじ》を抛遣《なげや》りにしてゐる處《ところ》がある。意味《いみ》もなく、思切《おもき》り惡《わる》く、默《だま》つて百姓等《ひやくしやうら》が反抗《はんかう》するので、紀律《きりつ》で固《かた》まつた頭《あたま》も濛《ぼツ》となり、何處《どこ》へ何《なん》の爲《ため》に行《ゆ》くのか、もう分《わか》らなくなつたといふ樣子《やうす》だ。 「何處《どこ》へ連《つ》れて行《ゆ》くのです?」と私《わたし》が一|番《ばん》端《はづれ》の兵《へい》に聞《き》くと、その兵《へい》は愕然《びくツ》として私《わたし》の面《かほ》を見《み》た。ギロリとした銳《するど》い目色《めつき》で視《み》られた時《とき》には、正《まさ》しく銃劍《ぢうけん》を突付《つきつ》けられて、その切先《きツさき》が胸《むね》へグサと刺《さ》さつたやうな氣持《きもち》がした。 「側《そば》へ寄《よ》つちや不好《いかん》! 退《ど》け! 退《ど》かんと…」  例《れい》の年配《ねんぱい》の男《をとこ》が此《この》瞬間《しゆんかん》の隙《ひま》に乗《じよう》じて迯出《にげだ》した。チョコ〳〵と小走《こばし》りに走《はし》つて、路端《みちばた》の柵《さく》の根方《ねかた》へ、隱《かく》れる積《つもり》なのか、蹲《つぐな》んだ。眞《しん》の動物《どうぶつ》でも此樣《こん》な呆《とぼ》けた狂人染《きちがひじ》みた事《こと》はすまい。兵《へい》は大《おほい》に怒《いか》つた。つか〳〵と側《そば》へ行《い》つて屈《こゞ》むと、銃《ぢう》を左手《ゆんで》に持易《もちか》へるや、右手《めて》で何《なに》か柔《やはら》かい平《ひら》たい物《もの》を打《う》つ音《おと》がピシャリとした。又《また》ピシャリといふ。人《ひと》が環集《たか》つて來《く》る。笑《わら》ふ聲《こゑ》や喚《わめ》く聲《こゑ》がする…  (斷篇第十四)  …土間《どま》の十一に居《ゐ》た。右左《みぎひだり》から誰《だれ》の腕《うで》だかに直《ひた》と身《み》を挾《はさ》まれながら、周圍《まはり》を見廻《みまは》はすと、ズツと向《むか》ふまで一|面《めん》に凝《ぢツ》と据《す》ゑた人《ひと》の首《くび》が薄暗《うすぐら》い中《なか》に列《なら》んでゐるのが、舞臺《ぶたい》の火影《ほかげ》を受《う》けて微《ぼツ》と赤《あか》く見《み》える。かうした狹《せま》い處《ところ》に此樣《こんな》に人《ひと》が詰《つ》まつてゐるのを見《み》てゐると、次第《しだい》に怖《おそ》ろしくなつて來《く》る。皆《みな》默《だま》つて舞臺《ぶたい》の臺詞《せりふ》を聽《き》いてゐる、――或《あるひ》は何《なに》か餘所事《よそごと》を考《かんが》へてゐるのかも知《し》れぬが、多人數《たにんず》なので、默《だま》つてゐても、俳優《はいゝう》の大《おほ》きな聲《こゑ》よりも能《よ》く聞《きこ》える。咳《せき》をする、涕《はな》を拭《か》む、衣摺《きぬずれ》の音《おと》に足《あし》を踏易《ふみか》へる音《おと》がする。深《ふか》い荒《あら》い息氣《いき》遣《づか》ひの音《おと》さへ判然《はツきり》聞《きこ》えたが、此《この》息氣《いき》遣《づか》ひの爲《ため》に空氣《くうき》は生溫《なまあたゝ》くなるのだ。かうしてゐる人《ひと》が皆《みな》死人《しにん》になる時《とき》にはなる、皆《みな》の頭《あたま》も狂《くる》つてゐる、――と思《おも》ふと、身《み》の毛《け》が彌竪《よだ》つ。丁寧《ていねい》に梳《とか》した頭《あたま》を白《しろ》い堅《かた》いカラーの上《うへ》に確《しか》と据《す》ゑて鳴《なり》を鎭《しづ》めてゐる處《ところ》に、狂氣《きやうき》の暴風雨《あらし》が今《いま》にも吹起《ふきおこ》りさうな氣味《きみ》がある。  隨分《ずゐぶん》の人數《にんず》だつたが、これが皆《みな》怖《おそ》ろしい人逹《ひとたち》で、加之《しか》も私《わたし》の居《ゐ》る處《ところ》から出口《でぐち》迄《まで》は餘程《よほど》ある、――と思《おも》ふと、指《ゆび》の先《さき》まで冷《つめ》たくなつた。皆《みな》落着《おちつ》いてゐるけれど、若《も》し大聲《おほごゑ》に、「火事《くわじ》だ! …」といつたら…と思《おも》ふと、慄然《ぞツ》とする。薄氣味《うすきび》が惡《わる》いけれど、何《なん》だか切《しき》りに然《さ》う言《い》つて見《み》たくて耐《たま》らなくなる。今《いま》でも其時《そのとき》の事《こと》を憶出《おもひだ》すと、指《ゆび》の先《さき》迄《まで》冷《つめ》たくなつて冷汗《ひやあせ》が出《で》る。言《い》はうと思《おも》へば、言《い》へん事《こと》はない。起上《たちあが》つて、背後《うしろ》を振向《ふりむ》いて、大聲《おほごゑ》に斯《か》ういふのだ、 「火事《くわじ》だツ! 迯《にげ》ろ〳〵、火事《くわじ》だツ!」  さうしたら、今《いま》は那麽《あゝ》落着《おちつ》いてゐる手足《てあし》に急《きふ》に狂氣《きやうき》が取付《とりつ》いて慄《ふる》ひ出《だ》す。皆《みな》躍《をど》り上《あが》り、叫《さけ》び出《だ》し、畜生《ちくしやう》のやうに、哮《たけ》り立《た》つて、妻《つま》や姉妹《あねいもうと》や母親《はゝおや》の居《ゐ》るのも忘《わす》れて、不意《ふい》に盲目《めくら》になつたやうに、彼方此方《あちこち》と彷徨《うろ〳〵》し、氣《き》も坐《そゞ》ろになり、果《はて》は香水《かうすゐ》の馨《かほり》の高《たか》いあの白《しろ》い手《て》で互《たがひ》の咽喉《のど》を締出《しめだ》す。燦《ぱツ》と塲内《ぢやうない》を明《あか》るくして、誰《だれ》だか眞蒼《まつさを》な面《かほ》をした者《もの》が舞臺《ぶたい》から何《なん》でも有《あ》りません、火事《くわじ》でも何《なん》でも有《あ》りませんと呼《よば》はると、戰《おのゝ》くやうに斷續《だんぞく》した樂聲《がくせい》が思切《おもひき》つて花《はな》やかに起《おこ》るけれど、もう其樣《そん》な物《もの》に耳《みゝ》を假《か》す者《もの》はない。ドタバタと互《たがひ》の咽喉《のど》を締《し》め合《あ》ひ、或《あるひ》は婦人《ふじん》の頭《あたま》を打《う》つ、手數《てすう》を掛《か》けて巧《たく》みに結上《ゆひあ》げた髮《かみ》をポカ〳〵と打《う》つ。互《たがひ》に耳《みゝ》を引捥《ひンもぎ》り、鼻《はな》を喰缺《くひか》く。衣服《きもの》も何《なに》も引裂《ひきさか》れて赤躶《まるはだか》になるけれど、氣《き》が狂《くる》つてゐるから、恥《はぢ》を恥《はぢ》とも思《おも》はない。平生《ひごろ》は吾神《わがかみ》と崇《あが》める、淚脆《なみだもろ》い、優《やさ》しい、美《うつく》しい婦人逹《ふじんたち》が泣聲《なきごゑ》立《た》てて、足元《あしもと》に便《たよ》りない身《み》を悶《もだ》え、かねての男氣《をとこぎ》を賴《たの》みにして膝《ひざ》に縋付《すがりつ》くのに、その美《うつく》しい面《かほ》を擧《あ》げた所《ところ》を忌々《いま〳〵》しさうに撲曲《はりま》げて、自分《じぶん》は出口《でぐち》へ出《で》やうと焦心《あせ》る。男《をとこ》はいつでも人殺《ひとごろ》しを行《や》りかねぬ。その長閑《のどか》に上品《じやうひん》めかしてゐるのは、食《しよく》に飽《あ》いた動物《どうぶつ》が命《いのち》に懸《かゝ》る大事《だいじ》もないと安心《あんしん》して落着《おちつ》いてゐるのに過《す》ぎぬ。  で、見物《けんぶつ》の半分《はんぶん》は死骸《しがい》になつて、ぼろ〳〵した服裝《なり》の人逹《ひとたち》が一塊《ひとかたま》り、出口《でぐち》の處《ところ》にわな〳〵と、畜生《ちくしやう》が恥《はぢ》を搔《か》いたやうな面《かほ》をして慄《ふる》へながら、苦笑《にがわらひ》をしてゐる時《とき》、私《わたし》が舞臺《ぶたい》へ出《で》て、斯《か》ういつて笑《わら》つてやるのだ。 「みんな私《わたし》の兄《あに》を殺《ころ》した報《むくひ》だと思《おも》ひなさい。」  ね、かういつて笑《わら》つてやるのだ、 「みんな私《わたし》の兄《あに》を殺《ころ》した報《むくひ》だと思《おも》ひなさい。」  何《なに》か大聲《おほごゑ》で私《わたし》が獨言《ひとりごと》を言《い》つたと見《み》えて、此時《このとき》右隣《みぎどな》りの人《ひと》が忌々《いま〳〵》しさうに身動《みうご》きをして、 「シッ! 邪魔《じやま》になつて聞《きこ》えやしない。」  私《わたし》は氣《き》が浮々《うき〳〵》する。串戯《ふざ》けて見《み》たくて堪《たま》らない。事有《ことあ》りげな、生眞面目《きまじめ》な面《かほ》を作《つく》つて、其方《そのはう》へ持《も》つて行《ゆ》くと、 「何《なん》です? 何故《なぜ》其樣《そんな》に人《ひと》の面《かほ》を視《み》るのです?」 と其人《そのひと》が胡亂《うろん》さうに聞《き》く。 「靜《しづ》かに」、と私《わたし》は唇《くちびる》ばかりを動《うご》かして咡《さゝや》く。 「甚《ひど》くキナ臭《くさ》いでせう? 火事《くわじ》ですぜ。」  者奴《しやつ》中々《なか〳〵》の氣丈者《しつかりもの》で分別《ふんべつ》の有《あ》る奴《やつ》と見《み》えて、聲《こゑ》は立《た》てなかつた。さツと顏色《かほいろ》を變《か》へると、牛《うし》の膀胱程《ばうくわうほど》な大《おほ》きな眼球《めだま》が飛出《とびだ》して頰《ほゝ》へ振《ぶ》ら垂《さが》る程《ほど》になつたけれど、それでも聲《こゑ》は立《た》てなかつた。そつと起上《たちあが》つて、私《わたし》には禮《れい》も言《い》はずに、わく〳〵して蹌踉《よろ》けながら、それでも急《せ》かずに出口《でぐち》の方《はう》へ行《ゆ》く。此中《このなか》で迯出《にげだ》して命《いのち》を助《たす》かる價値《ねうち》の有《あ》るのは自分《じぶん》ばかりと己惚《うぬぼ》れて、他《ほか》の者《もの》が火事《くわじ》に氣《き》が附《つ》いてその迯路《にげみち》を塞《ふさ》ぐを恐《おそ》れてゐたらしい。  私《わたし》は氣色《きしよく》が惡《わる》くなつて來《き》たから、矢張《やはり》芝居《しばゐ》を出《で》て了《しま》つた。此處《こゝ》で正體《しやうたい》を顯《あら》はすのはまだ早《はや》いとも思《おも》つたので。で、外《そと》へ出《で》て戰地《せんち》の方角《はうがく》を眺《なが》めてみると、空《そら》は森《しん》として、火影《ほかげ》の黃《き》に映《うつ》る夜《よる》の雲《くも》が長閑《のどか》に徐《しづ》かに漾《たゞよ》つてゐる。空《そら》も町《まち》も餘《あま》り閑《しづ》かなのに欺《だま》されて、「皆《みんな》夢《ゆめ》で、戰爭《せんさう》も何《なに》も有《あ》るんぢやないのかも知《し》れん」、と私《わたし》は思《おも》つた。  が、曲角《まがりかど》から子供《こども》が飛出《とびだ》して、何《なん》だか嬉《うれ》しさうに大聲《おほごゑ》で、 「そーら滅茶苦茶《めちやくちや》な大戰爭《だいせんさう》! 大變《たいへん》な討死《うちじに》だい!電報《でんぱう》買《か》つてお吳《く》んな。今夜《こんや》の電報《でんぱう》だぜ。」  街燈《がいとう》の火影《ほかげ》で讀《よ》むで見《み》ると、戰死《せんし》四千とある。芝居《しばゐ》の見物《けんぶつ》だつて千|以上《いじやう》は無《な》かつたらう。家《うち》へ歸《かへ》る途々《みち〳〵》も、四千の死骸《しがい》〳〵と、始終《しじゆう》其事《そのこと》ばかりを思《おも》つてゐた。  かうなると、ガランとした家《うち》へ入《はい》るのが氣味《きみ》が惡《わる》い。鍵《かぎ》を孔《あな》に押入《おしい》れて、何《なに》も言《い》はぬ平《たひ》らな戶《と》を眺《なが》めたばかりで、もう人《ひと》も住《す》まぬ眞暗《まツくら》な部屋《へや》々々《〴〵》が殘《のこ》らず心《こゝろ》に浮《うか》ぶ。今《いま》其中《そのなか》をキョロ〳〵しながら帽子《ぼうし》を冠《かぶ》つた者《もの》が一人《ひとり》通《とほ》る所《ところ》だ。不知《ふち》案内《あんない》の通路《かよひぢ》ではないけれど、まだ梯子段《はしごだん》を登《のぼ》る時《とき》から、マッチを擦《す》つて、手燭《てしよく》を見付《みつ》ける迄《まで》、點《とぼ》し續《つゞ》けてゐた。兄《あに》の書齋《しよさい》へはもう行《ゆ》かぬ。書齋《しよさい》は在形《ありがた》の儘《まゝ》全然《そツくり》直《ひた》と締切《しめき》つて、錠《ぢやう》が卸《おろ》してある。私《わたし》は食堂《しよくだう》へ引越《ひツこ》してゐたが、今夜《こんや》も其《その》食堂《しよくだう》に寢《ね》るのだ。食堂《しよくだう》の方《はう》が居心《ゐごゝろ》が好《い》い。話聲《はなしごゑ》や、笑聲《わらひごゑ》や、食器《しよくき》の鳴《な》る賑《にぎや》かな音《おと》がまだ太氣中《たいきちう》に籠《こも》つて居《ゐ》さうに思《おも》はれる。時々《とき〴〵》乾《かわ》いたペン先《さき》のさら〳〵と紙上《しゞやう》を走《はし》る音《おと》が判然《はつきり》聞《きこ》える事《こと》もある。寢臺《ねだい》へ橫《よこ》になると…  (斷篇第十五)  …愚《ぐ》にも附《つ》かぬ夢《ゆめ》だけれど、怖《おそ》ろしい夢《ゆめ》だ。宛然《さながら》葢《ふた》の骨《ほね》を剝《は》がれて、腦《なう》が覆《おほ》ふ物《もの》もなく露出《むきだ》しになつたやうに、物狂《ものぐる》ほしい血羶《ちなまぐさ》い今日《けふ》此頃《このごろ》の慘《むご》たらしさを、吸《す》はせられる儘《まゝ》に吸《す》ひ込《こ》んで飽《あ》くことを知《し》らぬ。縮《ちゞ》んで寢《ね》れば、身《み》は二アルシンを塞《ふさ》ぐに過《す》ぎぬけれど、心《こゝろ》は世界《せかい》をも包《つゝ》む。所有《あらゆる》人《ひと》の目《め》で觀《み》、所有《あらゆる》人《ひと》の耳《みゝ》で聽《き》き、戰死者《せんししや》と共《とも》に死《し》に、負傷《ふしやう》して置去《おきざ》りにされた者《もの》と共《とも》に泣《な》き悲《かな》しみ、人《ひと》の流《なが》す血《ち》に私《わたし》も痛《いた》みを感《かん》じて惱《なや》む。無《な》い物《もの》までも有《あ》るやうに、遠《とほ》い物《もの》さへ近《ちか》く顯然《まざ〳〵》と見《み》えて、曝《さら》した腦《なう》の苦痛《くつう》に際限《さいげん》がない。  子供《こども》々々《〳〵》、小《ちい》さな子供《こども》、まだ罪《つみ》を知《し》らぬ子供《こども》。  その子供等《こどもら》が町中《まちなか》で戰爭《さんさう》ごツこをして、逐《お》ひつ逐《お》はれつしてゐる中《うち》に、誰《だれ》だか細《ほそ》い稚《をさ》ない聲《こゑ》でもう泣《な》く者《もの》がある。私《わたし》は怖《おそ》ろしさも怖《おそ》ろしく、厭《いや》な厭《いや》な氣持《きもち》になつて、何《なに》か胸《むね》が躍《をど》るやうに覺《おぼ》えた。家《うち》へ歸《かへ》れば、夜《よる》になつて、夜火事《よくわじ》のやうに炎《も》える夢《ゆめ》に、このいたいげな罪《つみ》の無《な》い子供等《こどもら》が、小《ちひ》さな人殺《ひとごろ》ろしの惡黨《あくたう》の群《むれ》になつたと見《み》た。  何《なん》だか眞赤《まツか》な太《ふと》い火焰《くわえん》を擧《あ》げて物凄《ものすご》く燃《も》える烟《けむり》の中《うち》に、首《くび》は大人《おとな》の、加之《しか》も惡黨《あくたう》らしく、胴《どう》は不具《かたは》の子供《こども》の變化《へんぐゑ》らしい物《もの》が蠢《うご》めく。山羊《やぎ》の子《こ》が戯《たはむ》れるやうに、身輕《みがろ》くピョン〳〵跳廻《はねまは》つてゐる癖《くせ》に、病人《びやうにん》のやうな苦《くる》しさうな息氣《いき》遣《づか》ひをする。蟇《ひき》か蛙《かへる》のそれに似《に》た口《くち》を、パクリと開《あ》いては顫《わなゝ》かせ、躶身《はだかみ》の透徹《すきとほ》るやうな皮越《かはご》しに赤《あか》い血《ち》の流《なが》れるのが見《み》えて、その子供等《こどもら》は遊《あそ》び戯《たはむ》れながら、討《う》ちつ討《う》たれつする。小《ちひ》さくて何處《どこ》へでも潜《もぐ》り込《こ》むから、此程《これほど》無氣味《ぶきみ》な物《もの》を私《わたし》は曾《かつ》て見《み》た事《こと》がない。  私《わたし》が窓《まど》から覗《のぞ》いてゐるのを、小《ちひ》さい一人《ひとり》が認《みと》めるや、莞爾《にツこり》して、内《うち》へ入《はい》りたさうな目色《めつき》をしながら、 「其處《そこ》へ行《い》くよ。」 「來《き》たら取殺《とりころ》すだらう?」 「其處《そこ》へ行《い》くよ。」  忽《たちま》ち諷《さツ》と顏色《かほいろ》を變《か》へて、白壁《しらかべ》を攀登《よぢのぼ》る所《ところ》は宛然《まるで》鼠《ねずみ》だ、饑《う》えた鼠《ねずみ》だ。落《お》ちてチゝと鳴《な》く、又《また》ちよこちよこと壁《かべ》を走《はし》る。その變化《へんくわ》の烈《はげ》しいこと、遽《あはた》だしいこと、見《み》る眼《め》も迷《まよ》ふばかりだ。  戶《と》の下《した》からなら、潜《もぐ》り込《こ》める、――と思《おも》つて私《わたし》が慄然《ぞツ》とすると、さう思《おも》ふ人《ひと》の心《こゝろ》を讀《よ》むだやうに、鼠《ねずみ》は身《み》を細長《ほそなが》くして、尻尾《しツぽ》の先《さき》をひらめかしながら、表口《おもてぐち》の戶《と》の下《した》の暗《くら》い隙間《すきま》へ潜《もぐ》り込《こ》む。私《わたし》が夜着《よぎ》を被《かぶ》つて隱《かく》れてゐると、小《ちひ》さな奴《やつ》が小《ちひ》さな素足《すあし》の音《おと》を偸《ぬす》み〳〵、暗《くら》い部屋《へや》々々《〴〵》を尋《たづ》ね廻《まは》る音《おと》がする。そろり〳〵と、躇躊《ためら》ひがちに、私《わたし》の部屋《へや》へ忍《しの》び寄《よ》つて、遂《つひ》に中《なか》へ這入《はい》つて來《き》たが、それぎり久《しば》らくはガサともゴソとも言《い》はないから、寢臺《ねだい》の側《そば》に何《なに》が居《ゐ》やうとも思《おも》へぬ。忽《たちま》ち誰《だれ》だか小《ちひ》さな手《て》で夜着《よぎ》の端《はし》を捲《ま》くる者《もの》がある。室内《しつない》の冷《つめ》たい氣《き》がヒヤリと面《かほ》に觸《ふ》れ、胸《むね》に觸《ふ》れる。私《わたし》はしかと夜着《よぎ》を抑《おさ》へてゐたが、夜着《よぎ》は止度《とめど》なく其處《そこ》ら中《ぢう》から剝《めく》れて、足《あし》が水《みづ》へでも涵《つか》つたやうに、急《きふ》に冷《つめ》たくなる。頓《やが》て兩足《りやうあし》とも冷《つめ》たい暗《くら》い部屋《へや》の中《なか》に便《たよ》りなく橫《よこた》はれば、鼠《ねずみ》はそれを眺《なが》めてゐる。  壁《かべ》一重《ひとゑ》隔《へだ》てゝ庭《には》で犬《いぬ》の啼聲《なきごゑ》がして、ト罷《や》むと、鎖《くさり》のぢやら〳〵といふ音《おと》がして、犬《いぬ》は小舎《こや》へ潜《もぐ》り込《こ》むだやうだ。鼠《ねずみ》は默《だま》つて私《わたし》の素足《すあし》を眺《なが》めてゐる。それが側《そば》に居《ゐ》るのは自《おのづか》ら知《し》れる。堪《たま》らなく怖《おそ》ろしくて、死神《しにがみ》に抱窘《だきすく》められたやうに、身體《からだ》が竦《すく》み、石《いし》の墓《はか》か何《なん》ぞのやうに、寂《ぢツ》と動《うご》かなくなるにつけても、それは知《し》れるが、若《も》し大聲《おほごゑ》を立《た》てる事《こと》が出來《でき》たら、私《わたし》は此市《このまち》どころか、世界中《せかいぢう》を呼覺《よびさま》したかも知《し》れん。只《たゞ》聲《こゑ》が中途《ちうと》で立消《たちぎ》えをして出《で》て來《こ》ぬので、大人《おとな》しく凝然《ぢツ》としてゐたが、小《ちひ》さい冷《つめ》たい手先《てさき》がむづ〳〵と身體中《からだぢう》を這廻《はひまは》つて、咽喉元《のどもと》へ逼《せま》る。 「堪《たま》らん!」と片息《かたいき》になつて、喚《わめ》いて瞬《またゝ》く間《ま》に目《め》を覺《さま》す。夜《よ》は深々《しん〳〵》として靈《れい》あるが如《ごと》く、暗《くら》くても能《よ》く見《み》えたが、私《わたし》は又《また》眠入《ねい》つたらしかつた… 「何《なに》も心配《しんぱい》する事《こと》はないよ」、と兄《あに》が寢臺《ねだい》の端《はし》に腰《こし》を卸《おろ》した。亡者《もうじや》でも重《おも》たくて、寢臺《ねだい》がギシ〳〵といふ。「何《なに》も心配《しんぱい》する事《こと》はない。皆《みな》夢《ゆめ》だ。咽喉《のど》を締《し》められるやうな氣《き》がするので、お前《まへ》は實《じつ》は誰《だれ》も居《ゐ》ない眞暗《まつくら》な部屋《へや》でグッスリ寢込《ねこ》んでるのだ。ね、私《わたし》は書齋《しよさい》で書《か》いてるのだ。何《なに》を書《か》いてるのか一|向《こう》知《し》らんもんだから、お前方《まへがた》は私《わたし》を狂人《きちがひ》扱《あつか》ひにして失禮《しつれい》な眞似《まね》をしてゐるけれど、もう斯《か》うなりや打明《うちあ》けやう。私《わたし》は實《じつ》は赤《あか》い笑《わら》ひの事《こと》を書《か》いてるのだ。お前《まへ》に見《み》えるか?」  何《なに》やら大《おほ》きな眞紅《まツか》な血《ち》だらけの物《もの》が私《わたし》の上《うへ》に覆《かぶ》さつて、齒《は》のない口元《くちもと》でゲタリと笑《わら》つてゐる。 「これが赤《あか》い笑《わらひ》だ。地球《ちきう》が狂氣《きちがひ》になると、かういふ笑方《わらひかた》をするものだ。お前《まへ》知《し》つてるだらう、地球《ちきう》の氣《き》の違《ちが》つた事《こと》は? もう花《はな》も歌《うた》もなくなつて、地球《ちきう》は圓《まる》い、滑《すべツ》こい、眞紅《まツか》な、皮《かは》を剝《む》いた頭《あたま》のやうな物《もの》になつて了《しま》つた。見《み》えるか?」 「見《み》えます。今《いま》笑《わら》つてます。」 「地球《ちきう》の腦髓《なうずゐ》がえらい事《こと》になつて了《しま》つたから、御覽《ごらん》。眞紅《まツか》なところは血《ち》の粥《かゆ》とでも謂《い》ひさうだ。滅茶々々《めつちや〳〵》になつて了《しま》つた。」 「何《なに》か喚《わめ》いてる。」 「痛《いた》いのだ。もう花《はな》も歌《うた》もないからな。さあ、己《おれ》がお前《まへ》の上《うへ》へ乗《の》つかるぞ!」 「乗《の》つかつちや、重《おも》たい、氣味《きみ》も惡《わる》い。」 「死《し》んだ者《もの》なら、生《い》きてる者《もの》の上《うへ》に乗《のツ》かるべき筈《はず》だ。溫《あツた》かいだらう?」 「溫《あツた》かです。」 「好《い》い心持《こゝろもち》か?」 「死《し》にさうだ。」 「目《め》を覺《さま》してワッといへ。目《め》を覺《さま》してワッと。己《おれ》はもう行《ゆ》く…」  (斷篇第十六)  戰鬪《せんとう》が始《はじ》まつてから、もう八|日目《かめ》になる。過《すぐ》る週《しう》の金曜《きんえう》に始《はじ》まつて、土曜《どえう》、日曜《にちえう》、月曜《げつえう》、火曜《くわえう》、水曜《すゐえう》、木曜《もくえう》と過《す》ぎて、又《また》金曜《きんえう》が來《き》て其《それ》も過《す》ぎたが、まだ戰鬪《せんとう》は止《や》まぬ。兩軍《りやうぐん》の兵數《へいすう》十|萬《まん》、それが相對《あひたい》して一|步《ぽ》も退《ひ》かずに、凄《すさ》まじい音《おと》を立《た》てゝ、息氣《いき》をも續《つ》がず破裂彈《はれつだん》を打《う》ち合《あ》ふので、刻々《こく〳〵》に生人《せいにん》が死人《しにん》になつて行《ゆ》く。段々《だん〳〵》轟々《ごう〳〵》と絕《た》えず空氣《くうき》を撼《ゆす》る其《その》砲聲《はうせい》に、空《そら》も動搖《どよ》んで眞黑《まツくろ》な夕立雲《ゆうだちぐも》を呼《よ》び、雷霆《らいてい》は頭《あたま》の上《うへ》で磤《はた》めくけれど、敵《てき》も味方《みかた》も此處《こゝ》を先途《せんど》と討《う》ちつ討《う》たれつしてゐる。人《ひと》は三|晝夜《ちうや》眠《ねむ》らんと、病《やまひ》を得《え》て物《もの》も覺《おぼ》えぬやうになるといふのに、况《ま》して是《これ》はもう一|週間《しうかん》も眠《ねむ》らずに居《ゐ》るのだから、皆《みな》狂氣《きちがひ》になつてゐる。であるから、苦《くる》しいとも思《おも》はない、退《ひ》かうともしない、一人《ひとり》殘《のこ》らず討死《うちじに》して了《しま》ふ迄《まで》は、奮鬪《ふんとう》せんとするのだ。風聞《ふうぶん》に據《よ》ると、某隊《ぼうたい》では彈藥《だんやく》が盡《つ》きて、石《いし》を投《な》げ合《あ》ひ、拳《こぶし》で毆《う》ち合《あ》ひ、犬《いぬ》のやうに咬《か》み合《あ》つたと云《い》ふ。若《も》し此《この》戰鬪《せんとう》の參加者《さんかしや》で生還《せいくわん》する者《もの》があつたら、狼《おほかみ》のやうに牙《きば》が生《は》えてゐやうも知れぬが、恐《おそ》らく生還者《せいくわんしや》は有《あ》るまい、皆《みな》狂《くる》つてゐるから、一人《ひとり》殘《のこ》らず討死《うちじに》して了《しま》はう。皆《みな》狂《くる》つてゐる。頭《あたま》の中《なか》が顚倒《てんたふ》して何《なに》も分《わか》らなくなつて居《ゐ》るから、若《も》し急《きふ》にグルッと方向《むき》を變《か》へさせられたら、敵《てき》と思《おも》つて味方《みかた》に發砲《はつぱう》しかねまいと思《おも》はれる。  奇怪《きくわい》な噂《うはさ》がある…奇怪《きくわい》な噂《うはさ》で、怖《おそ》ろしくもあるし、只《た》だ事《こと》でないと虫《むし》が知《し》らせたから、皆《みな》蒼《あを》くなつて、ひそ〳〵と咡《さゝや》く。あゝ、兄《あに》に聞《き》かせたい、皆《みな》赤《あか》い笑《わらひ》の噂《うはさ》だ。聞《き》けば、幻《まぼろ》しの部隊《ぶたい》が現《あら》はれたと云《い》ふ。いづれも何《なに》から何迄《なにまで》生人《せいじん》と些《ちつ》とも違《ちが》はぬ亡者《もうじや》の集團《しふだん》だ。夜《よ》は狂《くる》つた人逹《ひとたち》が霎時《しばし》の夢《ゆめ》を結《むす》ぶ時《とき》、晝《ひる》は晴《は》れた日《ひ》も黃泉《よみ》と曇《くも》る戰《たゝかひ》の眞最中《まツさいちう》に、忽然《こつぜん》と現《あら》はれて、幻《まぼろ》しの砲《はう》で發砲《はつぱう》して、怪《あや》しの砲聲《はうせい》に空《そら》を撼《ゆす》ると、生《い》きてはゐるが、氣《き》の狂《くる》つた人逹《ひとたち》が、事《こと》の不意《ふい》なのに度《ど》を失《うしな》つて、死物狂《しにものぐる》ひに其《その》幻《まぼろ》しの敵《てき》と戰《たゝか》ひ、怖《おそ》れて取逆上《とりのぼ》せて、一|瞬《しゆん》の間《ま》に白髮《しらが》になり、紛々《ふんぷん》と死《し》んで行《ゆ》く。幻《まぼろ》しの敵《てき》は忽然《こつぜん》として現《あら》はれて、又《また》忽然《こつぜん》として消《き》え失《う》せる。と、寂然《しん》となつた跡《あと》を見《み》れば、散々《さん〴〵》に形《かたち》の害《そこな》はれたまだ生々《なま〳〵》しい死骸《しがい》が、狼藉《らうぜき》と地上《ちじやう》に橫《よこたは》つてゐる。敵《てき》は果《はた》して何者《なにもの》だつたらう? 敵《てき》の果《はた》して何者《なにもの》だつたかを、私《わたし》の兄《あに》は知《し》つてゐる筈《はず》だ。  二|度目《どめ》の戰鬪《せんとう》も終《をは》つて、四下《あたり》は寂然《ひツそり》となる。敵《てき》は遠方《ゑんぱう》だ。それだのに、闇夜《やみよ》に突然《とつぜん》ドンと一|發《ぱつ》怯《おび》えたやうな筒音《つゝおと》がする。それツと跳起《はねお》きて、皆《みな》暗黑《くらやみ》の中《なか》へ發砲《はつぱう》する、――久《しば》らく、何時間《なんじかん》といふ間《あひだ》、寂《しん》として音沙汰《おとさた》のない暗黑《くらやみ》の中《なか》へ發砲《はつぱう》する。暗中《あんちう》に何《なに》を認《みと》めたのか? 怖《おそ》ろしくも物狂《ものぐる》ほしい無言《むごん》の姿《すがた》を現《げん》した無氣味《ぶきび》な者《もの》は抑《そもそ》も何者《なにもの》だ? 之《これ》を知《し》つてる者《もの》は兄《あに》と私《わたし》とだけで、まだ他《ほか》の人《ひと》は知《し》らない、只《たゞ》感《かん》ずるだけは感《かん》じて居《ゐ》ると見《み》えて、蒼《あを》くなつて此樣《こん》な事《こと》をいふ、「如何《どう》して斯《か》う狂人《きちがひ》が多《おほ》いのでせう? 此樣《こん》なに澤山《たくさん》狂人《きちがひ》の有《あ》つた事《こと》はまだ聞《き》いた事《こと》がない。」 「此樣《こん》なに澤山《たくさん》狂人《きちがひ》の有《あ》つた事《こと》を聞《き》いた事《こと》がない」といつて、皆《みな》蒼《あを》くなる。今《いま》も昔《むかし》も變《かは》らぬと思《おも》つて居《ゐ》たいのだ。遍《あまね》く人《ひと》の良智《りやうち》を無理《むり》に抑《おさ》へて居《ゐ》る力《ちから》は銘々《めい〳〵》の果敢《あへ》ない頭《あたま》の上《うへ》へは及《およ》ばぬと思《おも》つてゐたいのだ。 「昔《むかし》だつて、何時《いつ》だつて、戰爭《せんさう》はあつた、しかし曾《かつ》て此樣《こん》な事《こと》はない。戰爭《せんさう》は生存《せいそん》の理法《りはふ》だ」、と斯《か》ういつて皆《みな》澄《すま》して落着《おちつ》いてゐるけれど、其癖《そのくせ》皆《みな》蒼《あを》くなつてゐる、皆《みな》眼《め》で醫者《いしや》を捜《さが》してゐる、皆《みな》狼狽《うろた》へた聲《こゑ》で、水《みづ》を、早《はや》く水《みづ》を、と叫《さけ》んでゐる。  人《ひと》は皆《みな》内《うち》に動《うご》く良智《りやうち》の聲《こゑ》を聞《き》くまいとして、無意味《むいみ》な事《こと》に爭《あらそ》ひ負《ま》けて其《その》分別《ふんべつ》の鈍《にぶ》り行《ゆ》くのを忘《わす》れやうとして、ならば白痴《たはけ》になりたいと思《おも》ふ。戰地《せんち》では刻々《こく〳〵》に人《ひと》の死《し》に行《ゆ》く今日《けふ》此頃《このごろ》、私《わたし》は如何《どう》しても安閑《あんかん》としてゐられぬから、其處《そこ》ら中《ぢう》世間《せけん》を駈廻《かけまは》つて、人《ひと》の話《はなし》も隨分《ずゐぶん》聞《き》いた、なに、戰爭《せんさう》は遠方《ゑんぱう》だ、我々《われ〳〵》には關係《くわんけい》はないといつて、故意《わざ》とらしく微笑《びせう》する人《ひと》の面《かほ》も隨分《ずゐぶん》見《み》た。が、それよりも多《おほ》く出逢《であ》つたのは、虛飾《きよしよく》を去《さ》つた眞實《しんじつ》の恐怖《きようふ》である。心細《こゝろぼそ》い苦《にが》い淚《なみだ》である、「この狂暴《きやうばう》の殺戮《さつりく》はいつ止《や》めるのだ!」といふ、絕望《ぜつばう》の物狂《ものぐる》ほしい叫聲《さけびごゑ》である。人《ひと》が大《おほい》なる良智《りやうち》に力《ちから》一杯《いつぱい》膓《はらわた》を絞《しぼ》られて、最後《さいご》の祈禱《きたう》、最後《さいご》の呪咀《じゆそ》を唱《とな》へ出《だ》す時《とき》、能《よ》く此《この》叫聲《さけびごゑ》を發《はつ》する。  久《ひさ》しいこと、或《あるひ》は數年《すうねん》になるかも知《し》れぬが、足踏《あしぶ》みしなかつた去方《さるかた》で、狂氣《きやうき》になつて後送《こうさう》せられた一|將校《しやうかう》に出逢《であ》つた。同窓《どうさう》の友《とも》だのに、私《わたし》は見違《みちが》へた位《くらゐ》で、產《う》みの母《はゝ》さへ分《わか》らなかつたと云《い》ふ。一|年《ねん》も墳穴《つかあな》に埋《うま》つてゐて再《ふたゝ》び此世《このよ》に出《で》て來《き》たとて、かうはあるまいと思《おも》はれる程《ほど》の變《かは》り樣《やう》で、頭《あたま》も白《しろ》く、全《まつた》く白《しろ》くなつて了《しま》つてゐた。面貌《かほだち》は餘《あま》り變《かは》つてもゐなかつたが、默《だま》つて聽耳《きゝみゝ》を立《た》てゝゐる其《その》面色《かほつき》は世離《よばな》れして、人間《にんげん》とは緣遠《えんどほ》く怖《おそ》ろしげなので、言葉《ことば》を掛《か》けるさへ無氣味《ぶきび》になる。如何《どう》して氣《き》が違《ちが》つたのだといふと、親戚《しんせき》の聞込《きゝこ》んだ所《ところ》では、彼《かれ》の隊《たい》が豫備隊《よびたい》となつて、隣《とな》りの聯隊《れんたい》が突貫《とつくわん》した事《こと》がある。大勢《おほぜい》が駈《か》けながら、ウラー、ウラーと喚《わめ》く。大聲《おほごゑ》に喚《わめ》くので、殆《ほとん》ど銃聲《じうせい》も聞《きこ》えなくなつた程《ほど》だつたが、其中《そのうち》にふと銃聲《じうせい》が止《や》む、――ウラーが止《や》む。寂然《しん》と墓《はか》の如《ごと》く靜《しづ》かになつたのは、敵《てき》の陣地《ぢんち》に走《はし》り着《つ》いて、彌〻《いよ〳〵》白兵戰《はくへいせん》が始《はじ》まつたのだ。彼《かれ》は此時《このとき》寂然《しん》となつたのに堪《た》へなかつたのだと云《い》ふ。  今《いま》では側《そば》で話《はなし》をしたり、叫《さけ》んだり、騷《さわ》いだりしてゐると、落着《おちつ》いて聽耳《きゝみゝ》を立《た》てゝ何《なに》かの聞《きこ》えるのを待《ま》つてゐるが、一寸《ちよツと》でも閑《しづ》かになると、我《われ》と我頭《わがあたま》に挘《むし》りつくやら、壁《かべ》や家具《かぐ》へ駈上《かけあが》らうとするやら、癲癇《てんかん》めいた發作《ほつさ》を起《おこ》して藻搔《もが》く。親戚《しんせき》が多《おほ》いので、其等《それら》が交《かは》る〴〵病人《びやうにん》を取卷《とりま》いて騷《さわ》いでやつてゐるが、それでも夜《よる》がある、長《なが》い音《おと》のせぬ夜《よる》があるから、父親《ちゝおや》が夜《よる》を引受《ひきう》ける。これも矢張《やツぱり》白髮《しらが》頭《あたま》の少《すこ》し氣《き》の變《へん》な親仁《おやぢ》だが、チクタクの音《おと》の高《たか》い時計《とけい》を幾《いく》つとなく壁《かべ》に掛連《かけつら》ねて、たがひ違《ちが》ひに間斷《しツきり》なく時《とき》を打《う》たせてゐたが、近頃《ちかごろ》では絕《た》えずパチパチといふやうな音《おと》を出《だ》す輪《わ》を仕掛《しか》けてゐるさうな。まだ二十七だから、全快《ぜんくわい》すると思《おも》つて、望《のぞみ》を將來《しやうらい》に繫《か》けてゐるから、今《いま》では家内《かない》が寧《むし》ろ陽氣《やうき》である。軍服《ぐんぷく》は着《き》せないが、瀟洒《さつぱり》した服裝《なり》をさせて、見《み》ともなくないやうに仕《し》て置《お》いてやるから、白髮《しらが》でこそあれ、面相《かほだち》はまだ若々《わか〳〵》しく、擧動《きよどう》も力《ちから》の脫《ぬ》けたやうに悠然《ゆツたり》と品《ひん》が好《よ》く、物思《ものおも》ひ貌《がほ》に凝《ぢツ》と注意《ちうい》してゐる形《かたち》は寧《むし》ろ美《うつく》しい。  始終《しじう》の話《はなし》を聽《き》いて、私《わたし》は側《そば》へ行《い》つて、その男《をとこ》の蒼白《あをじろ》い、萎《な》え〳〵とした、もう刃《やいば》を揮翳《ふりかざ》すこともない筈《はず》の手《て》に接吻《せつぷん》したが、之《これ》には誰《たれ》も目《め》を側《そばだ》てる者《もの》もなかつた。唯《たゞ》友《とも》の若《わか》い妹《いもうと》が目《め》に微笑《びせう》を含《ふく》むで私《わたし》を見《み》たばかりだつたが、それからは其《その》娘《むすめ》が、許嫁《いひなづけ》でもあるやうに、私《わたし》の跡《あと》を追廻《おひまは》して、此世《このよ》に掛易《かけがへ》のない男《をとこ》のやうに私《わたし》を慕《した》ふ。餘《あま》り慕《した》はれるので、私《わたし》も不覺《つい》眞暗《まツくら》なガランとした家《うち》に、獨居《ひとりゐ》よりも厭《いや》な思《おもひ》をしてゐる事《こと》を話《はな》さうとした程《ほど》だつたが、人《ひと》の心《こゝろ》といふものは愛想《あいそ》の盡《つ》きる物《もの》だ。何時《いつ》だつて絕望《ぜつばう》してゐる事《こと》はない。娘《むすめ》の計《はか》らひで差向《さしむか》ひになつた時《とき》、其人《そのひと》が優《やさ》しく、 「まあ、貴方《あなた》のお顏色《かほいろ》の惡《わる》いこと! 眼《め》の下《した》に環《わ》が出來《でき》てますよ。お加減《かげん》でも惡《わる》いのですか? それともお兄樣《あにいさま》がお可哀《かわい》さうでならないの?」 「兄《あに》ばかりぢやない、人間《にんげん》が皆《みな》可哀《かわい》さうです。尤《もツと》も少《すこ》し加減《かげん》も惡《わる》いが…」 「私《あた》し貴方《あなた》が兄《あに》の手《て》に接吻《せつぷん》なすつた譯《わけ》を知《し》つてますよ、――皆《みんな》は氣《き》が附《つ》かなかつたやうですけど。あの、何《なん》でせう、兄《あに》が狂氣《きちがひ》だから、それでゞせう?」 「さうです。狂氣《きちがひ》だから、それでゞす。」  娘《むすめ》は凝《ぢツ》と思案《しあん》に沈《しづ》む、――その樣子《やうす》が兄《あに》に酷肖《そツくり》であつた、――只《たゞ》逈然《ずツ》と若《わか》いばかりで。 「私《あた》し」、と娘《むすめ》は言淀《いひよど》むでサツと赤面《せきめん》したが、伏目《ふしめ》にもならないで、「私《あた》し貴方《あなた》のお手《て》に接吻《せツぷん》したいわ。許《ゆる》して下《くだ》すつて?」  私《わたし》は娘《むすめ》の前《まへ》に膝《ひざ》を突《つ》いて、 「祝福《ブレツス》して下《くだ》さい。」  娘《むすめ》は聊《いさゝ》か顏色《がんしよく》を變《か》へて身《み》を引《ひ》いたが、唇《くちびる》ばかりで囁《さゝや》くのを聞《き》くと、 「私《あた》し信者《しんじや》ぢやないわ。」 「私《わたし》だつてもそれは然《さ》うだ。」  娘《むすめ》の手《て》が一寸《ちよツと》私《わたし》の頭《あたま》に觸《ふ》れた。それが濟《す》むと、 「私《あた》し戰地《せんち》へ行《い》つてよ。」 「それも好《い》いでせう。しかし到底《とて》も耐《た》へられまい。」 「それは如何《どう》だか知《し》れないけど、だつて貴方《あなた》も兄《あに》も然《さ》うだけど、戰地《せんち》の人《ひと》だつて打遣《うツちや》つて置《お》く譯《わけ》には行《い》きますまい? 罪《つみ》も何《なに》もない人逹《ひとたち》ですもの。貴方《あなた》、私《わたし》を忘《わす》れちや下《くだ》さらない?」 「决《けツ》して。貴孃《あなた》は?」 「私《あたし》もそんなら、御機嫌《ごきげん》よう!」 「もう二|度《ど》とはお目《め》に掛《かゝ》れまい。御機嫌《ごきげん》よう!」  死《し》にも狂氣《きやうき》にも尤《もつと》も畏《おそ》るべき處《ところ》がある、――それを私《わたし》は經過《けいくわ》したやうな心持《こゝろもち》がして、ホッとした。氣《き》も落着《おちつ》いた。久《ひさ》し振《ぶり》で昨日《きのふ》は、怖《おそ》ろしいとも何《なん》とも思《おも》はず、平氣《へいき》で家《うち》へ入《はい》つて、兄《あに》の書齋《しよさい》の戶《と》を開《あ》けて、其《その》筐《かたみ》の机《つくえ》に對《たい》して、久《しば》らく椅子《ゐす》に倚《よ》つてゐた。夜中《よなか》にドンと何《なに》かに衝《つ》かれたやうな心持《こゝろもち》でふと目《め》を覺《さま》すと、乾《かわ》いたペン先《さき》が紙上《しじやう》を走《はし》る音《おと》がしたが、私《わたし》は驚《おどろ》かなかつた。殆《ほとん》ど微笑《びせう》せぬばかりの心持《こゝろもち》になつて、心《こゝろ》の中《うち》で、 「澤山《たんと》お書《か》きなさい。ペンも乾《かわ》いたのぢやない、――生々《なま〳〵》しい人間《にんげん》の血潮《ちしほ》を含《ふく》んでゐる。原稿《げんかう》も白紙《はくし》のやうに見《み》えやうが、其方《そのはう》が寧《むし》ろ好《い》い。何《なに》も書《か》いてないだけに無氣味《ぶきみ》で、聰明《さうめい》な人逹《ひとたち》が種々《いろん》な事《こと》を書立《かきた》てるよりも、戰爭《せんさう》や理性《りせい》に付《つ》いて多《おほ》くを語《かた》る。お書《か》きなさい、〳〵、澤山《たんと》お書《か》きなさい。」  …今朝《けさ》新聞《しんぶん》を讀《よ》むで見《み》ると、まだ戰闘《せんとう》が止《や》まぬので、私《わたし》はまた薄氣味惡《うすきみわる》くなつて來《き》て、心《こゝろ》が落居《おちゐ》ず、宛然《さながら》腦《なう》の中《なか》で何《なに》かガタリと落《お》ちたやうな心持《こゝろもち》がした。その何《なに》かゞ向《むか》ふから來《く》る、近《ちか》くなる、――もうガランと明《あか》るい家《うち》の敷居《しきゐ》に立《た》つてゐる。あゝ、彼《か》の人《ひと》が懷《なつ》かしい、何卒《どうぞ》私《わたし》の事《こと》を忘《わす》れて吳《く》れるな。私《わたし》は氣《き》が違《ちが》ひさうだ。戰死《せんし》三|萬《まん》、戰死《せんし》三|萬《まん》…  (斷篇第十七)  …市内《しない》も何《なん》となく血羶《ちなまぐさ》い。判然《はつきり》した事《こと》は分《わか》らぬけれど、何《なん》だか怖《おそ》ろしい噂《うはさ》がある…  (斷篇第十八)  今朝《けさ》新聞《しんぶん》を見《み》ると、澤山《たくさん》の戰死者《せんししや》の姓名《せいめい》が出《で》てゐる中《なか》で、一人《ひとり》知《し》つた名前《なまへ》がある。それは私《わたし》の妹《いもうと》の許嫁《いひなづけ》の一|將校《しやうかう》で、亡兄《ばうけい》と一|緒《しよ》に召集《せうしふ》された人《ひと》だ。一|時間後《じかんご》に配逹夫《はいたつふ》が投込《なげこ》んで行《い》つた手紙《てがみ》を見《み》ると、兄《あに》へ宛《あ》てたもので、表書《うはがき》の書風《しよふう》で分《わか》つたが、その戰死《せんし》した妹《いもうと》の許嫁《いひなづけ》から來《き》たのだ。死人《しにん》が死人《しにん》へ手紙《てがみ》を寄越《よこ》したのだ。けれども死人《しにん》が生《い》きてる人《ひと》に文通《ぶんつう》したよりまだ勝《まし》だ。これは私《わたし》が現《げん》に逢《あ》つた去《さ》る婦人《ふじん》の身《み》の上《うへ》だが、その息子《むすこ》が砲彈《はうだん》に粉韲《ふんさい》されて無殘《むざん》な最後《さいご》を遂《と》げたのを新聞《しんぶん》で知《し》つてから、全《まる》一ケ|月《げつ》の間《あひだ》每日《まいにち》其《その》息子《むすこ》から手紙《てがみ》が來《く》る。優《しほ》らしい息子《むすこ》で、手紙《てがみ》にはいつも優《やさ》しい事《こと》を書《か》いて母《はゝ》を慰《なぐさ》めて、何《なに》か幸福《かうふく》を得《う》る望《のぞ》みあり氣《げ》な若《わか》い愛度氣《あどけ》ない事《こと》ばかり言《い》つて寄越《よこ》す。此世《このよ》の人《ひと》ではないけれど、これが惡魔《あくま》の几帳面《きちやうめん》といふものか、每日《まいにち》缺《か》がさず此世《このよ》の事《こと》を書《か》いて寄越《よこ》すから、母親《はゝおや》は遂《つひ》に伜《せがれ》は戰死《せんし》したのでないと思《おも》ひ出《だ》した。が、ふと音信《おとづれ》が絕《た》えてから、一|日《にち》二日《ふつか》三日《みつか》と過《す》ぎ、それからも死默《しもく》に入《い》つて、何時迄《いつまで》待《ま》つても音沙汰《おとさた》がないので、母親《はゝおや》は兩手《りやうて》で古風《こふう》な大形《おほがた》のピストルを取上《とりあ》げて、胸《むね》へ丸《たま》を打込《うちこ》んだと云《い》ふ。助《たす》かつたやうにもいふが、私《わたし》は能《よ》くは知《し》らぬ。判然《はつきり》した事《こと》を聞《き》かずに了《しま》つた。  私《わたし》は久《しば》らく封筒《ふうとう》を眺《なが》めてゐたが、考《かんが》へて見《み》ると、此《この》封筒《ふうとう》も曾《かつ》て故人《こじん》の手《て》に觸《ふ》れた事《こと》があるのだ。何處《どこ》でか之《これ》を買《か》はうとして、錢《ぜに》を持《も》たせて從卒《じゆうそつ》を、何處《どこ》かの店《みせ》へ遣《や》つたのだ。故人《こじん》は此《この》手紙《てがみ》の封《ふう》をしてから、或《あるひ》は自分《じぶん》でポストへ入《い》れたかも知《し》れぬ。で、郵便《いうびん》といふ複雜《ふくざつ》な機關《きくわん》が運轉《うんてん》し出《だ》して、手紙《てがみ》は森《もり》や野《の》や市街《しがい》を餘所《よそ》に見《み》て、只管《ひたすら》目的地《もくてきち》を指《さ》して走《はし》る。最後《さいご》の日《ひ》の朝《あさ》、手紙《てがみ》の主《ぬし》が長靴《ながぐつ》を穿《は》いた時《とき》、手紙《てがみ》は走《はし》つてゐた。主《ぬし》が戰死《せんし》した時《とき》にも、手紙《てがみ》は走《はし》つてゐた。主《ぬし》が穴《あな》へ投込《なげこ》まれて死骸《しがい》が土《つち》の下《した》になつた時《とき》にも、消印《けしいん》を帶《お》びた灰色《はいゝろ》の封筒《ふうとう》の中《なか》に身《み》を忍《しの》ばせて、靈《れい》ある幻《まぼろし》の如《ごと》く、手紙《てがみ》は森《もり》や野《の》や市街《しがい》を餘所《よそ》に見《み》つゝ走《はし》つて、かうして今《いま》私《わたし》の手中《しゆちう》に在《あ》るのだ。  手紙《てがみ》の文句《もんく》は下《しも》の通《とほ》り。鉛筆《えんぴつ》で幾片《いくひら》かの紙《かみ》の切端《きれはし》に書《か》いたもので、結末《けつまつ》も附《つ》いてゐない。何《なに》か邪魔《じやま》が入《はい》つたものと見《み》える。 ⦅…今《いま》となつて始《はじめ》て戰爭《せんさう》の大《おほい》に樂《たの》しむべき所以《ゆえん》を知《し》つた。利口《りこう》な、狡猾《かうくわつ》な、裏表《うらおもて》のある、肉食《にくしよく》動物《どうぶつ》中《ちう》の肉食《にくしよく》動物《どうぶつ》より、遙《はる》かに味《あぢ》のある人間《にんげん》といふやつを殺《ころ》す樂《たの》しみは、古風《こふう》な原始的《げんしてき》な樂《たの》しみで、鎭長《とこしなへ》に人《ひと》の生命《せいめい》を奪《うば》ふといふ事《こと》は、行星《かうせい》なんぞを抛《な》げてテニスを行《や》るよりも、愉快《ゆくわい》なものだ。君《きみ》は哀《あは》れだ。僕《ぼく》は君《きみ》が僕等《ぼくら》と倶《とも》に在《あ》ることを得《え》ずして、無味《むみ》な平凡《へいぼん》な日《ひ》を送《おく》つて、無聊《むりよう》に苦《くる》しむ身《み》の上《うへ》になつたのを悲《かな》しむ。君《きみ》が高尙《かいしやう》な精神《せいしん》から、安《やす》きを偸《ぬす》んで居《ゐ》られずして、永《なが》く求《もと》めた所《ところ》のものは、死地《しち》に入《はい》つて後《のち》、始《はじめ》て獲《え》られる。血《ち》に醉《ゑ》ふといふこと、比喩《ひゆ》は稍《やゝ》古《ふる》めかしいが、眞實《しんじつ》は反《かへつ》て這裏《しやり》に在《あ》る。僕等《ぼくら》は膝《ひざ》まで血《ち》に蘸《ひ》り、此《この》赤葡萄酒《あかぶだうしゆ》に醉《ゑ》つてチロ〳〵目《め》になつてゐる。赤葡萄酒《あかぶだうしゆ》とは名譽《めいよ》ある僕《ぼく》の部下《ぶか》の兵《へい》が戯《たはむ》れに命《めい》じた名《な》だ。人《ひと》の生血《いきち》を飮《の》むといふ風習《ふうしふ》は、人《ひと》の思《おも》ふ程《ほど》、馬鹿氣《ばかげ》たものではない。古人《こじん》も承知《しようち》して行《や》つた事《こと》だ…⦆ ⦅…鵶《からす》が啼《な》いてゐる。君《きみ》に聞《きこ》えるか、鵶《からす》が啼《な》いてゐるぞ。何處《どこ》から此樣《こんな》に飛《と》んで來《き》たのだらう! 空《そら》も黑《くろ》む程《ほど》だ。天下《てんか》に可畏物《こはいもの》なしの僕等《ぼくら》と列《なら》んで、鵶《からす》は宿《とま》つてゐる。何處《どこ》へ行《い》つても隨《つ》いて來《く》る。いつも僕等《ぼくら》の頭《あたま》の上《うへ》に居《ゐ》るから、黑《くろ》レースの傘《かさ》を翳《さ》してゐるやうで、又《また》葉《は》の黑《くろ》い木《き》の動《うご》く蔭《かげ》に居《ゐ》るやうだ。一|羽《は》僕《ぼく》の面《かほ》の側《そば》へ來《き》て突《つゝ》つかうとした。彼奴《きやつ》僕《ぼく》を死人《しにん》と間違《まちが》へたのだらう。鴉《からす》が啼《な》いてゐる、少《すこ》し氣《き》になる。何處《どこ》から此樣《こん》なに飛《と》んで來《き》たのだらう?⦆ ⦅…昨夜《ゆうべ》僕等《ぼくら》は睡耋《ねぼ》けた敵《てき》を鏖殺《みなごろ》しにした。鴨《かも》を仕留《しと》める時《とき》のやうに、窃《そつ》と、足音《あしおと》を偸《ぬす》んで、巧《うま》く、用心《ようじん》して這《は》つて行《い》つたから、死骸《しがい》に一つ躓《つまづ》かず、鳥《とり》一|羽《は》起《た》たせなかつた。幽靈《いうれい》のやうに、忍《しの》んで行《ゆ》く、それを又《また》夜《よる》が隱《かく》して吳《く》れる。哨兵《せうへい》は僕《ぼく》が片付《かたづ》けてやつた、突倒《つきたふ》して置《お》いて、聲《こゑ》を立《た》てぬやうに咽喉《のど》を締《し》めたのだ。少《すこ》しでも聲《こゑ》を立《た》てられたら、百|年目《ねんめ》だからなあ、君《きみ》。しかし聲《こゑ》を立《た》てなかつた。殺《ころ》されると思《おも》つてゐる暇《ひま》が無《な》かつたやうだ。  篝《かゞり》がぷす〳〵燻《いぶ》つてゐる。敵《てき》は其側《そのそば》に眠《ね》てゐた。我家《わがや》で寢臺《ねだい》に臥《ね》たやうに、安心《あんしん》して眠《ね》てゐた。其處《そこ》を僕等《ぼくら》は一|時間餘《じかんよ》も屠《ほふ》つたのだ。斬《き》らぬ中《うち》に眼《め》を覺《さま》したのは幾人《いくたり》もなかつたが其樣《そん》な奴等《やつら》は悲鳴《ひめい》を揚《あ》げて、無論《むろん》赦《ゆる》して吳《く》れといつた。喰付《くひつ》きもした。一人《ひとり》の奴《やつ》なんぞ、僕《ぼく》が頭《あたま》を引摑《ひツつか》むと、摑《つか》みやうが惡《わる》かつたので、左《ひだり》の手《て》の指《ゆび》を咬《か》み切《き》りをつた。指《ゆび》は咬《か》み切られたが、其代《そのかは》り見事《みごと》に首《くび》を引捻《ひンねぢ》つてやつた。如何《どう》だ、君《きみ》、これなら帳消《ちやうけ》しになるまいか?いや、皆《みな》能《よ》く眠込《ねこ》んで居《ゐ》やがつたよ! 骨《ほね》を斬《き》れば、ポキンといふな、肉《にく》を斬《き》れば、ザクッといふのだ。それから丸裸《まるはだか》にして置《お》いて、お四季施《しきせ》の分配《ぶんぱい》をやつたが、君《きみ》、串戯《じやうだん》いふと思《おも》つて怒《おこ》つちや不好《いけない》ぜ。君《きみ》は小《こ》六かしいから、それぢや野武士臭《のぶしくさ》いといふかも知《し》れんが、仕方《しかた》がないさ。僕等《ぼくら》だつて殆《ほとん》ど裸《はだか》だもの。全然《すツかり》着切《きゝ》つて了《しま》つたのだ。僕《ぼく》は疾《と》うから何《なん》だか女《をんな》の上衣《うはぎ》のやうな物《もの》を着《き》てゐるのだ。これぢや常勝軍《じやうしようぐん》の將校《しやうかう》ぢやなくて、何《なに》かのやうだ。  それはさうと、君《きみ》は結婚《けつこん》した樣《やう》だつたな?それぢや、此樣《こん》な手紙《てがみ》を見《み》ちや、惡《わる》かつたらう。しかし…なあ、君《きみ》、女《をんな》に限《かぎ》るぞ。えい、糞《くそ》、僕《ぼく》だつて靑年《せいねん》だ、戀《こひ》に渇《かつ》してゐるンだ!おツと――君《きみ》にも約束《やくそく》した女《をんな》が有つたつけな?君《きみ》は何處《どこ》かの令孃《れいぢやう》の寫眞《しやしん》を僕《ぼく》に示《み》せて、これが僕《ぼく》の婚約《こんやく》した女《をんな》だと曰《い》つた事《こと》があるぜ。寫眞《しやしん》には何《なん》だか悲《かな》しい、非常《ひじやう》に悲《かな》しい、哀《あは》れな事《こと》が書《か》いてあつたつけ。而《さう》して君《きみ》は泣《な》いたぜ。何《なに》を泣《な》いたのだつけな? 何《なん》でも非常《ひじやう》に悲《かな》しい、非常《ひじやう》に哀《あは》れな、小《ちひ》さな花《はな》のやうな事《こと》が書《か》いてあつたつけが、何《なん》だつけな? 君《きみ》は泣《な》いたぜ、――泣《な》いて〳〵、泣《な》き立《た》てたぜ… 見《みツ》ともない、將校《しやうかう》の癖《くせ》に泣《な》くなんて!⦆ ⦅…鴉《からす》が啼《な》いてゐる。君《きみ》、聞《きこ》えるだらう?鴉《からす》が啼《な》いてるぞ。何《なん》だつて彼樣《あんな》に啼《な》くのだらう?…⦆  此後《このあと》は鉛筆《えんぴつ》の跡《あと》が消《き》えてゐて、署名《しよめい》も讀《よ》めかねた。  ******  不思議《ふしぎ》だ。此人《このひと》の戰死《せんし》したのが知《し》れても、私《わたし》は些《ちつ》とも哀《あは》れと思《おも》はなかつた。面《かほ》を憶出《おもひだ》すと、判然《はツきり》浮《うか》ぶ。優《やさ》しい、しほらしい、女《をんな》のやうな面相《かほだち》で、頰《ほゝ》は桃色《もゝいろ》、眼中《がんちう》は淸《すゞ》しく、朝《あさ》の如《ごと》く潔《いさぎよ》くて、髯《ひげ》は柔《やはら》かなむく毛《げ》で、これなら女《をんな》の面《かほ》の飾《かざ》りにもなりさうに思《おも》はれた。書物《しよもつ》や、花《はな》や、音樂《おんがく》を好《この》み、總《すべ》て粗暴《そぼう》な事《こと》が嫌《きら》ひで、詩《し》など作《つく》つてゐた。批評家《ひゝやうか》の兄《あに》が中々《なか〳〵》巧《たく》みだといつてた位《くらゐ》だ。が、此《この》人《ひと》について私《わたし》の知《し》つてゐる所《ところ》を憶《おも》ひ出《だ》したのでは、どうもこの鴉啼《からすな》きや、夜襲《やしう》の血《ち》の海《うみ》や、死《し》と調和《てうわ》せぬ。  …鴉《からす》が啼《な》いてゐる…  ふツと、瞬《またゝ》く間《ま》、調子《てうし》外《はづ》れの何《なん》とも言《い》ひやうもない嬉《うれ》しい心持《こゝろもち》になつてみると、今迄《いまゝで》の事《こと》は皆《みな》僞《うそ》で、戰爭《せんさう》も何《ない》も有《あ》りはせん。戰死者《せんししや》もなければ、死骸《しがい》もない。思想《しさう》の根底《こんてい》が搖《ゆる》いで便《たよ》りなくなるなぞと、其樣《そん》な怖《おそ》ろしい事《こと》も有《あ》るのではない。私《わたし》は仰向《あふむけ》に臥《ね》て、子供《こども》のやうに怖《おそ》ろしい夢《ゆめ》を見《み》てゐるのだ。死《し》や恐怖《きようふ》に荒《あら》されて寂然《しん》となつた無氣味《ぶきび》な部屋々々《へや〳〵》も、人《ひと》の書《か》いた物《もの》とも思《おも》へぬ手紙《てがみ》を手《て》に持《も》つた私《わたし》も、皆《みな》夢《ゆめ》だ。兄《あに》は生《い》きてゐて、家内《かない》の者《もの》は皆《みな》茶《ちや》を飮《の》むでゐる。茶器《ちやき》の物《もの》に觸《ふ》れて鳴《な》る音《おと》も聞《きこ》える。  …鴉《からす》が啼《な》いてゐる…  いや、矢張《やはり》事實《じじつ》だ。不幸《ふかう》な世《よ》の中《なか》――それが事實《じじつ》では有《あ》るまいか? 鴉《からす》が啼《な》いてゐる。理性《りせい》を失《うしな》つた狂人《きやうじん》や、無事《ぶじ》に苦《くる》しむ文士《ぶんし》などが、安直《あんちよく》の奇《き》を求《もと》めて思《おも》ひ付《つ》いた空言《そらごと》ではない。鴉《からす》が啼《な》いてゐる。兄《あに》は何處《どこ》に居《ゐ》るか。氣品《きひん》の高《たか》い、溫順《おんじゆん》な、誰《だれ》にも迷惑《めいわく》を掛《か》けまいと心掛《こゝろが》けてゐた人《ひと》だ。兄《あに》は何處《どこ》に居《ゐ》る? さあ、忌々《いま〳〵》しい解死人《げしにん》めら、返事《へんじ》をしろ! 呪《のろ》つても足《た》らぬ惡黨《あくとう》めら、牛馬《ぎうば》の屍肉《しにく》に集《たか》つた鴉《からす》めら、情《なさ》けない愚鈍《ぐどん》な畜生《ちくしやう》めら、――さあ、手前逹《てまへたち》は畜生《ちくしやう》だ、――世界《せかい》の人《ひと》の面前《めんぜん》で手前逹《てまへたち》に聞《き》いてるのだぞ! 何咎《なにとが》あつて兄《あに》を殺《ころ》した?手前逹《てまへたち》に面《かほ》があるなら、頰打《ほゝうち》喰《く》はしてやる所《ところ》だが、手前逹《てまへたち》には面《かほ》はない。手前逹《てまへたち》のそれは肉食動物《にくしよくどうぶつ》の鼻面《はなづら》といふものだ。人間《にんげん》の風《ふう》をしてゐても、手套《てぶくろ》の下《した》から爪《つめ》が見《み》えるでないか? 帽子《ばうし》の下《した》から畜生《ちくしやう》のひしやげた惱天《なうてん》が見《み》えるでないか? 幾《いく》ら利口《りこう》さうな口《くち》を利《き》いても、手前逹《てまへたち》の言《い》ふ事《こと》には狂氣《きちがひ》じみた所《ところ》があるわ。繍錠《さびぢやう》のぢやら〳〵いふ音《おと》がするわ。己《おれ》は己《おれ》の悲《かな》しみ、憂《うれ》ひ、侮辱《ぶじよく》せられた思想《しさう》の力《ちから》の有丈《ありたけ》を盡《つく》して、手前逹《てまへたち》を呪《のろ》ふぞ、この情《なさ》けない愚鈍《ぐどん》な畜生《ちくしやう》めら!  (最後の斷片) 「…生存上《せいぞんじやう》新生面《しんせいめん》を開《ひら》くのは諸君《しよくん》の任務《にんむ》であります、」と辯士《べんし》は叫《さけ》むだ。此人《このひと》は「戰爭《せんさう》を戢《や》めよ」と書《か》いた文字《もじ》が皺《しわ》でよれ〳〵になつた旗《はた》を揮《ふ》りながら、手《て》で釣合《つりあひ》を取《と》つて、辛《から》うじて小《ちひ》さな圓柱《ゑんちう》の上《うへ》に立《た》つて居《ゐ》るのだ。 「諸君《しよくん》は靑年《せいねん》である、諸君《しよくん》は未來《みらい》に生活《せいくわつ》すべき人《ひと》である。宜《よろ》しく此《かく》の如《ごと》き狂暴《きやうばう》慘酷《ざんこく》なる事《こと》と關係《くわんけい》を絕《た》つて、以《も》つて自己《じこ》の生命《せいめい》を保《たも》つべきである。未來《みらい》の國民《こくみん》の種《たね》を保全《ほぜん》すべきである、我々《われ〳〵》は今日《こんにち》の慘狀《さんじやう》を見《み》るに忍《しの》びぬ。之《これ》を目擊《もくげき》しては眼中《がんちう》の血走《ちばし》るを禁《きん》ぜぬ。實《じつ》に天《てん》が頭上《づじやう》に落懸《おちかゝ》り大地《たいち》が足下《そつか》に裂《さ》けるやうな感《かん》がある。諸君《しよくん》…」  此時《このとき》群衆《ぐんじゆ》が尋常《ただ》ならぬ動搖《どよみ》を作《つく》つたので、辯士《べんし》の聲《こゑ》は其《それ》に消壓《けおさ》れて一《ひと》しきり聞《きこ》えなくなつたが、實《まこと》に靈《たましひ》でも籠《こも》つて居《ゐ》さうな、物凄《ものすご》い動搖《どよみ》であつた。 「假《か》りに我輩《わがはい》は氣《き》が狂《くる》つてゐるとするも、我輩《わがはい》の云《い》ふ所《ところ》は眞理《しんり》である。我輩《わがはい》には父《ちゝ》があり兄弟《きやうだい》があるが、皆《みな》戰塲《せんぢやう》で牛馬《ぎうば》の屍《しかばね》の如《ごと》く腐敗《ふはい》しつゝある。宜《よろ》しく篝《かゞり》を焚《た》いて、穴《あな》を掘《ほ》つて、武器《ぶき》を鑄潰《いつぶ》して埋《う》めて了《しま》ふが好《よ》い、軍人《ぐんじん》を捕《とら》へてその燦《さん》たる狂氣服《きちがひふく》を剝《は》いで、寸裂《すんれつ》して了《しま》ふが好《よ》い。我々《われ〳〵》は最早《もはや》忍《しの》ぶことが出來《でき》ぬ… 同類《どうるゐ》が死《し》につゝあるのである…」  ト云《い》ふところを、誰《だれ》だか、何《なん》でも脊《せ》の高《たか》い男《をとこ》だつたが、撲飛《はりと》ばしたので、辯士《べんし》がころ〳〵と轉《ころ》げ落《お》ちる、旗《はた》が颯《さつ》とまた飜《ひるがへ》つて、又《また》倒《たふ》れる。跡《あと》は直《す》ぐ紛々《ごた〳〵》となつて了《しま》つたので、辯士《べんし》を撲飛《はりとば》した奴《やつ》の面《かほ》をツイ認《みと》める暇《ひま》もなかつた。俄《には》かに其處《そこ》ら中《ぢう》が皆《みな》動《うご》き出《だ》して、揉合《もみあ》ひ、壓《へ》し合《あ》ひ、押《お》し反《かへ》し、喚《わめ》き叫《さけ》ぶ。石塊《いしころ》棍棒《こんばう》が空《くう》を飛《と》び、誰《だれ》を打《う》つ拳《こぶし》だか頭上《づじやう》に閃《ひら》めく。群衆《ぐんじゆ》は靈《れい》ある浪《なみ》の吼《ほゆ》る如《ごと》く哮《たけ》り立《た》つて、私《わたし》を宙《ちう》に釣上《つりあ》げたまゝ、數步《すうほ》の外《ほか》へ運《はこ》んで行《ゆ》き、いやと云《い》ふ程《ほど》垣根《かきね》へ打付《ぶツつ》けて、又《また》後戾《あともど》りして今度《こんど》はあらぬ方《かた》へ逸《そ》れ、到頭《たうとう》高《たか》く薪《まき》を積上《つみあ》げたのに推付《おしつ》けて了《しま》つたので、積《つ》み上《あ》げた薪《まき》が傾《かし》いで、あはや頭上《づじやう》へ崩《くづ》れ落《お》ちさうになる。何《なに》かパチ〳〵と燥《はしや》いだ音《おと》が頻《しき》りにして、材木《ざいもく》にパラ〳〵と中《あた》るものがある。と、靜《しづ》まる――かとすると、又《また》更《さら》にワッと云《い》ふ。鰐口《わにぐち》開《あ》いて叫《さけ》ぶやうな、太《ふと》い大《おほ》きな聲《こゑ》で、人間《にんげん》離《ばな》れしてゐて物凄《ものすご》い。またパチ〳〵と燥《はしや》いだ音《おと》がする。誰《たれ》だか側《そば》で倒《たふ》れたから、見《み》ると眼《め》の在《あ》る處《ところ》に眞紅《まつか》な穴《あな》が二ツ洞開《ほげ》て、血《ち》が滾々《ごぼ〴〵》と流《なが》れて居《を》る。此時《このとき》重《おも》たい棍棒《こんばう》がブンと空《くう》を切《き》つて來《き》て、其端《そのさき》が顏《かほ》に中《あた》ると、私《わたし》は倒《ころ》げたから、踏躪《ふみにじ》る足《あし》の間《あひだ》を無闇《むやみ》に這脫《はひぬ》けて空地《くうち》へ出《で》た。それから何處《どこ》かの垣根《かきね》を越《こ》えて、一つ殘《のこ》らず爪《つめ》を剝《はが》して、薪《まき》を幾側《いくかは》も積上《つみあ》げたのへ攀《よ》ぢ登《のぼ》つた。中《なか》で一|側《かは》體《からだ》の重《おも》みに崩《くづ》れたのが有《あ》つたので、私《わたくし》はグヮラ〳〵と飛散《とびち》る薪《まき》と一緒《いつしよ》に消飛《けしと》んで、四角《しかく》な穴《あな》のやうな中《なか》へ落《お》ちたが、辛《から》うじて其處《そこ》を這出《はひで》ると、轟々《ぐわう〴〵》パチ〳〵ワッと云《い》ふ音《おと》が後《うしろ》から追蒐《おひか》けて來《く》る。何處《どこ》でか半鐘《なんしやう》が鳴《な》る。五階《ごかい》建《たて》の家《いへ》でも崩《くづ》れたやうな、怕《おそ》ろしい音《おと》も聞《きこ》える。黄昏《たそがれ》が凝付《こりつ》いたやうに、中々《なか〳〵》夜《よる》の景色《けしき》にならず、彼方《かなた》の銃聲《ぢうせい》、叫喚《けうくわん》の聲《こゑ》が赤《あか》く色《いろ》づいて夕闇《ゆふやみ》を跡《あと》へ〳〵押戾《おしもど》したやうな趣《おもむき》がある。最後《さいご》の垣《かき》を飛降《とびお》りると、其處《そこ》はめくら壁《かべ》に左右《さいう》を劃《しき》られた、廊下《らうか》のやうな、曲《まが》り拗《くね》つた狭《せま》い橫町《よこちやう》で私《わたくし》は其處《そこ》を駈出《かけだ》した。久《しば》らく駈《か》けて行《い》つて見《み》たが、つんぼ橫町《よこちやう》で、行止《ゆきどま》りは垣根《かきね》、其《その》向《むか》うには又《また》薪《まき》や材木《ざいもく》の積《つ》むだのが黑々《くろ〴〵》と見《み》える。で、又《また》踏《ふ》めば崩《くづ》れて踏應《ふみごた》へのない嵩高《かさだか》な積薪《つみまき》を攀登《よぢのぼ》つては何《なん》だか寂然《しん》として生木《なまき》の匂《にほひ》のする井戶《ゐど》のやうな處《ところ》へ落《お》ち、落《お》ちては又《また》這上《はひあが》つてゐたが、どうも後《うしろ》を振向《ふりむ》いて見《み》る氣《き》になれない。また朦朧《ぼんやり》と薄赤《うすあか》く影《かげ》が射《さ》して、黑《くろ》ずんだ材木《ざいもく》が巨人《きよじん》の亡骸《むくろ》のやうに見《み》えるから、振《ふ》り向《む》いて見《み》んでも、大抵《たいてい》樣子《やうす》は知《し》れてゐる。もう面《かほ》の傷《きず》の出血《しゆつけつ》も止《と》まつたが、面《かほ》が無感覚《ばか》になつて、我《わが》面《かほ》のやうには思《おも》はれず、宛然《さながら》石膏《せつかう》細工《ざいく》の面《めん》を被《かぶ》つてゐるやうな心持《こゝろもち》がする。やがて眞闇《まツくら》な穴《あな》へ落《お》ちた時《とき》、氣《き》が遠《とほ》くなつて遂《つひ》に正體《しやうたい》を失《うしな》つたやうにも思《おも》ふが、眞《しん》に正體《しやうたい》を失《うしな》つたのか、失《うしな》つたやうな氣《き》がしたのか、どつちだつたか分《わか》らぬ、私《わたくし》の覺《おぼ》えて居《ゐ》るのは、唯《たゞ》駈《か》けて行《い》つた事《こと》ばかりだ。  それから久《しば》らく街燈《がいとう》も點《つ》いてゐぬ知《し》らぬ町々《まち〳〵》を駈廻《かけまは》つたが、何方《どちら》向《む》いても、眞黑《まツくら》な、死《し》んだやうな家《いへ》ばかりで、その寂然《しん》とした迷宮《めいきう》の中《うち》を脫出《ぬけだ》すことが出來《でき》なかつた。方角《はうがく》を付《つ》けるのには、立止《たちど》まつて四下《あたり》を視廻《みま》はすが肝腎《かんじん》だが、それが出來《でき》ない。遠方《ゑんぱう》に聞《きこ》える轟々《ぐわう〳〵》といふ物音《ものおと》や、ワッと云《い》ふ人聲《ひとごゑ》が動《やゝと》もすると段々《だん〴〵》追付《おひつ》きさうになる。時《とき》にはふッと角《かど》を曲《まが》らうとして、正面《まとも》に其《その》聲《こゑ》に打付《ぶツつ》かる事《こと》がある。聲《こゑ》は赤黑《あかくろ》い球《たま》になつて舞揚《まひあが》る烟《けむり》の中《うち》から赤々《あか〳〵》と響《ひゞ》いて來《く》る。それッと引返《ひきかへ》して、また後《あと》になる迄《まで》走《はし》る。去《さ》る曲角《まがりかど》で一條《ひとすぢ》燈火《あかり》の射《さ》してゐた所《ところ》があつたが、側《そば》へ行《ゆ》くと、ふッと消《き》えて了《しま》つたのは、何處《どこ》かの商店《しやうてん》で急《きふ》に戶《と》を閉切《しめき》つたのであつた。廣《ひろ》い隙間《すきま》から帳塲《ちやうば》の臺《だい》の片端《かたはし》と何《なん》だか桶《おけ》のやうなものが見《み》えて、忽《たちま》ち寂然《しん》と潜《ひそ》むだやうに暗《くら》くなつた。其《その》商店《しやうてん》から遠《とほ》くは離《はな》れぬ處《ところ》で向《むか》うから駈《か》けて來《く》る人《ひと》に出逢《であ》つた。暗闇《くらやみ》でもう二足《ふたあし》で危《あぶ》なく衝當《つきあた》らうとして、互《たがひ》に立止《たちど》まつた。誰《たれ》だか知《し》らぬが、眞黑《まツくろ》な…、身構《みがまへ》をした人《ひと》の姿《すがた》が見《み》える。 「君《きみ》は彼方《あツち》から來《き》たのか?」 「さうだ。」 「何處《どこ》へ行《い》くんだ?」 「家《うち》へ歸《かへ》るのだ。」 「むゝ、家《うち》へか?」  相手《あひて》は少《すこ》し默《だま》つてゐたが、突然《いきなり》私《わたし》に飛蒐《とびかゝ》つて、推倒《おしたふ》さうとする。咽喉元《のどもと》を探《さぐ》り當《あ》てやうと、搔《か》き廻《まは》す冷《つめ》たい指先《ゆびさき》が衣服《きもの》に絡《から》まつてやツさもツさしてゐる暇《ひま》に、私《わたくし》はその手《て》に喰《く》ひ付《つ》いて、振捥《ふりもぎ》つて置《お》いて駈出《かけだ》した。相手《あひて》は人《ひと》も通《とほ》らぬ町筋《まちすぢ》を靴音《くつおと》高《たか》くしばらく追蒐《おツか》けて來《き》たが、其中《そのうち》に後《おく》れて了《しま》つた――大方《おほかた》喰付《くひつ》いてやつた處《ところ》が痛《いた》むだのであらう。  如何《どう》してか、フト吾《わが》住《す》む町《まち》へ出《で》た。矢張《やツぱり》街燈《がいとう》もない町《まち》で、家々《いへ〳〵》は死《し》んだやうに、火影《ほかげ》一《ひと》つ射《さ》す處《ところ》もなかつたから、これが吾《わが》町《まち》とは氣《き》が附《つ》かずに駈通《かけとほ》つて了《しま》ふ所《ところ》であつたが、偶《ふ》と目《め》を擧《あ》げて見《み》ると、我家《わがや》の前《まへ》だ。が、私《わたくし》は久《しば》らく躊躇《ちうちよ》してゐた。多年《たねん》住慣《すみな》れた家《いへ》ではあるけれど、吐《つ》く息《いき》が荒《あら》ければ悲《かな》しげに物《もの》に響《ひゞ》く、此《こ》の死《し》んだやうな變《かは》つた町中《まちなか》で見《み》ると、我家《わがや》のやうには思《おも》はれない。躊躇《ちうちよ》してゐる中《うち》に、や、顛《ころ》んだ時《とき》に鍵《かぎ》を落《おと》しはせぬかと思《おも》ふと、愕然《ぎよツ》として氣《き》も坐《そゞ》ろになり、遮《しや》二|無《む》二|捜《さが》して見《み》れば、なに、鍵《かぎ》は外隱袋《そとがくし》にあつた。で、錠《ぢやう》をカチリと云《い》はせると、其《そ》の反響《こだま》が高《たか》く變《へん》に響《ひゞ》いて町中《まちぢう》の死《し》んだやうな家《いへ》の戶《と》が一|時《じ》に颯《さツ》と開《ひら》いたやうな心持《こゝろもち》がした。  …初《はじめ》は床下《ゆかした》に隱《かく》れて見《み》たが、それも佗《わび》しく、且《か》つ眼《め》の前《まへ》に何《なに》かちらついて見《み》えるやうで無氣味《ぶきび》だつたから、窃《そツ》と内《うち》へ忍《しの》び込《こ》むだ。暗黑《くらやみ》を手探《てさぐ》りで方々《はう〴〵》の戶締《とじま》りをし、さて勘考《かんかう》の末《すゑ》道具《だうぐ》を押付《おしつ》けて置《お》かうとしたり、それを動《うご》かす每《たび》に怕《おそろ》しい音《おと》がガランとした家中《いへぢう》に響《ひゞ》き渡《わた》る。これに又《また》膽《きも》を冷《ひや》して、「えい、」と思切《おもひき》つて、「このまゝで死《し》なば死《し》ね。如何《どう》して死《し》んだつて、死《し》ぬのは一《ひと》つだ。」  洗面臺《せんめんだい》にまだ生溫《なまあたゝか》い湯《ゆ》があつたから、手探《てさぐ》りで面《かほ》を洗《あら》つて、布片《きれ》で拭《ふ》いたら、面《かほ》の皮《かは》が釣《つ》れて傷《きず》がヒリ〳〵傷《いた》む。鏡《かゞみ》で見《み》やうとして、マツチを點《つ》けて、そのちら〳〵と弱《よわ》い火影《ほかげ》に透《とほ》して見《み》ると、暗黑《くらやみ》に何《なん》だか醜《みにく》い無氣味《ぶきび》な物《もの》が居《ゐ》て、私《わたくし》の顏《かほ》をぢろりと見《み》たので、狼狽《あわて》てマッチを棄《す》てゝ了《しま》つた。が、どうやら鼻《はな》がめツちやになつて居《を》るらしい。 「もう鼻《はな》なんぞ如何《どう》なつたつて構《かま》はん。滿足《まんぞく》だつて仕方《しかた》がない。」  かう思《おも》ふと、愉快《ゆくわい》になつて來《き》た。芝居《しばゐ》で盜賊《ぬすびと》の役《やく》でも勤《つと》めて居《ゐ》るやうに、奇怪《きくわい》な身振《みぶり》や顏色《かほいろ》をしながら、ブフエーへ行《い》つて、殘物《ざんぶつ》を探《さが》し出《だ》した。探《さが》すに何《なに》も身振《みぶり》をする必要《ひつえう》はない。それはさうとも思《おも》ひながら、其《その》癖《くせ》面白《おもしろ》くて身振《みぶり》が止《や》められなかつた。ひどく飢《かつ》えてゐる積《つも》りで、矢張《やツぱ》り奇怪《きくわい》な顏色《かほつき》をしながら、物《もの》を喰《く》つて居《ゐ》た。  眞暗《まツくら》で寂然《しん》としてゐるのが無氣味《ぶきび》だつたから、庭《には》の覗窓《のぞき》を開《あ》けて、聽耳《きゝみゝ》を引立《ひツた》てると、戶外《そと》はもう馬車《ばしや》一《ひと》つ通《とほ》らぬから、初《はじめ》は矢張《やはり》寂然《しん》としてゐるやうに思《おも》はれて、もう銃聲《じゆうせい》も止《や》むだらしい、――と思《おも》ふ側《そば》から、幽《かすか》に遠《とほ》く人聲《ひとごゑ》がする。叫聲《さけびごゑ》も、笑聲《わらひごゑ》も、何《なに》かグヮラ〳〵と崩《くづ》れる音《おと》も、物《もの》に紛《まぎ》れずして、やがてそれが判然《はつきり》と手《て》に取《と》るやうに聞《きこ》えて來《く》る。空《そら》を瞻《み》ると、赤黑《あかぐろ》い物《もの》がサッと飛《と》んで行《ゆ》く。向《むか》ひの納屋《なや》も庭先《にはさき》の敷石《しきいし》も、犬小舎《いぬごや》も、矢張《やはり》ぼッと薄赤《うすあか》く染《そま》つて見《み》える。 「ネプツーン!」 と窃《そツ》と窓《まど》から犬《いぬ》を呼《よ》んで見《み》た。  犬小舎《いぬごや》では何《なに》も動《うご》く氣色《けはひ》がなく、側《そば》の鎖《くさり》の切《き》れたのが赤黑《あかぐろ》く煌々《きら〳〵》と見《み》えるばかり。が、遠方《えんぱう》の叫聲《さけびごゑ》や、何《なに》やらの崩《くづ》れ落《お》ちる音《おと》が、次第《しだい》に高《たか》くなつて來《き》たから、私《わたし》は覗窓《のぞき》を閉《し》めて了《しま》つた。 「段々《だん〳〵》押寄《おしよ》せて來《く》る!」  隱《かく》れ塲所《ばしよ》を探《さが》す氣《き》で、ストーヴの戸《と》を開《あ》けたり、塗込《ぬりご》め煖爐《だんろ》を探《さぐ》つたり、戸棚《とだな》を開《あ》けたりしてみたが、そんな物《もの》では間《ま》に合《あ》はぬ。部屋々々《へや〳〵》をも歩《ある》き廻《まは》つて見《み》たが、書齋《しよさい》だけは覗《のぞ》く氣《き》になれなかつた。屹度《きツと》兄《あに》が肱掛椅子《ひぢかけいす》に腰《こし》を掛《か》けて、書物《しよもつ》に埋《うま》つたテーブルに對《むか》つて居《ゐ》ると思《おも》ふと、餘《あン》まり好《よ》い心持《こゝろもち》がしない。  と、次第《しだい》に歩《ある》いてゐるのは私《わたくし》一人《ひとり》でないやうに思《おも》はれて來《く》る。まだ幾人《いくたり》か近《ちか》くの暗黑《やみ》を默《だま》つて歩《ある》いてゐる者《もの》があつて、殆《ほとん》ど私《わたし》と擦《す》れ〳〵になる事《こと》もあるやうだ。一|度《ど》其中《そのうち》の誰《だれ》やらの息《いき》が領元《えりもと》に觸《ふ》れて慄然《ぞツ》と總毛立《そうげだ》つた事《こと》もある。 「誰《だれ》だ?」と私《わたし》は小聲《こゞゑ》でいつて見《み》たが、返事《へんじ》がない。  又《また》歩《ある》き出《だ》すと、不気味《ぶきび》な奴《やつ》が默《だま》つて跡《あと》に踉《つ》いて來《く》る。加減《かげん》が惡《わる》いので、それでこんな氣《き》がするのだ、さう云《い》へば熱《ねつ》も出《で》て來《き》たやうだ――と思《おも》ふけれども、恐《おそ》ろしさを如何《どう》することも出來《でき》ん。寒氣《さむけ》でもするやうに身體《からだ》が慄《ふる》へて、頭《あたま》に觸《さは》つて見《み》ると、火《ひ》のやうに熱《あつ》い。 「チヨッ、書齋《しよさい》へ行《い》かう。何《なん》と云《い》つても他人《たにん》よりか好《い》い。」  兄《あに》は果《はた》して肱掛椅子《ひぢかけいす》に倚《よ》つて、書物《しよもつ》に埋《うま》つたテーブルに對《むか》つて居《ゐ》たが、今《いま》は彼時《あのとき》のやうに消《き》えもせぬ。帷《カーテン》を卸《おろ》した隙《すき》から外《そと》の明《あか》りが薄赤《うすあか》く射《さ》してゐるけれど、物《もの》を照《て》らす程《ほど》でもないから、兄《あに》の姿《すがた》はぼんやり見《み》える。私《わたくし》は兄《あに》とは懸《か》け離《はな》れて、ソフアに腰《こし》を卸《おろ》して成行《なりゆき》を見《み》て居《ゐ》た。書齋《しよさい》は靜《しづ》かで、のべつに轟《ぐわう》といふ音《おと》、何《なに》かのグッラ〳〵と崩落《くづれお》ちる音《おと》、其處此處《そここゝ》の叫聲《さけびごゑ》が幽《かす》かに聞《きこ》えてゐたのが、次第《しだい》に近《ちか》く押寄《おしよ》せて來《く》る。赤黑《あかぐろ》い光《ひかり》は益々《ます〳〵》強《つよ》くなり、肱掛椅子《ひぢかけいす》に凭《よ》つた兄《あに》の、眞黑《まツくろ》な、鑄鐵《いてつ》で作《つく》つたやうな半面《よこがほ》が、その細《ほそ》い赤《あか》い線《せん》の中《うち》に見《み》えるやうになつた時《とき》、 「兄《にい》さん!」  と呼《よ》んでみた。  が、默《だま》つて居《ゐ》る。石碑《せきひ》のやうに凝然《ぢツ》と眞黑《まつくろ》に居竦《ゐすく》まつてゐる。隣室《りんしつ》の床板《ゆかいた》がピシリと爆《はぜ》て、急《きふ》に妙《めう》に寂《しん》となる。澤山《たくさん》な死骸《しがい》の中《なか》にでもゐるやうだ。音《おと》と云《い》ふ音《おと》は皆《みな》消《き》えて、赤黑《あかぐろ》い光《ひかり》までしんめりとした死《し》の影《かげ》を宿《やど》して、凝《こツ》たやうに動《うご》かなくなり、其色《そのいろ》も稍《やゝ》薄《うす》れる。この寂《さび》しさは兄《あに》からと思《おも》つて、其通《そのとほ》りを云《い》ふと、 「いや、己《おれ》の所爲《せゐ》ぢやない。窓《まど》を覗《のぞ》いて御覽《ごらん》。」 帷《カーテン》を引除《ひきの》けて――私《わたし》はたぢ〳〵となつた。 「おゝ、この故爲《せゐ》か!」 「家内《かない》を呼《よ》んで來《き》て呉《く》れ。彼《あれ》はまだ見《み》たことがないから」、と兄《あに》がいふ。  嫂《あによめ》は食堂《しよくだう》で何《なに》か裁縫《さいほう》をしてゐたが、私《わたし》が行《ゆ》くと、針《はり》を縫物《ぬひもの》に差《さ》して、言《い》はれる儘《まゝ》に起上《たちあが》り、私《わたし》の跡《あと》に隨《つ》いて來《く》る。窓々《まど〳〵》の帷《カーテン》を皆《みんな》引除《ひきの》けたら、薄赤《うすあか》い光《ひかり》が、廣《ひろ》い入口《いりぐち》を射《い》て、思《おも》ひの儘《まゝ》に室内《しつない》へ流《なが》れ込《こ》むだが、何故《なぜ》だか内《うち》は明《あか》るくはならないで、矢張《やはり》暗《くら》かつた、唯《たゞ》窓《まど》だけ四角《しかく》に赤《あか》く大《おほ》きく燦然《ぼツ》と明《あか》るく見《み》えた。  皆《みな》で窓際《まどぎは》へ行《い》つて仰《あふ》いで見《み》ると、家《いへ》の壁《かべ》や軒蛇腹《のきじやばら》から、直《す》ぐ火《ひ》のやうに眞紅《まツか》な、平坦《たひら》な空《そら》になつて、雲《くも》も日《ひ》も星《ほし》も麗《つ》けずに、其儘《そのまゝ》地平線《ちへいせん》の彼方《かなた》に没《ぼつ》したやうに見《み》える。俯《ふ》して見《み》れば、矢張《やはり》平坦《たひら》な赤黑《あかぐろ》い野《の》が死骸《しがい》で埋《うづま》つて居《ゐ》る。死骸《しがい》は皆《みな》裸體《はだか》で、足《あし》を此方《こちら》へ向《む》けて居《を》るから、此方《こちら》からは唯《たゞ》蹠《あしのうら》と三|角《かく》の顎《あご》の下《した》が見《み》えるばかりだ。寂然《しん》としてゐる――皆《みな》死骸《しがい》と見《み》えて、際限《はてし》もない野《の》に置去《おきざ》りにされた負傷者《ふしやうしや》らしい者《もの》は一人《ひとり》も見《み》えなかつた。 「段々《だん〳〵》殖《ふ》えて來《く》る」、と兄《あに》が云《い》ふ。  兄《あに》も窓際《まどぎは》に立《た》つて居《ゐ》たが、母《はゝ》も妹《いもうと》も家内中《かないぢう》殘《のこ》らず此處《こゝ》に居《ゐ》る。誰《だれ》も面《かほ》は能《よ》く見《み》えなかつたが、唯《たゞ》聲《こゑ》でそれと知《し》れた。 「そんな氣《き》がするンだわ」、と妹《いもうと》が云《い》ふ。 「いや、殖《ふ》えて來《く》るのだ。まあ、見《み》て居《ゐ》て御覧《ごらん》。」  成程《なるほど》、死骸《しがい》は殖《ふ》えたやうだ。如何《どう》して殖《ふ》えるのかと、凝然《ぢツ》と注目《ちうもく》して居《ゐ》ると、とある死骸《しがい》の隣《となり》の、今迄《いままで》何《なに》も無《な》かつた處《ところ》に、フト死骸《しがい》が現《あらは》れた。どうやら、皆《みな》地《ち》から湧《わ》くらしい。空《あ》いた處《ところ》がズン〳〵塞《ふさ》がつて行《い》つて、大地《だいち》が忽《たちま》ち微白《ほのじろ》くなる。微白《ほのじろ》くなるのは、蹠《あしのうら》を此方《こちら》へ向《む》けて、列《なら》んで臥《ね》てゐる死骸《しがい》が皆《みな》薄紅《うすあか》いからで、それにつれて室内《しつない》もその死骸《しがい》の色《いろ》に薄紅《うすあか》く明《あか》るくなる。 「さあ、もう塲所《ばしよ》がない」、と兄《あに》が云《い》ふ。 「もう此處《こゝ》にも一人《ひとり》居《ゐ》るよ」、と母《はゝ》がいふ。  皆《みな》振向《ふりむ》いて見《み》ると、成程《なるほど》背後《うしろ》にも一人《ひとり》仰反《のけぞ》つて倒《たふ》れてゐる。と、忽《たちま》ちその側《そば》へ一人《ひとり》現《あらは》れ、二人《ふたり》現《あらは》れる。跡《あと》から〳〵湧《わ》いて出《で》て、薄紅《うすあか》い死骸《しがい》が行儀《ぎやうぎ》よく並《なら》び、忽《たちま》ち部屋《へや》々々《〳〵》に一杯《いつぱい》になる。  保母《ほぼ》が、 「坊《ぼツ》ちやん逹《たち》のお部屋《へや》にも出《で》て來《き》ましたよ。私《わたくし》見《み》て參《まゐ》りました。」  妹《いもうと》が、 「逃《に》げて行《ゆ》きませう。」  兄《あに》が、 「出道《でみち》がない。御覽《ごらん》、もう此通《このとほ》りだ。」  成程《なるほど》、死骸《しがい》は其處《そこ》ら中《ぢう》に素足《すあし》を投出《なげだ》し、腕《うで》を聯《つら》ねて、ギッシリ詰《つま》まつてゐる。それが見《み》る〳〵蠢《うご》めき出《だ》して、恟《ぎよツ》とする間《ま》に、皆《みな》行儀《ぎようぎ》よく列《なら》むだまゝ、むく〳〵と起上《おきあが》る。新《あたら》しい死骸《しがい》が地《ち》から湧《わ》いて出《で》て、舊《もと》から在《あ》るのを推上《おしあ》げたのだ。 「かうして居《ゐ》ると、首《くび》を締《し》められる。窓《まど》から逃《に》げませう。」  と私《わたし》が云《い》ふと、兄《あに》が、 「いや、窓《まど》からはもう逃《に》げられん! 駄目《だめ》だ! それ、あれを御覽《ごらん》!」  …窓外《さうぐわい》には、赤黑《あかぐろ》い光《ひか》りの凝《こ》つた中《なか》に赤《あか》い笑《わらひ》が見《み》える。 血笑記  終 明治四十一年八月五日印刷  血笑記奥付 明治四十一年八月八日發行   正價金八拾五銭         著者     長谷川二葉亭               東京市麹町區飯田町六丁目廿四番地   不 許   發行者    西本波太               東京市小石川區久堅町百八番地   複 製   印刷人    山田英二               東京市小石川區久堅町百八番地         印刷所    博文館印刷所      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  發行所   東京市麹町區飯田町  易風社        六丁目二十四番地    振替口座 一二〇三四番 Transcriber's Notes(Page numbers are those of the original text) 誤植と思われる箇所は岩波書店発行二葉亭四迷全集第四巻(昭和三十九年 第一刷)を参照し以下のように訂正した。 原文 生若《まなわか》い (p.25) 訂正 生若《なまわか》い 原文 見《み》たばかりて (p.59) 訂正 見《み》たばかりで 原文 狂人《きちちがひ》 (p.64) 訂正 狂人《きちがひ》 原文 血潮《ししほ》 (p.71) 訂正 血潮《ちしほ》 原文 見《み》れぼ (p.72) 訂正 見《み》れば 原文 便《たよ》りない聲《こゑ》て (p.85) 訂正 便《たよ》りない聲《こゑ》で 原文 二|本指《ほんゆび》て (p.96) 訂正 二|本指《ほんゆび》で 原文 聞《きこ》る! (p.108) 訂正 聞《きこえ》る! 原文 貴方《あなた》を此樣《こん》にすれば (p.121) 訂正 貴方《あなた》を此樣《こん》なにすれば 原文 折合《をりあ》ふ事《こと》が出來《き》ん (p.125) 訂正 折合《をりあ》ふ事《こと》が出來《でき》ん 原文 一所《ひところ》 (p.125) 訂正 一所《ひとところ》 原文 線《せん》か (p.138) 訂正 線《せん》が 原文 紙《かみ》に歿《のこ》つた (p.148) 訂正 紙《かみ》に殘《のこ》つた 原文 遂《お》うて (p.149) 訂正 逐《お》うて 原文 薄無味惡《うすきみわる》かつたが (p.162) 訂正 薄氣味惡《うすきみわる》かつたが 原文 ちらりとしたばかりて有《あ》つたのだ (p.163) 訂正 ちらりとしたばかりで有《あ》つたのだ 原文 銳《するど》い目色《めつき》て (p.171) 訂正 銳《するど》い目色《めつき》で 原文 ピシャり (p.172) 訂正 ピシャリ 原文 迯《にげ》けろ (p.175) 訂正 迯《にげ》ろ 原文 慓《ふる》ひ出《だ》す (p.175) 訂正 慄《ふる》ひ出《だ》す 原文 冷《つた》たい (p.187) 訂正 冷《つめ》たい 原文 向《むか》ふから來《き》る (p.208) 訂正 向《むか》ふから來《く》る 原文 失《うし》つたやうにも (p.230) 訂正 失《うしなつたやうにも》 原文 唯《たゞ》蹶《あしのうら》と (p.243) 訂正 唯《たゞ》蹠《あしのうら》と 原文 蹶《あしのうら》 (p.245) 訂正 蹠《あしのうら》 原文 切《きれ》れ (p.237) 訂正 切《き》れ ●文字・フォーマットに関する補足 113頁「弟は高笑をして、」「妹も合槌を打つて、」、118頁「弟《おとうと》はふと立止《たちど》まつて、」の行は一字字下げした。 233頁の草書体の「志」は「し」に置換えた。「熱」の字は原文では「灬」の上が「執」の字。 --- Provided by LoyalBooks.com ---